第23話 ナイスキャッチ

 イヴォンヌは、突き刺すような視線をクロエに投げかけた。最早、一片の取り繕いも捨て、混じり気のない憎悪をぶつける。


 クロエは、最初からルーシーとサリーを会わせる気なんてなかった。イヴォンヌをおびき出す罠に過ぎなかったのだ。今頃真意を悟り、唇を噛むがすでに遅い。クロエから促されるままに馬車を降りる。


(でもまだ諦めるのは早い。ルーシーはきっとギルバート様を呼びに行ったんだわ。クロエは逃げたなんて言ったけど、あの子が裏切るはずはない。大丈夫、まだ希望はある)


 そうであれば、イヴォンヌのやることは一つ、なるべく時間稼ぎをすることだ。諦めたらそこでおしまいだ。最後まで希望を持つのだ。


 馬車の到着を聞きつけた屋敷の主人が家から出てきた。この男がコリンズなのだろう。予想通りのだらしない見た目の男だ。ぶよぶよした体型に昼間から酒臭い息を撒き散らし、イヴォンヌを目にして下卑た笑みを浮かべている。イヴォンヌが反射的に顔をしかめると、クロエは反対に嬉しそうな笑みになった。


「これがイヴォンヌ嬢か。なるほど美しい娘だ。前はちらとしか見れなかったが、私の目に狂いはなかった。やあ、ようこそ我が家へ。ぜひお会いしたかったんだよ」


 猫なで声に寒いぼが立ちそうになるが、イヴォンヌは無表情で会釈した。


「突然のことで正直戸惑っているのですがご用は何でしょう?」


「いやね、前にご実家でお見かけして、ぜひお近づきになりたいと思って――」


「どうやらご主人と不仲で別居しているらしいの。私も親として心配で」


「おお、それは心配だな。歳の差が大きいとなかなか気が合わないと聞くが、その点私は40だ。20歳差ならましだろう」


 クロエが頬に手を当てながらわざとらしく言うと、コリンズも同じくらい芝居がかった様子で答える。コリンズが40歳と聞いて、イヴォンヌは心の中で呆れ変えった。


 30歳差が20歳差になっただけなのに、何を威張っているのか。これならギルバートの方がよほど若く見える。不摂生が祟るとここまで見た目に影響するものかと驚くばかりだ。


「私は別にお会いしたいとは思いません、特に用事がないようなら帰らせて欲しいのですが?」


「ごめんごめん。怒らないでおくれよ。まずはお近づきの印にお茶でもどうかな? さあさあ、うちに入って」


「申し訳ありませんが、お茶をいただく理由がどうしても思いつかないので失礼させていただ――」


「こら! イヴォンヌ! 目上の方に対してその口の利き方はなんです? これだから小さいうちに躾をちゃんとしないとダメなのよ」


 クロエに父母を侮辱された気になって頭にかっと血が上ったが、ここで激昂してはいけないと堪える。まだだ。まだ切れてはいけない。


「ま、まあ、立ち話も何だからさ、中にお入りよ」


「できれば外で用件を済ませてくれた方が……」


「何つべこべ言ってるのよ! さっさと入りなさい!」


 クロエに怒鳴られ、いつの間にか屈強な使用人がイヴォンヌの背後に回ってきた。どうやら、ここで時間稼ぎをするのは限界のようだ。無理やり押される形で家に入らされた。


「お近づきの印にお茶を飲むだけなんだからさ。怖い顔しないで」


 コリンズの笑顔がますます怪しい。よからぬ企みがあるのは確かだろう。一体どこまで自分の予想が当たるのか、イヴォンヌは背筋がぞくっとした。


 押し流されるように部屋に通されたが、ドアに近い席に自分から座り、何かあればすぐに逃げられるようにする。


 お茶が振る舞われても手を付けず、クロエとコリンズがにこやかに談笑するのをじっと見ていた。二人で場の雰囲気を和やかにする作戦なのだろう。その手には乗らないぞと身構える。


「イヴォンヌ嬢は、サッカレー元中佐とは話が合ったのかね? 30歳差だっけ? 親子ほども離れてたら共通の話題なんてなだろう? その点私は彼より年下だから若い人の気持ちも分かってやれる」


 コリンズは、無意味な年下アピールに余念がない。イヴォンヌは内心で軽蔑しながら彼の言葉を聞いていた。


「別に歳の差なんて関係ありません。大事なのは二人の相性です。私たちは実に馬が合いました」


「イヴォンヌ、無理しなくていいのよ。その、あなたたちには……何もなかったということはコリンズさんもご存じだから」


 それを聞いて、さっと顔が熱くなる。コリンズは下卑た笑みを隠せていない。やはり、彼らの目的はイヴォンヌなのだ。イヴォンヌは怒りを抑えながら、抑揚のない声で話した。


「初めて会った方にそのような話題はやめてもらえますか……。それに、先ほどから私のことを『嬢』と呼んでますが、私は既婚者です。それにふさわしい呼称をしてください」


「だって、君たちは本当の夫婦じゃないんだろう? こんなに可愛い女の子に指一本も触れないなんて、男としては失格だよ。全くもって失礼な奴だ」


「何をおっしゃるんです? どんな形であれ、この国は神の前で誓ったことが全てです。ギルバート・サッカレーが私の夫で、他人が付け入る余地はありません」


「彼は君を満足させられなかったんだよね? もしかして年齢的にもう無理なのかな? かわいそうに。でもまだ私は現役だよ。君を十分に喜ばせることができる。若い身空でうずく体を持て余すほど残酷なことはない。どうか私の元に来ておくれ」


