第10話 デジャビュ

 準備を着々と進めるうちにあっという間に時間は過ぎ、いよいよ結婚披露パーティー当日になった。


 招待状を送り、会場の飾り付けや料理のメニューを考え、数日前からは実際に飾り付けの準備に取り掛かる。サッカレー邸の使用人だけでは足りないので、スタンレー家の使用人にも出張して手伝ってもらうことになった。スタンレー夫人には足を向けて寝られない、イヴォンヌはゆっくりでもいいからきちんと恩を返していこうと心に誓った。


 後は、自分自身が昔話のお姫様になりきるだけだ。実家から連れて来たお付きのメイド、ルーシーに着替えを手伝ってもらう。


「今日のパーティーには、クロエ様とオーガスタ様もいらっしゃるんですよね?」


 髪を結いながら、どこか心配そうな口調でイヴォンヌに尋ねる。イヴォンヌも彼女らのことを思い出し、微かに眉間に皺を寄せた。


「一応家族ということになってるから、呼ばないわけにいかないわ。結婚披露じゃなければ呼ばないんだけど」


「クロエ様にサリーのことを聞いてもよろしいでしょうか?」


 サリーというのは、前の屋敷で一緒に働いていたルーシーの妹である。本当ならば、姉妹一緒にこちらに連れてきたかったが、クロエに止められて仕方なくルーシーだけを選んだのだった。


 ルーシーにしてみれば、姉妹が引き離されるのは辛かったに違いない。そのことを思い出し、イヴォンヌも申し訳ない気持ちになった。


「もちろんよ。私に気を使う必要はないわ。自由に聞いてらっしゃい」


「……ありがとうございます」


 髪を結い上げ、顔に化粧を施してから、仕立て屋から送られてきたドレスに袖を通す番になった。異国のドレスは少々勝手が違う。透け感のある生地でできていて、布越しに体の線が見えてしまう。少し露出が過ぎないかしら? と今更ながら心配になった。


「お取り込み中ごめんなさい――。あら、素敵じゃないの!」


 そこへ、古代神話の戦女神の扮装をしたスタンレー夫人が入ってきた。一緒に仕立て屋に行ったのだから、ある程度は把握しているはずだが、完成度の高さに感心しているようである。


「もう少し、布を厚くした方が良かったですかね? はしたなくありませんか?」


「とんでもない! これで十分よ! ザンナ姫も黒髪だからちょうどぴったり! ビジューの刺繍が繊細ねえ。照明が当たるとキラキラ光るわ。こんな素敵なお姫様なら、魔術師も離れられないでしょうね!」


 手放しの褒め言葉に、思わず顔が熱くなる。イヴォンヌは、誰かに褒められる経験が乏しかった。だから、こんな時人一倍恥ずかしくなってしまうのだ。


「最後にアクセサリーを着けて――。これで完璧。どこから見てもザンナ姫だわ。さあ、ギルのところに行きましょう?」


「えっ……! 今見せるんですか?」


「今じゃなきゃいつ見せるの? 本番まで引き延ばすなんてできないわよ?」


 イヴォンヌは、スタンレー夫人に手を取られれ、しゃらん、しゃらんとビジュー飾りを揺らしながら、ギルバートのところへ連れて行かれた。彼はすでに、森の魔術師の扮装をしており、深緑のローブに身を包み、フードを目深に被っていた。


 身長が高く姿勢もいいので何を着ても似合う。まるで絵本から飛び出してきたようだとイヴォンヌは思った。


 森に捨てられていた姫を助け、大人になるまで育て上げ、姫が一人前になったら静かに身を退き、密かに兄と再会できるよう手配した強い力を持つ魔術師。幼い頃から憧れてきた存在が今目の前にいる。嫌でも胸がドキドキしてしまう。


「ギル! 麗しのザンナ姫が来たわよ!」


 スタンレー夫人の呼びかけにギルバートも気づき、こちらに目を向けた。彼の目がまんまるになるのが分かる。まずい、やっぱりはしたないと思われたのかも。イヴォンヌは慌てて顔を背けた。


「……似合ってるよ。私にはもったいないくらいだ」


 混じり気のない感嘆の声に、おや? と向き直る。


「布が薄くて透けるんです。はしたないと思いませんか?」


「それはないよ……! 安心して、大丈夫。すまない、無骨な人間なものだから褒め言葉を知らなくて」


「何それ? きれいとか、美しいとか他にもっとあるじゃない?」


「そうそう、それ! 彼女が今言った通りだ。きれいだよ、自信を持って」


 彼にしては珍しく、頬を紅潮させてしどろもどろになりながら言う。スタンレー夫人は呆れていたが、イヴォンヌは彼の新たな一面を見て驚いた。


 こんな表情もするのか。いつも落ち着き払って、何事にも動じない性格をしているのに、少年みたいに恥じらうこともあるなんて新発見だ。


「ほら、そろそろお客様が見えるわよ。二人一緒に玄関に立たなきゃ」


 スタンレー夫人に促されて、慌てて自分の持ち場へと急ぐ。まずは、二人並んで入場する客をもてなさないといけない。慣れない仕事だが、これもおしどり夫婦の印象を植え付けるため。気を抜くことは許されない。


