伊吹丈二対ファン・カルロス・ロブレス2
「どうなの? 取ったの?」
「このラウンドは取られたっぽいな」
彩音の質問に新堂が答える。伊吹は前半こそ派手なパンチをヒットさせたが、後半になるとアホみたいな威力のジャブを何発かもらった。ロブレスもラウンドの後半は確実にポイントを取りにいったようだった。
「しかし、まだまだチャンスはあるぞ。右のボディー当てたしな。あの左を見せられても右ボディーアッパーを当てにいく度胸はさすがだな」
「ふふーん。だって、彼は未来のわたしのダンナ様だもんね~」
「うるせえよ」
そうこうしている内にセコンドアウトの笛とアナウンスが響く。
「ラウンド3」
ゴングが鳴った。
ロブレスが前に出てくる。伊吹は先ほどよりもどっしりと構えて、より強打を打ちやすい状態で相手を見ている。先ほどのラウンドで、アウトボックスし切るのは難しいと判断したのだろう。
リング中央付近で身体を揺らしながら、わずかな動きでフェイントを掛け合う。命懸けの騙し合い。ババを引いた方が倒される。
ロブレスが左ストレートを放つ。魔人の左。一撃で試合を終わらせるパンチが迫りくる。
伊吹はわずかに右サイドへ重心を沈めて、ロブレスの左を紙一重でかわす。すかさずカウンターに程近い右ストレートをロブレスの顔面に叩き込む。轟音。観客が沸く。たたらを踏むロブレス。効いている。倒してやる。そのまま飛び込んで、左フックから右ストレートを振り抜いた。
ふいに場内で交通事故めいた音が響いた。
渾身のコンビネーション。倒れていたのは、攻勢に回っていたはずの伊吹だった。
「え?」
会場全体が同じリアクションだった。それも無理のない話だ。
ロブレスは右のリターンこそ被弾して効かされたものの、飛び込んで放たれた左フックについてはガードしていた。
続く右ストレートは半ば本能で頭の位置をずらし、同時打ちした左ストレートが伊吹の顔面をとらえていた。その動きは本当にわずかなものであったため、多くの観客にとって攻撃しているはずの伊吹が倒れたように見えたのだった。
悔しそうな顔で尻餅をつく伊吹。そして、自らの左拳をポンポンと叩いて見せたことで、レフリーも遅れてこのダウンがバッティングではなく正当な攻撃によるものと気付いた。
時間差でダウンが宣告される。カウントが2になるぐらいまで、観客は呆気に取られて何が起きているのかを把握出来なかった。会場に悲鳴が上がる。
ダウンを宣告された伊吹はカウントが6になるまで膝立ちで休み、ダメージが回復するだけの時間を稼いだ。ゆっくりと立ち上がって、レフリーにファイティングポーズを取る。
レフリーは問題無しと見なして試合を再開した。
歓声と伊吹コールが会場に鳴り響く。伊吹の膝はまだ揺れている。ショート気味のパンチではあったが、規格外のパンチ力もあって想像以上に効いていた。
ロブレスは無表情で距離を詰めてくる。そのさまは飛びかかる瞬間を待つ肉食獣だった。
「伊吹、打ち合うな! 左を打ちながら回れ!」
セコンドから声が上がる。伊吹は見た目に反して気が強い。ダウンを奪われたことで、倒し返してやろうと打ちにいってもおかしくない。トレーナーは伊吹の性格を熟知しており、冷静にさせるよう徹した。
ロブレスはどんどん距離を詰めてくる。サイドへ回り、左を伸ばす。ガードを叩く。構わない。少しでも時間稼ぎが出来れば。
だが、ロブレスはそんなに生ぬるい戦法が通じる相手ではない。ジャブにすら速い左オーバーハンドフックをかぶせてきて、積極的に倒しにくる。伊吹は首をひねって外すも、一見喰らっているように見えるせいか観客から悲鳴が上がる。
今度はロブレスの方が強引に行きはじめる。ガードの上に左ストレートを叩きつけ、右ボディーフックから左ストレートを振り抜いた。
ガードはしていたが、圧倒的な威力の前に突き破られる。転ぶように尻餅をついた。
ダウン――強引にねじ込まれた左で、二度目のダウンが宣告される。
悲鳴が上がる中、伊吹は冷静に立ち上がる。スリップ気味のダウンであったはずだが、思ったよりも効いていた。膝が揺れている。ダメージを隠し通さないといけない。
無理だ。誰が見ても伊吹にダメージがあるのは分かる。膝の揺れにも多くの人々が気付いている。
ファイティングポーズ。すでに3分は過ぎている。レフリーもそれを理解しているのか、軽い確認だけで試合が再開された。直後にゴングが鳴り、各自コーナーへと戻っていく。会場からは安堵の溜め息が漏れた。
「よく戻って来た」
トレーナーが伊吹を座らせる。水を飲ませて、深呼吸をさせた。ダメージがあったようだが、伊吹の眼はまだ死んでいない。
「さっきはダウンは取られたけど、やっていること自体は間違っちゃいない」
「はい」
「右を当てたのは良かった。だが、あいつは耐久力もバケモノみたいだ。他の選手と同じ感覚で追撃に行くな。カウンターもそうだし強引に打ち返してくると被弾しやすくなる。一発一発が効くような感じで打て」
トレーナーがもう一度水を飲ませる。セコンドアウトの笛が鳴った。今までで一番インターバルが短いと感じる。トレーナーが微妙に時間を稼ぐ。笛が何度も慣らされて煽られる。伊吹はゆっくりと立ち上がった。
客席を見やる。心配そうな顔で見守る彩音と、神妙な顔で成りゆきを見守る新堂がいた。
「大丈夫だ」
口の動きだけで答える。
伊吹には、彩音のもとへと帰る理由がある。
「ラウンド4」
試合を再開するゴングが鳴った。
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