二章 興味あり〼

2-1

 僕は祖母が運転する車で、三時間かけて隣県に入った。祖母はS市の警察署の前で、僕をきつく抱きしめてくれた。土と汗と、それから涙の匂いがした。だがその代り、祖母は何も僕に対して言ってくれなかった。きっと何か言ってしまえば楽になる。しかしそれが祖母にはできなかったのだろう。僕の前で自分一人が楽になることを、許せなかったに違いない。僕も久しぶりに会う祖母に、こんな時に何を言ったらいいのか分からなかった。だから祖母も僕もひたすら沈黙を保ったままだった。隣県は同じ日本と思えないくらい、静かで真っ暗だった。どんどん街の明かりが少なくなっていく。海外でも国内でも、夜が静寂を纏う場所は経験してきた。しかしそれらの様子は一時の安眠であり、人々の息づかいを感じることができた。しかしここでは、まるで眠ったまま二度と起きないような、まるで町自体が死んでいるような心地がした。ただ蛙の大合唱がその静寂を埋めるように響いていた。遠くの方で蛍光イエローに光るのは、蛍だろうか。それらは僕が経験したことのない幻想的な空間だった。


 僕がいた街は夜でも明るく、人通りも多かった。しかし祖母の住む町は夜は真っ暗で、ほとんど人がいない。そして建物よりも田畑や森林の方が多く、高い建物もなかった。まるで家々が森林に飲み込まれてしまったかのようだ。「廃墟」とか「廃村」とかいう言葉を思い出す。僕と祖母以外に人がいないのではないかと思えるほどだった。


 僕は、夜がこんなに怖いとは思わなかった。友人が夏休みに「田舎の婆ちゃんの家に行く」と言っていたのを思い出す。僕は海外旅行も国内旅行も経験してきたが、どこも観光地ばかりだった。僕の知らない日本はまだまだたくさんあって、僕の知らない世界は日本のどこかにある気がした。


 ただ、こちらの方が星がきれいだったし、水道水が美味しかった。よく田舎のイメージとして語られることだが、それが本当のことだったので僕はわずかに安心した。


 僕は、両親の葬儀には出なかった。葬儀場に行けば、両親の死を改めて実感しなければならない。それが怖かったのだ。それだけではない。あの凄惨な事件を、根掘り葉掘り聞いて回るライターだかメディアだかがうろうろしているかもしれない、という懸念もあった。警察の発表では無理心中となっていたが、その背景を探ろうとしている輩も少なからずいるのだ。僕がその事件の生き残りの子供だと知れれば、騒ぎになるかもしれない。とても心安らかにお墓に手を合わせることは叶いそうもない。ただその日、僕は野花を摘んで、祖母の家の仏壇の花瓶に生けた。


(お父さん、お母さん、僕を見守っていてね)


 転校手続きをはじめとする事務的な所用は、全て祖母が行ってくれた。無駄になってしまった夏休みの予定表。あの予定表通りに行けば、僕はまだ両親と楽しい時間を過ごしているはずだった。母が褒めてくれたり、父が注意してくれたり、まだまだ沢山のことを両親と共に過ごすはずだった。僕は一人でひっそり泣きながら、残りの夏休みを過ごした。



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