1-4
「ち、違うよ! 懐かしかっただけ。そんな恥ずかしいこと出来ないよ」
「そうか?」
「そうだよ。ほら、パスポートチェック!」
顔を赤くした僕は、両親に先を急がせて茶を濁した。両親は悪戯な笑みを浮かべたままパスポートチェックを済ませた。僕のキャリーバッグは既に各航空会社のステッカーだらけだが、両親のキャリーバッグはもう汚く見えるほどのステッカーで覆われていた。
「海外だと荷物の扱いが雑で困るわ。古いし、買い換えようかしら?」
「それ、毎回言ってるな。単に新しい物が欲しいだけじゃないのか?」
「あ、ばれた?」
「お母さんが考えそうなことは大体分かるよな、海?」
「うん。分かる」
そんな話をしながら機内に乗り込むと、手慣れた様子で手荷物を棚にしまい、母が僕用にひざ掛けを頼んでくれた。母はただの毛布にしか見えないそのひざ掛けを僕に掛けながら、「眠ってもいいわよ。着いたら起こしてあげるから」と耳打ちする。普段は一人で寝起きして学校に通っているが、今回のフライトには時間がかかるため気遣ってくれたようだ。あまりの心地良さに、僕はぐっすりと眠った。母の言葉に甘えて、乗り継ぎ先でも僕は眠りこけていた。両親が僕を引きずるようにしてエクアドルのキトに着く頃、僕はようやく目が覚めてきた。黄色のタクシーの中から街並みを見ると、日本よりもヨーロッパに近い街並みが見えていた。ホテルに入ると、ポーターが僕たちの荷物を部屋まで運んでくれた。父はポーターにチップとして一ドルコインを渡した。そのコインは僕が今まで見てきた米ドルとは絵柄が異なっていた。おそらくエクアドルだけで使用できるコインだろう。そういえば、エクアドルって最近通貨が変わったのだった。ただコインだけは、古い物と新しい物が混在しているのだろう。
「あれ? ホテルでチップって必要だっけ?」
「あら、まだ眠いの?」
母がキャリーバッグから荷物を出しながら僕を振り返る。エクアドルでは日本の消費税に当たるIVAという十二パーセントの税金がかかっていて、ホテルではそれに加えて十パーセントのサービス料がかかる。
「無くなっている物はないみたいね」
母は一仕事終えたと言う風に、溜息をついた。荷物が盗まれていないかを旅先でチェックするのは、荷づくりを担当した母の仕事だと決まっていた。日本国内ではあまり気にしないが、海外旅行ではチェックが必要だ。今までもトランク一つが別の便に乗せられてしまったり、何かが抜き取られていたりする時があった。母は「疲れた」と言って、ベッドの上に転がった。もちろん、日本から持ってきた折り畳み式のスリッパは脱いでいる。
「ポーターは別料金と言うか、チップは礼儀だ」
「そうなんだっけ? ねえ、お腹すかない? 僕、お腹減っちゃった」
僕の腹の虫がぐうと鳴く。機内食が配られていた際にも僕は眠っていたから、何も食べていないのだ。そこにすぐに賛成したのは、母だった。
「私も。機内食、口に合わなかったのよね」
「ホテルの一階にレストランがあるから、そこでいいなら行こう」
エクアドルの首都であるキトは観光地でもあるため、様々な人がいて治安が悪い。観光客は特にお金を多く持っているので、スリなどに狙われることが多いと言う。空港からホテルまでのタクシーを探す際にも苦労をしたらしい。正規の登録タクシーを見つけるまで、何人かの男や女に声をかけられ続けたのだ。そこでついて行ってしまうと、身ぐるみを剥がされるという寸法だ。あまりにこういった強盗事件が多いため、警察はあまりあてにならず、大使館に逃げ込むしかない。そのため、ホテル内にレストランが完備されているホテルは有難かった。僕は両親と食事をとり、その日のことをノートにメモしてから、ベッドの上で三人で川の字になって眠った。
次に太陽が登ると、父は約束していた所に僕を連れて行ってくれると言った。母は珍しく時差ぼけを起こしてホテルで休むと言って、僕と父を送り出してくれた。
「せっかくなら、夜景が見たかったな」
タクシーの中で僕が愚痴をこぼすと、父は笑い皺を寄せた。
「キトの夜景は写真で見ても綺麗だったから、父さんも残念だ。ただ、母さんに止められた。ただでさえ危険な場所なのに、海が攫われたらどうするのかって怒られたよ」
「大人でも怒られることがあるんだね」
僕が声を上げて笑うと、父は首を掻いた。
「まあ、父さんも母さんも海が一番大事だからな。母さんが正しい」
父はそんなセリフを何のてらいもなく口にする。そんなことを言われたら、僕の発言がまるで子供のわがままみたいに聞こえる。だから僕は赤い風船のように頬を膨らませて、父から顔をそむけたのだった。僕たちを乗せたタクシーの窓から、小高い丘が見えてきた。観光地として有名なパネシージョの丘である。頂上には大きな聖母像が立っていて、その付近には土産物店が並ぶ。そんな時、タクシーのドライバーがスペイン語で父に話しかけた。父はメーターを確認して同じくスペイン語で返す。
「何て言ったの?」
「ああ。丘の上まで行くのかきかれたから、そうしてくれるように頼んだんだ」
タクシーは父の言うとおり、丘の頂上を目指して上り始めた。
「歩かないの? こんなに天気のいい日だし、あとちょっとだよ?」
「徒歩で三十分くらいだけど、強盗の多発地帯だから危険なんだ」
「強盗ばっかりだね」
「まあ、これも勉強だな」
タクシーに代金を払って、僕と父は土産物店が軒を連ねる所でタクシーを降りた。僕は父と手をしっかりとつないで、一軒一軒慎重に土産物店を眺めていった。
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