第21話 直接対決

 ギルバートとの応酬があった日の翌朝、イヴォンヌは荷物をまとめて家を出て行った。ルーシーだけ連れて他の使用人には一言も告げず。


 最初はホテルに泊まり、ルーシーに部屋を探してもらってからはそちらに移り住んだ。ギルバートの屋敷からはそんなに離れてないが、王都の中心部で人口が多いので、見つけるのはそれなりに困難だろう。移り住んで二週間ほどになるが、まだ誰も訪ねてこない。

 

「悪いわね、ルーシー。あなたまで付き合わせてしまって」


「いいえ、私はイヴォンヌ様にお仕えする身。どこまでも着いていくのは当然でございます」


 とは言うものの、ルーシーの表情は暗かった。やはり彼女に無理をさせているのは確かだろう。そう言えば、ここしばらくルーシーの様子がおかしい。いつか尋ねようと思っても、自分のことにかまけてしまいどんどん先延ばしになっている。今もなお、他人を気遣う余裕があるとは言い難い。


 もちろん、こんな形で別れるのは失礼だという気持ちはある。しかし、短期間とは言え、彼との思い出が詰まったあの屋敷に留まることはできなかった。初恋が見るも無惨に砕け散った後では、彼を目に入れるだけで正気を保てないと判断したのだ。


 今はまだ手持ちの資金でどうにかなるが、長期的には働くことを視野に入れなければならないだろう。自分みたいな者を受け入れてくれるところはあるのだろうか。そもそも、今の宙ぶらりんの状態がいつまで続くのか。短期的な展望も描くことができなかった。


「イヴォンヌ様、用事があるので少し出かけてもよろしいでしょうか?」


「もちろんよ。あなたにも苦労かけて悪いわね。何か心配ごとがあったら私でよければ相談して。最近元気ないみたいだから」


 ルーシーの方が年上なのだが、最近負担を強いてることもあって労りの声をかける。すると、ルーシーはハッとして一瞬泣きそうな顔になった。うん? と思った時には元に戻っていたが、なぜか心に引っかかる。


「あの、すぐ戻って来ますので」


 そう言ってそそくさと出ていく。何をそんなに急いでいるのだろうと思いながら、イヴォンヌは家の整理をした。


 ギルバートの家では甘やかされていたが、元々実家では自分のことは自分でやっていた。だから、突然の単身暮らしでも不自由することは少ない。


 18歳までは寄宿舎暮らしをしていたが、元は修道院で自律をモットーとした厳しい校風だったのでそこで随分鍛えられた。この経験が実家でも生かされ、クロエの嫌がらせで使用人を回してもらえない時にも難を切り抜けることができたのだ。


 人生何が役立つか分からないわねと一人自嘲する。この分なら今回の失恋も後々糧になるのではないか。今はとてもそんなことは考えられないけど。


 そんなことを思っていたら、玄関のベルが鳴った。ルーシーが戻ってくるにはまだ早いわねと怪訝に思いながらドアを開ける。何とそこには、思いがけない人物が立っていた。


「ごきげんよう、イヴォンヌ。久しぶりね」


「お義母様……」


 あまりのことで咄嗟に言葉が出ない。なぜクロエがここを知っているのか? イヴォンヌとルーシーしか知らないはずなのに。


「あら、どうしたの? そんなに驚いた顔をして? 娘を心配するのは親の務めでしょう? ルーシーが教えてくれたのよ、ここの場所だけじゃないわ。あなたたち夫婦がまだシてないことも」


