第16話 思わぬ横槍
ギルバートの戦友のアーサー・サリバンがサッカレー邸にやって来たのは、舞踏会から数週間後のことだった。
「やあ、久しぶり。結婚披露パーティーにも来なかったからどうしたのかと思ってたんだよ。確か、持病のリウマチが悪化したんだっけ? あれからどうした? 今日来られたということはよくなったのか?」
「ああ、それはともかく、少々面倒なことになってな……。種を蒔いたのは私だから、説明に伺わないとと思って」
どこか、歯に物が挟まったようなアーサーの物言いに、ギルバートは、うん? と首をかしげた。
「メレディス氏を知ってるだろう? そうそう、メレディス家と言えば多数の軍人を排出してる名家だ、今の当主は軍人じゃないが、親戚には何人もいる。最近彼と会う機会があってね、そこで息子の話になったんだよ」
息子、と言うと、先日の舞踏会で会ったスチュワートのことだろうか。イヴォンヌとダンスをした青年を思いだした。
「ご次男のスチュアートという若者は、ハンサムでモテるらしいんだ。何でも、女性たちの間では『結婚したい男ナンバーワン』だとか。スチュワートも適齢期だからあちこちから声がかかるんだが、本人は本当に気に入った相手としか結婚したくないらしい。そのことで父親はずっと悩んできた。それが珍しく、気に入った女性が現れたと親に相談してきたんだ。しかし、困ったことに相手が既婚者だった」
「既婚者じゃダメじゃないか? はなから見込みない」
「それが何と、イヴォンヌなんだよ。お前の奥方だ」
「何だって!?」
この時ばかりは、ギルバートも一瞬紳士の顔をかなぐり捨て、目を丸くして身を乗り出した。
「メレディス氏は大層悩んでなあ。息子が家で女性の話をするなんて今までなかった、本来は喜ばしいこよなのに既婚者じゃどう諦めさせようかと苦しんでいたので、つい言ってしまったんだ」
「まさか、白い結婚の話を?」
さすがのギルバートも声がひっくり返ってしまう。アーサーは、気まずそうな表情で首を縦に振った。
「イヴォンヌにふさわしい相手が現れれば、いつでも身を引こうと言ってたじゃないか。私は、お前が気に入れば本当に好きになってもいいんだぞと言ったが。それとも、二人は本当の夫婦になったのかい?」
「まさか! そんなわけないじゃないか! 私にはクララがいるんだぞ!」
つい慌てて否定してしまう。いや、本当の夫婦になってないのは正しいが。ギルバートは、柄にもなくすっかり取り乱してしまった。
「誰にも口外しないと誓ったのに喋ってしまいすまない。実は、メレディス氏にはちょっとした恩があったんだ。それもあって、彼が息子のことで真剣に悩んでいるのが放っとけなくて……」
「いや、いいんだよ。お前が謝ることじゃない。しかし、イヴォンヌを気に入ったとは……。彼女が知ったらびっくりするだろうな」
ギルバートから見ても、イヴォンヌは美しいと思う。それだけじゃない。意思が強くてひたむきで理知的で……。彼女と少し話せば、その魅力に気づくだろう。スチュワートの見立ては正しいと認めざるを得ない。
「イヴォンヌに話すか話さないか。これはお前が決めていい。彼女を気に入っていればそのままでいいし、逆にスチュワートと引き合わせても構わない。それについては、私は何の意見もないから、お前に全て委ねる」
そんなことを言われても……。ギルバートは、選択権を与えられて途方に暮れてしまった。どうするのがイヴォンヌにとって最良なのか。そんなの分かりっこない。
(いや、何でここで迷うんだ? 渡りに船じゃないか? イヴォンヌの幸せを考えたら、将来のある若者に嫁がせるのが一番だ。最初からそのつもりだったはず。いや、そのスチュワートという青年はしっかりした人間なのか? いやいやそんなことより)
ギルバートは、ある重大なことに気づいてしまった。
(どうして私はこんなに焦っているんだ? イヴォンヌが自分の元から離れるかもしれないのが、どうしてこんなに怖いんだ?)
