1-3
僕は長期休暇に入るとまず、計画を立ててそれをスケジュール帳にまとめる。夏休みも例外ではない。そのスケジュール帳は両親が見ても構わないという決まりもあった。ちょうど僕がスケジュールを立て終わった時、部屋のドアがノックされた。僕が「はい」と答えると、カレーの匂いと共に、母が入って来た。
「計画表は出来上がった?」
パソコンでエケコ人形に関するサイトを見ようとしていた僕に、母はオレンジジュースを持って来てくれたのだ。僕はそのジュースを飲みながら、スケジュール帳を母に渡す。僕の自由研究はいつも旅先で学んだことをまとめた物であった。旅行もできて宿題も片づけられて、まさに一石二鳥だった。母はスケジュール表をじっくり見てからうなずいた。
「うん。計画はいいみたいね。自由研究はあっちでやるんでしょう?」
「うん。今回は、エクアドルについて、だね」
僕は自由研究の題名を得意げに発表する。母は口に手を当てて笑い、「安直過ぎない?」と言ってからリビングに降りてくるように促す。
「今日は
「やった。すぐ行く!」
片付けが苦手な僕は、スケジュール帳を学習机の上に置いて、その横に宿題のドリルやプリントを山積みにして自室を出る。
台所と繋がったリビングの机の上には、もうカレーとスプーン、サラダとフォークが並んでいた。父と母はほとんどテレビを見ないが、リビングにはいかにも「一応」と言う風に薄型の大きなテレビが置いてあった。両親いわく、テレビがついている時間の分だけ、人生を損しているのだそうだ。
「いただきます」
父は皆が席についたところを見計らって、食事の合図をした。僕と母はそれに倣って手を合わせて「いただきます」と声をそろえる。
「今回のエクアドルは、メキシコ経由? 飛行機の予約はもうしてあるんでしょ?」
食事を進めながらの会話であったが、口にものが入っている内は口を開けることは禁止されていた。父は咀嚼したカレーライスを飲み込んでから、「いや」と首を振った。
「メキシコ経由はシティでの乗り換え時間が長くて、やめた。ヒューストン経由のをデルダ航空で予約してあるよ」
どうやら今まで僕が行ったことのあるヨーロッパの国々とは違い、エクアドルには日本からの直行便が出ていないらしい。
「明日でいいから、米ドルに換金してきてくれないか? 金額は任せるよ」
「あら、本当?」
母が弾んだ声を出して、父が苦笑する。
「一ドルで百二十円くらいだったと思うから、あまり大きく両替しなくてもいいぞ。足りなくなったら、現地で換金したらいい」
現地での両替は銀行や両替所、ホテルでも行えるということだった。
「高額な紙幣は、逆に受け取ってもらいえないしな」
「何で?」
僕がカレーを食べ終わってから無邪気に問うと、両親は困ったように顔を見合わせた。
「それは治安が……」
母が教えてくれそうだったところに、父が割って入る。
「まあ、待て。何でも勉強で、何でも経験だ。海はどうしてだと思う?」
父はいつも僕に答えを易くは教えてはくれない。いつも僕が一人で答えを出すのを辛抱強く待っていて、そうすることが父の教育方針でもあった。だから僕はいつも父の期待に応えようと、必死に頭を回転させる。母は「治安が悪いから」と言いたげだった。だが治安が悪いならば、高額な紙幣を受け取らないことと矛盾しているように思える。悪い人なら多くのお金を取ろうとすると思ったからだ。その悪い人が高額な紙幣を受け取らないのならば、答えはすぐに導き出せる。
「お金が偽物だったり、何か悪いことで貰ったお金だったりするから?」
父と母の顔つきが明るくなる。正解か、それに近い答えだったのだろう。父の大きな手が、僕の髪をぐしゃぐしゃに撫でて、母も笑っている。
「じゃあ、明日にでも銀行に行ってくるわ」
「ああ、頼んだ。海、今の答えのご褒美に現地で好きな物を買ってやろう。クラスの
皆にはチョコレートでいいと思うが、それとは別にプレゼントしよう」
「良かったわね、海」
「エケコ人形!」
「人形?」
父は思わず鸚鵡返しをする。父は小学校高学年の男の子が人形を欲しがることを、意外に思ったのだ。人形と言えば女の子が欲しがるものだと思い込んでいたらしい。確かに日本では人形遊びはどちらかと言うと、幼い女の子の遊びだと思われている。しかしその考えももう古い。僕としては、逆に父が僕たち子どもに古い考えを持ち合わせていたことに驚いた。
「最近ネットで調べているラッキーアイテムだもんね?」
「え? どうしてお母さんが知ってるの?」
僕はまだ、パソコンの検索履歴が残るということを、知らなかった。
「どうしてでしょう?」
「あ、お父さんのまねだ!」
僕が母を指さすと、両親が大笑いした。僕も照れたように笑う。
その数日後、僕は自分用のキャリーバッグをごろごろと引きずって、羽田空港のロビーを歩いていた。時々幼い子供が親のキャリーバッグの上に乗って、僕とすれ違う。僕はそれを見て、少しだけ羨ましく思った。
「お前があんな風にしていたら、格好悪いぞ」
僕が知らず知らずにキャリーバッグの上の子供を目で追っていたことに気付いた父は、からかうように僕の肩を叩いた。母もにやにやして、僕を見ていた。
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