第15話 夫のやきもち

 こちらから訪問するより、結婚披露パーティーを開けば一回で済む? そんなわけなかろう。社交は一度きりで終わらない。「前回呼ばれたから今度はこちらから呼びましょう」となるのは必然。ギルバートは、どうしてそんな簡単なことに気づかなかったのだろうと、今更ながら思った。


 というわけで、長らく世捨て人のように過ごしていたギルバートだったが、再び社交行事の招待状が届くようになった。クララが生きていた頃は、普通に交友していたので「新しい妻を得て深い悲しみから立ち直ったのだろう」と判断されたらしい。本当のことを説明するわけにもいかず、やれやれという思いだ。


 それでも、自分でも意外だが、思ったより煩わしいと思わなくなった。以前のような捨て鉢な感情は消え去り、マイペースに社交を復活させていこうという前向きな気持ちに変わったのだ。 


 これはどうしたことだろう。イヴォンヌの影響か? まだ自身の変化に戸惑うばかりで、理由を深く考える余裕はないが。


 この日も小規模な舞踏会に参加した。候補はいくつかあったが、スタンレー伯爵夫妻も出席すると聞いて選んだのだ。友人と一緒ならイヴォンヌも心強いだろう。

 

「イヴォンヌ素敵だわ。満点の星空をそのまま切り取ったようなドレスね。ビジューがキラキラ光ってる」


 スタンレー夫人は開口一番、イヴォンヌの着飾った姿を褒め称えた。夫人だって十分美しいのに、他人への心配りを忘れないのが友人が多い所以なのだろう。


 イヴォンヌも、社交界の華のスタンレー夫人に見初められたことで注目される機会が増えてきた。この分なら、クロエの流した悪評ももだんだん薄らいでいくかもしれない。


「あなたがイヴォンヌさんですか。妻から話は聞いてます。軍人の誉れ高いサッカレーさんが、再婚なさると聞いた時は驚きましたが、こんな美しい方なら納得だ」


 スタンレー夫人の隣にいるのが夫のスタンレー氏だ。夫人同様朗らかな人で、ギルバートとも久しぶりに会って、お互い労いの言葉をかけあった。


「あなた、結婚してからは他所の舞踏会は初めてよね? 初顔の人もいるだろうから私が案内するわ」


 スタンレー夫人が意気込んでイヴォンヌに話しかけているところに、一人の若い青年が近寄ってきた。


 見覚えのない顔に、ギルバートは首をかしげる。顔立ちの整った快活な青年だ。親しげにイヴォンヌに話しかけている。なぜこのような人物とイヴォンヌが知り合いなんだ? 意外な展開に目をぱちぱちさせた。


「紹介しますね、メレディス家のスチュワートさんです。先日の集まりで、お義母様と一悶着あった時に仲介してくださったんです」


 何? クロエと一悶着? 自分が引きこもっていた時のことだ。ギルバートは思わず目を丸くしてイヴォンヌをまじまじと見つめた。


「ごめんなさい、お義母様とのこと言ってませんでしたね……。つい言いそびれちゃって」


「そんなことがあったんですね。妻がお世話になりました。お助けいただき感謝します」


 相手が若者だからと言って、尊大な態度を取るなんてことは決してしない。しかし、彼の心中は複雑で、ポーカーフェイスを気取るのが精一杯だった。


 イヴォンヌが自分以外の男性と知り合うなんて。いや、結婚したからと言って、男性の友人を持つのが悪いと言ってるんじゃない。ただ、彼はイヴォンヌと同年代で、男の自分から見ても実に魅力的じゃないか……。なぜか、ギルバートは、自分でもびっくりするほど心がざわめいた。


「お近づきの印に、イヴォンヌさんにダンスの申し込みをしてもよろしいでしょうか?」


 スチュワートは悪戯ぽい視線をこちらに向ける。既婚者は夫以外の男性とダンスをしてはいけないという決まりはない。そんなことは分かっている。だが、心理的な抵抗がギルバートの中に生じた。


「もちろん。イヴォンヌ、行っておいで」


 (何を強がってるんだ。本当は嫌なくせに)と内心毒づきながら、にこやかな笑みをたたえて妻を送り出す。


 こんな時に如才ない反応ができてしまう自分が嫌になる。軍隊時代も、交渉や調整の場において本心を隠すのは得意とするところだった。長年培ったスキルがこんなところで役に立つなんて皮肉なものだ。


 イヴォンヌはギルバートの笑顔を見ると、安心したようにスチュワートの手を取った。どんどん小さくなる妻の後ろ姿を見送って複雑な気分になる。同時に、どうしてこれしきのことで複雑な気分になるのか、二重に混乱した。


(まさか、この私がやきもちを焼いてるだと!? あの若者に?)


 なんてこった。このおいぼれが嫉妬するなんて浅ましいにも程がある。クララという妻がいるのに! ギルバートは一人愕然としたが、イヴォンヌは、そんな彼の内心など知る由もなく、スチュワートと踊っていた。


**********


 結婚前は、若い男性に声をかけられるなんてあり得なかった。みなクロエが流した噂を信じていたから、イヴォンヌは避けられていたのだ。結婚した後になってこのような事態になるなんてと乾いた笑いが出てしまう。


(どうせなら、もっと早く見つけてくれればよかったのに。もっとも、今の私にはギルバート様がいるから関係ないけど)


 いくらスチュワートが魅力的な男性だからって心移りなんてしない。イヴォンヌにとってはギルバートの方が魅力的だからだ。もっとも、スチュワートも、既婚者のイヴォンヌを本気で口説きはしないだろう。せいぜい、社交儀礼上の付き合いをするのが関の山だ。


「素敵なご主人ですね。うちは軍とのつながり深い家なので軍人の知り合いは多いんです。ギルバート・サッカレー氏のお噂も耳に入ってました」


「え? そうなんですか?」


「奥方を亡くしたのがきっかけで、確か5年前にお辞めになったと聞きましたが、惜しむ声が多かったようです。父からの伝聞ですが。しばらく社交界に姿を見せなかったようですが、こうして再び現れるようになったのはあなたのお陰なんでしょうか?」


「いえ、私は別に……。でも、前向きになったのは嬉しいと思います」


 イヴォンヌは、微かに頬を染めながら答えた。裏の事情を話すわけにはいかないが、結果的にギルバートが外に出てくれるようになったのはいいことには違いない。彼の心境は伺いしれないが、以前より頑なさは取れてきている気はする。


「お二人はどこでお知り合いになったんですか?」


「えっ? 普通のお見合いですが」


 何も考えずにそう言ってから、しまったと思った。30歳差もあって相手は再婚ともなれば、訳ありでないはずがない。どうしようと一瞬焦ったが、頭を捻って言葉をひねり出した。


「亡父の部下だった人なんです。それで縁があって」


「なるほど。そういうことでしたか」


 どうにか波を乗り越えたようだ。イヴォンヌは密かにほっと安堵のため息をもらした。


 しかし、話はこれで終わりではなかった。イヴォンヌはこの時、スチュワートが切なげな視線をこちらに向けていたなんて知る由もなかったのである。


 

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