ここまで分かってしまったら、結論は簡単に出る。ギルバートは自分の変貌ぶりに恐れおののいてしまった。まさか、こんなことになるなんて。
みるみるうちに顔面蒼白になる。アーサーもギルバートの異変に気づき、どうしたのかと尋ねるが、適当な答えしかできない。
結局、アーサーに早めに帰ってもらい、その日は部屋から出てこなかった。
**********
ギルバートから話があると言われ、イヴォンヌは居間にやって来た。彼と顔を合わせる機会は普通にあるが、向こうから呼び出されるのは初めてだ。一体何の風の吹き回しか?
やがて、ギルバートが部屋に入ってきた。顔色がよくないので、どこか具合が悪いのかと不安になる。どうしたのかと声をかけようとしたが、誰も寄せ付けない深刻そうな顔をしていたので声をかけそびれてしまった。
「イヴォンヌ、急に呼びつけてしまってすまない。ちょっと言っておきたいことがあって」
「話なら温室に伺った時でも聞けますのに、何かあったんですか?」
「そう……その何かなんだ、実は。その……何と言っていいのか」
ギルバートはなおも言い及んでいるようだった。それほどまでに言いにくいことなのか。やがて、彼は意を決したように口を開いた。
「その……最近メレディス氏のご子息と親しいと聞いたが。やはり、同年代同士の方が話が弾むのかい?」
なぜ急にスチュワートの話が? イヴォンヌは、目を白黒させながら、ギルバートの言葉の真意を探った。
「親しいとおっしゃられても……? 社交の場で何度か会って談笑する程度です。親しいというほどでは……」
「いや、責めてるわけじゃないんだよ。むしろ推奨してるといってもいい。元々これは白い結婚なわけだし、君が外に出会いを求めるのは何ら悪いことじゃない」
「だから、特別親しい仲ではありませんってば。何か勘違いしてません?」
眉間に皺を寄せるイヴォンヌを見て、ギルバートは焦った表情を浮かべた。
「ごめん、ごめん。君がどうと言うことではなく、逆に先方から打診があったんだ。その、メレディス家の方から」
「はい? メレディス家からとはどういうことでしょうか?」
「その、ね? 私にこの白い結婚を持ちかけた友人がメレディス氏と懇意にしていて、その、私たちのことをうっかり喋ってしまったらしいんだ。何でも、ご子息が君を気に入ったが既婚者なので困っていると聞かされて」
「スチュワートが? 私を?」
イヴォンヌは目を丸くしてそれだけ言うのがやっとだった。スチュワートがイヴォンヌを好いているなんて知らなかった。特別そんな素振りはなかったように記憶してるが、彼女が既婚者だから表に出せなかっただけなのだろうか?
「スチュワート氏は、ずいぶん女性にもてはやされると言うじゃないか。それなのに、彼から惹かれたのは君だけらしいんだ。だからきっと本気なんだろうが、既婚者を好きになってしまったと苦しんでいるらしくて。それなら誤解だと教えてやりたくなるのも人情だと思う」
「どこが人情なんですか? 既婚者を好きになるなんておかしいじゃありませんか!」
「でも、私たちは、見ての通り『白い結婚』だから。君の自由意思を縛るつもりはないし――」
ギルバートがそこまで言った時、たまらずイヴォンヌは立ち上がった。
「私の『自由意志』が今のままでいいと言ってるんですよ! それとも、あなたは私が邪魔だったんですか?」
「いや、邪魔だなんて滅相もない。ただ、私のような老いぼれと一緒にいて迷惑なんじゃないかと心配になったんだ」
「それに、あなたには『クララ様』がいらっしゃいますしね!」
クララの名前が出て空気が凍りつく。イヴォンヌはしまったと思ったが、もう口に出した後だった。何とか収拾をつけなければと思ったが、自分から謝るのも何か違う。いたたまれない気持ちのまま居間を飛び出し、自分の部屋に閉じこもってしまった。残されたギルバートは、じっと固まったまま途方に暮れるしかなかった。
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