新堂対ロブレス4
「効いたか?」
急いで出てきたセコンドは、新堂のマウスピースを外しながら訊く。
「効いたんでしょうけど、正直よく分かりません」
その言葉の通りだった。気が付いたらカウンターを喰らっており、ひっくり返されたせいで自分の足が見えた。妙な光景だった。ダメージは受けているのだろうが、アドレナリンが出ているせいか痛いかどうかもよく分からない。
「それに、こんなので音を上げていたら伊吹に叱られますよ」
新堂は軽口を叩く。今まさにその伊吹と一緒に闘っているとは、目の前のセコンドは夢にも思っていない。
「そうか」
セコンドはいくらか苦笑いしながら続ける。
「ロブレスが調子を取り戻しはじめている。あいつは調子に乗せると倍々に厄介な選手へと変わっていくから、絶対にその前に攻撃を当てろ。少なくとも2ラウンドまでのパンチは効いていた。お前のパンチだってバケモノなんだ。自分のパンチ力を過小評価するなよ」
「はい」
笛が鳴る。対角線上では汗だくのブラック・ダイアモンドみたいなロブレスがすでに立ってこちらを睨んでいる。
「やってやるからな」
新堂はいたずらっぽく口角を上げる。
ラウンド4のアナウンスとともに、試合の再開を告げるゴングが打ち鳴らされた。
新堂はさっき倒されたのが嘘みたいに元気な足取りでリング中央へと駆けて行く。一部のファンが「無理をするな」と悲鳴を上げる。ロブレスのパンチでダウンを喰ったのだから当然と言えば当然だった。
ロブレスは鋭い目つきで獲物を仕留める瞬間を探っている。新堂はガードを上げ、身体を左右に揺する。
やられた時こそ、強気でいかなければいけない。こういったハードパンチャーを相手にする時の鉄則だ。新堂はジャブを高速で伸ばす。ロブレスのガード外側を叩いて、右側に踏み込みながら速い左を打ち抜く。直撃こそしないものの、わずかにガードを割った左がロブレスの頭を上下させる。
観客が沸く。たかだかストレートを浅く当てただけだが、何人もの人間が新堂の大逆転を心待ちにしていた。
ロブレスも負けていない。黒光りする腕を伸ばし、シャープなジャブを連発する。新堂は一発目こそパーリングで弾くものの、後続のジャブがガードを打ち、しつこく放たれるジャブのうち一発が新堂の頭を一瞬だけ撥ね上げた。
このまま我慢比べみたいな展開が続くのかと思いきや、ロブレスがジャブの後に大振りの左フックを振った。反応がわずかに遅れた新堂はガードで防ぐも、想像以上の威力でかすかに足元が宙に浮いた。
ロブレスはすかさず右ボディーを高速で振り、空いたガードのど真ん中へ左ボディーストレートを伸ばす。新堂はガードを絞ってこれに対抗した。
刹那、ボディーへ行くはずだったストレートが知らぬ間に軌道を変え、斜め下から迫る角度で新堂の顔面へと迫ってくる。
――マジか!
鼻先にグローブ。もう避けるのは無理な位置に拳が来ている。
『顎を引いて、首ごと後ろに引け』
脳裏に響く声。それと同時に激しい衝突音が会場に響く。観客の多くが驚きで口を開けたままになった。
何が起こったのか、レフリーは一瞬混乱した。
――そこでうつぶせに倒れていたのはロブレスの方だった。
「ダウン!」
会場からどよめきがおこる。
何だ? 一体何が起こった?
多くも者が、なぜ目の前の光景が繰り広げられているのか理解が出来なかった。
先ほどの絶体絶命のパンチで、斜め下から新堂の顔面へとストレートが迫っていた。
『顎を引いて、首ごと後ろに引け』と言ったのは伊吹の声だったが、実際に新堂がやったことは少し違った。
パンチが当たる直前、「ただのスウェーでは間に合わない」と判断した新堂は一瞬だけ膝から力を抜いた。それにより、マトリックス並みに反っていた上半身は、一時的に背中から床へと落ちていった。新堂はここですぐに膝に力を戻し、重力で下へと行きかけていた上体を戻しつつ、身体を捻りながら右アッパーを放っていた。
左ストレートで新堂の顎を粉砕したものと思っていたロブレスは、リンボーダンスのような動きで放たれるアッパーが全く見えていなかった。
見えていないのだから耐えられるはずがない。右斜め下から信じられない角度で伸びてきた拳は、あり得ないベクトルでロブレスの顎を巻き込んだ。
ロブレスは顎を破壊され、キャンバスとキスして気を失った。
どよめきと歓声の中、カウントが進んでいく。うつぶせのロブレスは背中を大きく上下させたまま、虚ろな目でキャンバスをずっと見つめていた。
カウントが10を数える。信じられないくらい唐突に、怪物と呼ばれた男の無敗伝説は終焉を告げた。
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