ライバルの分析
「そうかー。あいつの方が先に世界挑戦か」
新堂が悔しさと嬉しさを混在させた複雑な表情で言う。
都内のカフェ。彩音は新堂と会っていた。スポーツニュースでは「伊吹の世界挑戦が決定か?」ぐらいの情報は出ていたが、世界戦が内定したことまでは公となっていない。
そのため新堂に対して話されたことは、あくまで「ここだけの話」というていで成された。伊吹から許可は取っていた。
当初こそ彩音は「それなら自分で知らせればいいじゃない」と言ったが、それに対して伊吹は「いや、だって王座を獲ったら最初の挑戦者は新堂にするつもりなんだからさ。情が移ってもまずいだろ」と言って聞かなかった。
おそらく伊吹の性格からして、彩音の次に世界挑戦を知らせたかったのは新堂だったのだろう。彼とは苦楽を共にして、プロの舞台でも激戦を繰り広げている。世界の舞台でも新堂と闘いたいと思うのも納得出来る。
新堂はしばらく無言で天井を見つめてから口を開く。
「しかしまあ、妥当だよな。ランキングで言ったら挑戦権は伊吹が持って然るべきだし、俺はあいつに負けているからな」
「うん。それで、その相手のことなんだけど……」
彩音は重い口を開く。名目上は伊吹の世界挑戦を知らせるだけだったが、本来の目的は別のところにあった。
「今度挑戦するロブレスのことなんだけど、彼って良くも悪くも有名じゃない」
「ああ、確かに。体重オーバーで色々怨まれているだろうな。それでも強いからなし崩しで容認されている感はある」
「うん。それで、率直な感想を聞かせてほしいんだけど、新堂君から見て、丈二がフアン・カルロス・ロブレスに勝てると思う?」
「う~ん」
新堂は即答で「勝てる」とは言わず、虚空を見上げて色々と計算をしはじめた。
「五分五分じゃないか?」
「五分五分……」
「うん。ちょっと不利寄りの五分五分じゃないかと思う。客観的なデータだけを見れば」
半分は予想通りで、半分はガッカリだった。
フアン・カルロス・ロブレスの強さはもちろん知っていた。新堂と同じサウスポーでジャブはあまり打たず、利き腕でもある左ストレートを多用する。
パンチの当て勘が異常で、黒人特有のパワーと長いリーチで放たれるパンチは想像以上に伸びて相手をとらえる。そして気付けばノックアウトで終わっているというパターンがほとんどだった。
数多くのボクサーがロブレスに挑んだものの、ことごとくその左ストレートの餌食になっていった。
おそらく一撃の威力であれば新堂以上だろう。そんなパンチを12ラウンドも防ぎ切れるものなのか、それを考えると不安になった。
「まあそんなガッカリすんなって。今言ったのはあくまで一般的なデータってやつだ」
目に見えて気落ちした彩音に新堂がフォローを入れる。
「世に言う絶対王者っていうのは、言ってみれば『まだ弱点が発見されていない王者』ってことだ。つまり、伊吹が勝つには単に誰も突いたことのない弱点を突けばいいだけの話なんだよ」
「まあ、確かに」
「それに世界を獲る人間が前評判で不利予想されている話なんていくらでもある。俺から見て伊吹はロブレスに勝てる可能性がある選手だと思っている。挑戦者ってことで気合も入っているだろうから、いつも以上に鍛え上げてリングに上がってくるだろ」
新堂は「それ以上は話しようがないよ」という風に語った。確かに始まってもいない試合でこれ以上議論してもどこにも行かない感があった。
「まあ、とにかくだ」
新堂は淡々と続ける。
「あいつの世界挑戦が決まったのはめでたい。挑まなければ獲ることだって出来ないんだからな」
「そう……そう、だね」
彩音は半ば強引に納得した。本音を言えば「どうしてもっと簡単そうな王者を狙わないのか」と言ってやりたいところだが、それは部外者が口を出していいことではない。おそらく実際の勝率は五分五分よりもう少し低いのだろうが、伊吹を信じてやろうと思った。
「試合、もちろん来るんでしょ?」
「ああ、そりゃ行くさ」
「3万5千円の席なら用意出来るって」
「げ。……まあ、世界戦ならそれぐらいするか」
「ご祝儀だと思って払えばいいんじゃない?」
「分かったよ。でも、あいつには二回もご祝儀を支払うのか」
呻きながら放たれる新堂の言葉に、彩音は思わずドキっとした。
伊吹が世界を獲ったら彩音と結婚する可能性は高い。周囲の人間もそのような認識であると思い知らされた気分だった。新堂の言葉は理解出来たが、あえてスルーした。
次の世界戦で懸かっているものは、単に世界王座だけではない。それを改めて認識させられた気がした。
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