第22話 裏切り

 ちょうどその時玄関から物音がした。ルーシーが帰ってきたのだ。イヴォンヌはハッとして、クロエはニヤリと笑いながらこちらに近づく足音を聞く。


「お客様が……ひっ! 奥様!」


 客人が来るとは予想してなかったのだろう、怪訝な表情で部屋に入ってきたルーシーは、クロエを見るなり卒倒せんばかりに驚いた。


「あら、裏切り者のご帰還ね。よくもまあ、平気な顔して仕えてこれたわね?」


「すいません! 妹のことで脅されて言うことを聞くしかなかったんです! サリーがお金を盗んだとかで、従わないと告発すると脅されて……申し訳ございません!!」


 ルーシーは土下座せんばかりにイヴォンヌの元にひざまずいて許しを乞うた。ルーシーとその妹サリーは、親の代からカスバート家に仕える一家であり、使用人の中でも古参の方だ。サリーのこともイヴォンヌはよく知っていた。


「まさか、サリーはそんなことをする子じゃないわ! あなただって分かってるでしょう?」


「でも、本人に会わせてもらえないので確認のしようがなかったんです。手紙を送っても返事が来ないし……。こっそり会おうとしてもガードが高くて疑心暗鬼になってしまいました。それでイヴォンヌ様の様子を伝えるくらいならと魔が差して……」


 ルーシーは、ぐずぐずと泣き出した。いつも冷静でクールな彼女がこんなに感情を乱すなんて余程のことだろう。最近元気がないと思っていたのは気のせいじゃなかった。もっと早く気づいてあげればよかったと悔やまれる。


「大丈夫よ、ルーシー。サリーが盗みなんてする子じゃないのはあなたが一番よく分かってるじゃない。私だって彼女を信じてる。みんなこの人のでっちあげだから心配しないで」


 イヴォンヌは優しい声でルーシーに語りかけた。本当は姉妹二人とも自分のお付きとして雇いたかったのだ。一人だけと言われてルーシーのみにしたが、姉妹を引き離すべきではなかった。こうなった責任の一端は自分にもある。


「イヴォンヌ様……すいません……本当にごめんなさい……私ったら馬鹿なことを……」


「そんなの分からないじゃない? サリーがシロだって言う根拠は?」


 クロエが木で鼻をくくったような態度で反論する。イヴォンヌも負けじときっと睨み返した。


「あなたの言葉なんてこれっぽちも信用できないわ。それならどうしてサリーを会わせなかったの? 嘘がバレるからでしょ?」


「あら、言うわね。それなら会わせてあげましょうか。妹に? 直接話を聞いてみる?」


 ルーシーは涙で汚れた顔を上げてイヴォンヌと顔を見合わせた。クロエの言葉は当てにならないが、サリーに会えるなら直接話を聞けばそれで済むことだ。イヴォンヌも了承し、クロエが来た馬車でカスバート邸に行くことになった。


 クロエとイヴォンヌとルーシーは、二頭立ての馬車に乗り込んだ。イヴォンヌとルーシーは寄り添うように並んで座り、向かい合いのクロエをじっと睨む。


「当初の予定通りだから。馬車を出して」


 クロエが御者にに命じ、馬車は3人を乗せて動き出した。


 3人が狭い空間で膝を寄せ合う形になり、ルーシーは申し訳なさそうに身を縮めた。ここまで打ちひしがれなくてもいいのに。イヴォンヌはいたたまれなくなったが、ルーシーの悔恨の念はそれだけ大きいのだろう。


 自分こそ後悔の念が募る。四面楚歌だった実家で親身になってくれた使用人の姉妹をもっと大事にすべきだった。


 そんなことをつらつら考えていたイヴォンヌだったが、ある違和感を覚えた。


「待って、道が間違ってるわ。このまま行っても実家には着かない」


 うなだれていたルーシーもはっとして顔を上げる。だが、クロエは笑みを深くした。


「ちょっとね、その前にあなたに紹介したい人がいるの。ついでだから付き合ってよ」


「サリーから話を聞く以外は付き合うつもりはありません。お断りします」


 クロエとイヴォンヌがギスギスしたやり取りをしている間、ルーシーは何かに気づいたようで途端に顔を歪ませた。


「誰に会わせるつもりなんですか?」


「いやね、うちによく来るカード仲間の紳士があなたを気に入ったそうなのよ。まだ手もついてないみたいだし、せっかくだから紹介しようと思って」


「もしかして……コリンズとかいう中年の男ですか?」


 ルーシーはそう言うと、これまでにないくらい顔を歪ませてクロエを睨んだ。クロエは何も言わなかったが、にいと口を横に開いたので間違っていないのだろう。


 さっきまで憔悴しきっていたルーシーは、今度は別の意味でガタガタ震え出した。おそらくイヴォンヌと同じことを考えているのだろう。クロエが懇意にする相手なんて碌な人間じゃない。そして中年男とイヴォンヌを引き合わせる理由。イヴォンヌも嫌悪感で鳥肌が立ったが、努めて感情を隠すようにした。


 一方ルーシーは、両手のこぶしを膝の上に置きじっとしていたが、道が渋滞して馬車が減速したタイミングで、勢いよくドアを開けて外に飛び出した。


「ちょっと、何するのよ! お願い! あの女を捕まえて!」


 クロエは馬車から身を乗り出し、金切り声で通行人に呼びかけたが、脱兎の如く走り出したルーシーは、ちょうどその時反対方向を走っていた乗り合い馬車に飛び乗り、そのまま遠くへ行ってしまった。あまりに軽い身のこなしにクロエもイヴォンヌも呆気に取られる。


「あの女もとうとう本性を現したのね。忠実な振りをして最後は呆気ないわね。妹と会わせてもらえないと悟ったら、いち早く逃げるなんて!」


「そのコリンズって何者?」


「あなたは家でも部屋に引きこもっていたから知らないでしょうけど、よく家でカードをするのよ。その遊び仲間の男性があなたを気に入ってくれてね? 最初は彼と結婚させてあげようと思ったの」


「は? どういうこと?」

 

「カードは弱いんだけどね、それを補って余りある財産を持ってるから手頃だったのよ。一度家であなたを見かけてから気に入ったようよ?」


「それも中年の後妻?」


「初婚よ? 娼婦以外に抱いたことはないらしいけど、あなたに一目惚れしたんですって。どこがいいのかしら、こんな面白みのない女」


 そういうことか。クロエは、その辺のだらしない中年男とイヴォンヌを結婚させようとしたのだ。そこにギルバートが横槍を入れた。多額の金を受け取り一度は溜飲を下げたものの、イヴォンヌが別居したと聞きつけ、まだ利用価値があると判断したのだろう。


 安心なんてできるもんか。今度こそクロエが嘘をついていないなんて信じる方がどうかしてる。イヴォンヌは怒りの余りわなわなと震え出した。


 クロエはどこまでもイヴォンヌの尊厳を下げたくて仕方ないのだ。ここまで執念深い人間だとは思わなかった。


 自分がここまで恨まれることをしたのだろうか。もしかしたら、クロエは、軽い気持ちでやっているのかもしれない。蟻の行列を踏みつけて遊ぶ子供のように。そう考えたら、背筋がゾワっとした。


「着いたわ。大丈夫、ちょっと挨拶するだけだから。取って食うようなことしないわよ」


 クロエの声に呼応するかのように馬車は止まり、馬のいななきが聞こえた。

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