「やめて! 気持ち悪い! もう限界よ!」


 たまらず立ち上がって叫んだところでしまったと思った。なるべく話を長引かせて時間稼ぎする作戦だったのに、気持ち悪さが先に立って我慢できなくなってしまった。「体がうずく」のところでもう無理だった。


「とにかく帰らせていただきます。別に離婚するつもりはないし、他の男性を選ぶこともありません。では、失礼」


「ちょっと待ちなさいよ! あなた、タダで帰れると思ってるの?」


 クロエが金切り声をあげて立ち上がった。やはり簡単に帰さないつもりだ。イヴォンヌも負けじと叫び返す。


「ふざけないでよ! 私に指一本でも触れてごらんなさい。夫が黙っちゃいないから! 後でどんなバチが当たるか考えなさい!」


「親に向かってその口の利き方――」


「誰が親よ! 娘をスケベジジイに売るようなのが親なわけないじゃない!」


「こうなったら先に既成事実を作ればいいのよ! みんな、イヴォンヌを捕まえて!」


 部屋の中は大混乱になった。イヴォンヌとクロエが取っ組み合いの喧嘩をするうちに、先ほどの屈強な使用人が部屋に乱入してきた。彼はイヴォンヌを捕まえ、軽々と肩の上に持ち上げる。


「いいぞ! そのまま寝室へ連れて行け!」


 コリンズの指示に従い、男は荷物のようにイヴォンヌを抱えながら二階の階段を上っていった。イヴォンヌは髪を振り乱し、手足をジタバタさせるが、まるで効果がない。


 まずい。このままじゃ本当に手篭めにされてしまう。イヴォンヌは、二階の寝室に運ばれ、ベッドの上に乱暴に放り投げられた。


「やめなさいよ! 誰があんたなんかに!」


「私だってこんなことはしたくないよ! でも後で感謝することになるから――」


「ふざけんな! 近寄って来たら舌を噛んでやるから!」


 イヴォンヌとコリンズは揉み合いながらベッドの上で乱闘した。ドレスがめくり上がってあられもない姿を晒してしまうが、貞操の危機の前にはなりふり構っていられない。


 決着が付かないのを見て、さっきの男がコリンズに加勢しようとした時、玄関のベルがけたたましく鳴り響いた。続いて、蹴破る勢いでドンドンと叩く音もする。


「おい! ここを開けろ! サッカレー夫人がいるんだろ!」


 この声に、その場にいた者たちは全員はっと息を飲んだ。使用人は慌てて階下に駆け下りる。コリンズと二人きりになったのをいいことに、イヴォンヌは、ドアの前に立っていたクロエも突き飛ばして部屋を出ていった。


「逃げても玄関しか出入り口はないわよ!」


 クロエの声が聞こえるが、何も一階だけが出入り口ではない。いざとなれば二階から飛び降りることだってできるじゃないか。


 そんなことを思いながら廊下を走っていると、玄関上部に突き出るバルコニーが目に留まった。ここならば、助けに来た人のところに行けるかも。そう思い、かんぬきを外して勢いよく飛び出した途端、最愛の人と目が合った。


「イヴォンヌ! イヴォンヌ!」


「ギルバート!」


 よかった、来てくれたんだ! 下を見ると、ギルバートの他にファーガソンと彼の友人らしき者もいて、玄関で使用人たちと口論をしていた。その様は、今まで見たこともないほど荒々しく、軍隊で鍛えた実力を如何なく発揮しているかのようだ。ファーガソンのあの折り目正しい姿はただの仮面に過ぎなかった。


「イヴォンヌ! 今すぐこっちにおいで!」


「え? でもここからじゃ……」


 すると、ギルバートは何の迷いもなく、両手をイヴォンヌがいる上の方に差し出した。


「そんなの無理よ! あなたが潰れちゃうわ!」


「大丈夫! ちゃんと受け止めるから! 安心して飛び降りるんだ。一刻も早くこんな所から出よう!」


 そんなの成功するわけないじゃないか。こんな時重傷を負うのは下敷きになるギルバートの方になのに……と心が乱れたが、クロエとコリンズがじりじりとこちらに近づいてくるのが見え、半ばやけくそにえいやっとバルコニーの柵を飛び越えた。


「あっ! そんなことをしたら!」


 どうにでもなれという気持ちでイヴォンヌの体が宙に浮く。ギルバートは、まっすぐ両手を出して彼女をしかと受け止めた。衝撃のあまり倒れそうになるが、後ろに一歩二歩後退しただけで、両足を踏ん張って持ちこたえてくれた。


 二人とも地面に放り出されるのを覚悟していたのに何ということだ。でも、今はそんな奇跡を喜ぶ余裕はない。ギルバートはすぐに馬にまたがり、そこにイヴォンヌを乗せ、一目散にこの場から駆け去って行った。

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