「あらー! ザンナ姫と森の魔術師ね! 子供の頃よく読んだわ! 二人のイメージにぴったりね!」


 こんなことを言われたら、自然と表情が緩んでしまう。まさに期待した通りの反応が返ってきて、イヴォンヌは笑顔で返した。


 隣のギルバートも、自然な感じで対応しており、首尾は上々のようである。久しぶりに会う人もいるらしく、懐かしそうに会話を楽しんでいるのを見て、準備は大変だったけどパーティーを開いてよかったと思った。


 やがて、クロエとオーガスタもやって来た。心の中で来たぞ来たぞと呟きながら、何食わぬ顔で応対する。


「お義母様、オーガスタ。久しぶり。今日は私たちのパーティーに来てくれてありがとう。楽しんで行ってくださいね」


 公女になった気持ちで悠然と微笑んで見せる。二人とも無難な返答をしたが、今まで一緒に暮らしてきたイヴォンヌには分かる。あれは、内心はらわたが煮えくり返っている時の顔だ。老人の慰み者になっているとてっきり思っていたら、幸せそうに暮らしているので、むしゃくしゃして堪らないのだろう。


 嫌な目に遭わされるたび、いつか彼女らに仕返ししてやろうと考えていたが、ここに来て最大の復讐は、自分が幸せなところを見せつけることだと合点した。それだけで積年の恨みがすーっと消えていく。せいぜい義理の娘の幸せな顔でも拝んでらっしゃい。


 大方客が集まったところで宴の始まりだ。この瞬間のために多くの時間と手間を費やした。ギルバートの汚名を晴らさなければ。


「皆様、本日は私たちのために、お忙しいところをお集まりいただきありがとうございました。ささやかな祝宴を用意いたしましたので、どうかお楽しみください」


 ギルバートが挨拶する中、にこやかな笑みをたたえながら隣で夫の腕に手を添える。この姿を列席者には目に焼き付けて欲しかった。そして、戻ってから「あそこの夫婦は本当に仲いいらしいよ」と言ってもらえば、徐々にギルバートの名誉は回復されるだろう。もちろん、頭で考えるほど簡単ではなかろうが、ある程度目標達成できれば十分だ。


 挨拶が終わった後は、宴の始まりを告げるファーストダンスへと移る。ギルバートは、社交行事に出るのは久しぶりらしいが、経験が物を言うのか涼しい顔で淡々とこなしている。


 軍人というと無骨で社交行事は不得手なイメージだったが、本人に聞いたら「戦場だけが軍人の仕事場ではない。交渉ごとや外交も大事な任務だからね」と言われた。


 皆が注目する中、どきどきしながらダンスフロアの中央に立ち、ギルバートの差し出した手を取る。指と指が触れ合った瞬間、あれ? と思った。


 この感覚は覚えがある。彼と前にも踊ったことあるような? いやいや、そんなわけない。何を考えてるんだ?


 音楽が始まり二人は踊り出す。すると、イヴォンヌの中に芽生えた違和感がむくむくと頭をもたげてきた。彼と目を合わせて踊る高揚感と多幸感、それ以上に、初めてじゃないという確信めいた気持ち。この相反する二つの感情がぐるぐる渦巻いて、だんだんと混乱してきた。


 まずいまずい。ここは幸せアピールに専念しなければ。そう思うのに、少しでも油断すると焦りが顔に出てしまう。確かに彼と踊るのは心がウキウキする。目が合うたびに、白い結婚なんか忘れてしまうくらい胸が踊るのは本当だ。


 でも、この感覚は前にも味わったことがあるという思考が邪魔をしてくる。そうしているうちに、一つ思い出したことがあった。


(そうか、あの仮面舞踏会と同じなんだ)


 このパーティーの着想の元となった仮面舞踏会。そこで出会った見知らぬ紳士。まさか、彼がギルバートだと言うのか? いやいや、そんな偶然があるわけがない。必死に自分を押さえようとするが、どうしても確信めいたものを感じてしまう。そんな葛藤で心が乱されたままダンスは終わった。


 周囲からの大きな拍手でイヴォンヌは、はっと我に返る。


「いや、実に微笑ましいカップルだ。おめでとう」


「末長くお幸せにね。今日はいいものを見せてもらったわ」


 手放しの賞賛の声にもイヴォンヌはどこか夢見心地だった。まじまじとギルバートを見つめるものだから、さすがに彼もイヴォンヌの様子に気づく。


「ん? どうしたんだい? 何かあった?」


「あの……前に……いえ、何でもない」


 イヴォンヌは、喉まで出かかった言葉をぐっと飲みこんだ。もし、彼があの時の紳士だったら? 本当にそんなことがあったら、自分は彼を好きになってしまう。クララに永遠の愛を誓っているギルバートを愛しても、振り向いてもらえる見込みはない。


 優しい彼のことだ。イヴォンヌに好かれていると知ったら苦しむだろう。そんな事態は何としても避けたかった。


 しかし、この時のイヴォンヌはまだ気づかなかった。複雑な気持ちになっていたのは彼女だけではなかったことを。

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