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 上を見上げれば、本当に抜けるような青空だった。その中をコンドルが飛んでいた。赤道に近いせいか日差しが強く、僕と父はあっという間に日焼けした。母は日焼け止めクリームを塗りたくっていたが、一日で諦めて日傘とポンチョで肌を隠していた。エクアドルの首都であるキトは標高が高いため、日差しが強いのに肌寒いのである。ポンチョは日焼け止めと言うよりも、寒さ対策になっていた。父は英語はもちろん、中国語もスペイン語も、フランス語もできた。エクアドルにはインディオの人々が多いが、植民地支配の影響で公用語はスペイン語だった。現地の人と現地語で話す父の姿を見ていると、僕はとても父を誇らしくなったし、いずれは父のようになりたいと思うのだった。


 砂埃舞う土産物店を、僕は父と午後から二人で見て回った。僕は父の手をしっかりと両手で握っていた。それでも砂塵が手と手の隙間から入り込んできて、手の平がざらざらいった。


 バザーは賑やかな声と音楽で溢れていた。埃っぽい臭いと様々な香辛料に臭いが混ざっていた。見たことがない色と形のジャガイモやトウモロコシ。青いままのバナナや焙煎前のコーヒー豆。日本の米とは違った形の米。それから日本では見なくなった食用の家畜。そんな雑多な中でも父は常に目を光らせていた。ヨーロッパも日本に比べれば治安が悪い方だったが、中南米の治安の悪さは僕が今まで行ったことのある国の中では一番ひどかった。しかし父が言うには、手作りの本物の人形は、店ではなく、こういった地元の土産物店でしか手に入らないと、現地の人が言っていたらしい。そして、土産物店でも隅に出していた店で、僕はエケコ人形を見つけた。僕が思わず手を伸ばすと、明らかにスペイン語とは異なるイントネーションで注意された。しかし父がスペイン語で買いたいのだと言うと、店主はスペイン語で言葉を返してきた。しかしその店主のスペイン語は、どこかたどたどしかった。


「何語?」


と僕がたずねると、父は首を捻って「少数民の言葉かもしれない」と言った。エクアドルにはヒバロ語を使う、ヒバロ族が数パーセント暮らしているのだという。


 父はスペイン語で何かやり取りをしてから、お金を払った。おそらく、日本人観光客だと目をつけられて、言い値で物を売りつけようとしていたのだ。日本人をカモにしようとするのは、僕が訪れたヨーロッパの国々でも度々経験していたので、もう慣れっこだった。外国のお金をスマートに渡せるところも父の尊敬に値する部分だった。僕はまだ、日本円の価値と外国の貨幣の価値を比べることができず、父や母に買い物は任せっきりだった。


 エケコ人形は小さなおじさんが万歳をしているユニークな人形で、ネットの写真で見た物よりきれいではなかったが、それが逆に本物の証のように見えた。


 父は「良かったな。店主手作りの本物だぞ」と言って、笑いながら僕の頭を撫でてくれた。手作りであるために量産はできず、僕が父から買ってもらった一体が最後だった。そのため、友人たちにはお土産としてエケコ人形は買えなかった。そう言うわけで、僕は父が勧めてくれたチョコレート菓子を袋いっぱいに買った。父曰く、「チョコレートに外れがない」のである。


 僕はそのチョコレート菓子を皆のお土産にして、帰国した。




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