第9話 ザンナ姫と森の魔術師

 パーティーの準備は着々と進んでいる。この日も、スタンレー夫人が屋敷に来てくれて、仮面舞踏会の具体的な計画を詰めていた。


「主役二人がどんな仮装をするか決めなきゃね」


「え? 私たち仮装するんですか!? 仮面じゃなくて?」


「何言ってるのよ。列席者は仮面だけでもいいけど、あなたたちは主役なんだから、仮装くらいしなきゃダメよ。他にも仮装で来る人もいるだろうし。そうでなきゃ埋もれてしまうわよ」


 むしろ、埋もれてくれた方がいいのだが……。今度ばかりは自分が主役なのでそうも言ってられない。しかし、普通のドレスすら作ってもらえなかったイヴォンヌは、この方面にはまったく明るくなかった。


「そんなに深刻に考えることないのよ。昔話や神話の物語で気に入ったものはない? 歴史衣装の扮装でもいいわ、あなたが好きなものでいいの」


 そういうことならと頭に浮かんだ話があった。仕事で家を空けることが多かった父が、娘との時間を作ってくれたことがあって、一度だけ膝の上に乗せて絵本を読んでくれたのだ。それは、ある地方に伝わる古い民間伝承を元にした「ザンナ姫と森の魔術師」という絵本だった。


 東方の国のザンナ姫がお家騒動に巻き込まれ、城を逃げ出し辺鄙な森に迷い込んだ。まだ幼い姫を助けてくれたのは、森に住む魔術師の男。森で親子のように暮らした二人だったが、姫が成長するといつの間にか魔術師は姿を消していた。入れ違いのようにやって来たのは、彼女の兄である王太子。権力闘争を鎮めた兄は、行方不明の妹を探し回りついに見つけたのだ。姫は、王城に戻り歓待されるが、豊かな暮らしを送っても魔術師のことが忘れられなかった。やがて姫は、魔術師を探しに長い旅に出る。艱難辛苦の末、無事再会できて二人は結ばれるのだった。


「そう、そういうのでいいのよ。私も好きな話よ。じゃあ、あなたはザンナ姫の仮装を、ギルは魔術師になってもらえばいいわね」


「ええ!? それじゃ、姫が恋焦がれた魔術師とギルバート様を同一視しているみたいじゃないですか!」


「何言ってるのよ! 当たり前でしょ! あなたたち夫婦なのよ? 何を恥ずかしがってるの?」


 そうだった、大きな設定を時々忘れかけてしまう。スタンレート夫人は、二人の本当の関係を知らないんだっった。


(でも、彼は嫌がらないかしら? 本当は、今でもクララ様を愛しているというのに?)


 つい先日、クララの私物を大量処分したと聞いたばかりだ。ギルバートにこれ以上無理してほしくないという気持ちが強かった。イヴォンヌと夫婦のふりをすることだって、仕方なくやっているのに更なる負担を与えてしまう。


 真剣に悩んでいる様子のイヴォンヌを見て、スタンレー夫人は、どうしたのかしらと思いながらも言葉を続けた。


「と、とにかく仕立て屋に行ってみない? どうしてもと言うならあなただけでもいいから」


 そう言われ、王都の街にある仕立て屋に誘われる。一人では何もできないイヴォンヌは、素直に着いていくことにした。


 もちろん、仕立て屋でドレスを作ってもらうことも初めてだ。何もかも初めて尽くしでボロが出ないかと、内心では冷や汗をかいていた。


「ザンナ姫は、確かターコイズブルーのドレスを着ていたわね。象徴となるカラーがあるのはいいことね。一目見て誰なのか分かりやすいわ。あなたは黒髪だからどんな色でも似合うし、ちょうどいいと思う」


「このお話ってドレスのデザインは決まってるんですか? 挿絵画家によって違う場合もあるじゃないですか?」


「これは、古代レーデンズ王国に伝わる伝承だから。レーデンズの民族衣装と考えれば一定の型があるものなのよ。高貴な人はターコイズブルーを着けることが多かったから、イメージも湧きやすいし」


 そういうものなのか……。スタンレー夫人の博識には恐れ入る。イヴォンヌは、トルソーになったつもりで体の各所のサイズを測られ、店員からの質問に答えるだけ、みるみるうちに具体的なデザインが決まった。


 やはり、スタンレー夫人の見立ては正確だ。イヴォンヌが戸惑う暇もなく、どんどん先に話を進め着々と準備が進んでいく。彼女がいなかったら手も足も出なかったのは明らかなので、いくら感謝しても足りないほどだった。


 店を出てから、イヴォンヌは、スタンレー夫人にお礼をしたいと考えた。一緒にお茶しましょうと誘われて入った喫茶店で、思い切って口を開く。


「何から何までありがとうございます。せめてここは私にご馳走させてください」


 夫人も、イヴォンヌの意図を読み取ってくれたのだろう。遠慮せずにっこりと応じてくれた。


 ここは、アッパーミドル以上が客層の喫茶店だ。白い壁が店内を明るくし、一定の間隔で壁にかけられた一輪挿しには季節の花が生けられている。イヴォンヌやスタンレー夫人のような貴族の他に、ひと休みしに来た老紳士、商談をまとめる男性たち、噂話に花を咲かせる御婦人たちなどで賑わっていた。