「ルーシーが!? そんなの嘘よ!」


「疑うなら本人に聞いてみれば? 逐一情報を流してくれたわよ? メレディスの息子に言い寄られたことも。夫がいるのに若い男に色目を使うなんて嫌らしい女ね!」


 そんな、ルーシーに裏切られていたなんて……。クロエの前では常に気丈に振る舞うイヴォンヌでもショックが隠せなかった。もう誰を信じればいいのか分からない。


「いつまで客を玄関に立たせるのよ。ぼーっとしてないで案内なさい。気が利かない子ね」


 クロエはそう言うと、呆然と立ち尽くしたままのイヴォンヌを押しのけてズカズカと家に上がり込んできた。来客用のソファを見つけどかっと座る。


「一体何しに来たんですか?」


「あなたがどんな顔してるか見たくて来たのよ。旦那に捨てられたんでしょ? 手も付けられずに。余程魅力がなかったのね!」


 癒えてない傷口に塩を塗り込まれるようなことを言われ、イヴォンヌはかっとなった。ダメだ、ここで感情的になったら相手の思う壺。その手に乗ってはいけないと必死で平静を装う。


「夫は私の名誉を尊重してくれただけです。二人の間にどんなやり取りがあったか知らないくせに、よくそんなことが言えますね?」


「どんな事情があれ、夫に触ってもらえない妻ほど惨めなものはないわよ? そう強がらなくていいのに?」


 どこまでもムカつく奴だ。イヴォンヌは年長者への気遣いもかなぐり捨てて、クロエをきっと睨んだ。


「惨めな様子を見られて満足ですか? それならとっととお帰りください。生憎、客人に出すお茶もお菓子も切らしてるので」


「そんなの必要ないわよ。あなたの悔しがる顔が一番のご馳走だもの。今日はいいものが見れたわ」


「どうして私をそこまで憎むんですか? かつて父に助けられたんでしょう? それなら感謝こそすれ、憎む理由なんてないじゃないですか!」


「その訳知り顔が一番ムカつくのよ!」 


 見せかけの慇懃さすらかなぐり捨て、感情を露わにしたクロエを見て、イヴォンヌは体をびくっと震わせた。


「あんたの父親のせいで夫は死んだの!あの時! 作戦が失敗してなければ! それなのにえっらそうに何が罪滅ぼしよ! 本当に申し訳ないなら代わりに死んでくれればよかったのに! その癖私には指一本触れないのよ? やましい気持ちからじゃないとか一丁前のこと言ってたけど、聖人かっての! 前の妻とは子供まで作ってたくせに!」


 半狂乱になってまくし立てるクロエを、イヴォンヌは呆気に取られて見ていた。クロエは、事あるごとに悪意をぶつけてきたが、ここまで本音を曝け出すのは初めてだ。今までこんなことを考えていたなんて……。


「父は父なりに仁義を通したのよ。ギルバート様もそうだった、大事だからこそ触れないとおっしゃってた。あなたは曲解しただけなんじゃないの?」


「子供だったくせに見て来たようなこと言うんじゃないわよ!」


 金銭的援助の代わりに性的な見返りを要求するのを良しとしない感覚はクロエには理解できないのだろうか。触れられないのを侮辱の印と受け取ったのだろうか。イヴォンヌとは価値観が違うことをまざまざと再認識した。


「分からない……。別に感謝しろとは言わないけど、私まで憎む理由が分からない。一体何をしたと言うの?」


「理由なんてないわ。積極的に死んで欲しいわけじゃなかったけど、病気であの人が亡くなった時、これで本当に自由になれたと思った。立派な家と財産を遺してくれたのはラッキーだった。でも、あんただけが邪魔だったのよ。冷めた目をして大人を馬鹿にするようにジャッジする感じが生意気で我慢ならなかった。あんたは異質な存在。同じ家に異物が混入して欲しくなかったの!」


 一瞬同情しかけた気持ちがこれで綺麗に消え去った。父と心を通わせられなかった後悔はあるのだろうが、それがイヴォンヌを蔑ろにしていい理由にはならない。


 当時、幼いのに誰にも頼れずどんなに寂しい思いをしたか。寄宿舎にいても、長期休暇で楽しげに実家に帰る級友たちをどんな思いで見つめたか、いくら説明してもきりがない。


「私だってただの子供だった……。ぞんざいに扱われていい存在じゃなかったのよ……」


 悔しくて涙が出そうになる。子供の頃の自分がいたら抱きしめて慰めてやりたい。でも、クロエの前で涙を見せるなんて、イヴォンヌの矜持が許さなかった。

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