「ここはね、デザートパイが人気なのよ。お茶のセットでいいかしら?」


 スタンレー夫人がそんなことを言っていると、隣のテーブルから会話が聞こえてきた。


「知ってるかい、ギルバート・サッカレーのこと?」


 ギルバートの名前が突然聞こえて来て、二人はビクッとして動きを止めた。そろりと視線を動かすと、中年の紳士二人が隣の席で会話をしている。どうやら、商談の合間の雑談らしかった。


「ああ、7年前に退役した、確か最後は中佐だったような?」


「そうそう、奥さんを亡くしてからしばらく姿を見せなかったのに、最近また出てきたんだよ。どうしたんだろうと思ったら、何と後妻を取ったんだってさ! しかも30歳差っていうんだから驚きだ」


「あの、クリーンなイメージのサッカレーがね! まるで親子じゃないか。いくら何でもやりすぎじゃないか?」


「前の奥さんを忘れられないと聞いていたから、再婚すると聞いた時はびっくりしたよ。どんな風の吹き回しかね?」


「そりゃ若い娘の方がいいに決まってるだろう。夜もお盛んなんだろうな」


「羨ましいよ。あっちの方もまだ元気だなんて。力を分けて欲しいくらいだ」


 そして、下卑た笑いが漏れてくる。スタンレー夫人とイヴォンヌは、金縛りにあったように固まって身動きが取れなくなった。しばらくしてから、スタンレー夫人が小声で「席を移動しましょうか?」と言いかけた時、急に術がとけたようにイヴォンヌが立ち上がり、隣の席へずんずんと向かって行った。


「失礼、偶然お二人の会話を聞いてしまったもので。私はイヴォンヌ・サッカレー、ギルバートの妻です」


 これには、さしもの二人も驚いた。すっかりくつろいだ格好になっていたが、慌てて姿勢を正して座り直す。相手もそれなりの身分らしかったが、今そんなことはどうでもいい。ギルバートが侮辱された、ただそれだけだ。大の大人二人が、小娘一人に見下ろされてオロオロするなんてみっともない。


「あ……これは失礼。まさかご夫人が隣にいらっしゃるなんて夢にも思わず……すいませんでした」


 二人の男性は気まずそうに顔を見合わせると、そそくさと席を立って店を出て行った。全く、無礼にも程がある。ふんと肩をそびやかしていたイヴォンヌだったが、彼らがいなくなると、あれ、やりすぎだったかな? と思い直した。その途端、顔がかーっと熱くなり、両手を頬に当てあたふたし始める。


「どうしましょう。気づいたら勝手に体が動いてしまって。後で問題にならなければいいのですが」


 スタンレー夫人は、一連の経過を口をあんぐり開けて見守るしかなかったが、ふと我に返り、クスクスと笑い出した。


「あなたって本当に面白いわ! 大丈夫、あれくらい言ってやってもどうってことないわよ。ただ自己紹介しただけですもの、気にするほどのことではないわ」


 そう言うと、今度は腹を抱えて笑い出した。そんなに笑うこと? イヴォンヌは目を丸くして戸惑ったが、スタンレー夫人がそう言うのなら、そんなに深刻に考えなくてよさそうだと思うことにした。


 もっと恥ずかしかったのは、ギルバートに一連の出来事を報告した時だった。内緒にしておくことはできないが、自分から話すのは憚られるので、スタンレー夫人から説明してもらうことにしたのだが――。


「その時のイヴォンヌったらすごかったのよ! まだ若いのに貫禄は十分だったわ! あなたの奥さんはしっかり者よ、安心して」


「もう! 夫人たらからかわないでください! ついかっとなって衝動的に言ってしまったので、反省してるんですから!」


「でも、夫を守る気持ちは本物でしょう?」


「ええ、それはまあ……」


 ギルバートの前で何てことを言わせるんだ。顔から火が出る思いで、それだけ答えるのがやっとだった。


「あの、本当に申し訳ありません。次からはもっと冷静になりますから」


「いや、いいんだよ。気にすることはない」


 ギルバートも、びっくりしてどう反応したらいいか分からない様子だった。全くもって面目ない。しかし、ギルバートに対する色眼鏡は想像以上に強固ということを再確認した。彼への偏見を正すのは並大抵のことではない。


 それでも、お世話になっていることへの恩返しとして自分が率先して動くべきでは。そう思えば、今回結婚披露パーティーを開く意義も出てくるというものである。


「あの、ギルバート様に仮装させるのは気が進まなかったんですが、やっぱり魔術師になっていただきたいと思います!」


「ちょっと待って? 魔術師の仮装って何のことだ?」


 仮装についてまだ何も話を聞いていないギルバートが、今度は目を白黒させる番だった。


**********


 スタンレー夫人が帰り、イヴォンヌも自分の部屋へ戻った後で、またもやギルバートは、執事のファーガソンに本音を漏らした。

 

「まさかこうなるとはな。次から次へと予想外のことが起きるもんだ」


「またイヴォンヌ様のお話ですか?」


「なぜそうだと分かった?」


「最近口を開けばイヴォンヌ様の話ばかり。しかも『不思議だ』『おかしい』と来れば百発百中その話題でしょう。簡単に想像がつきます」


 ギルバートは、遠慮のない執事の批評にフンと鼻を鳴らした。しかし、元より固い絆で結ばれた主従である。軽口を叩きあえるほど気の置けない関係なのだ。


「今日は、つい最近まで小娘だった我が新妻が、二人の男に食ってかかったそうだ。単に向こうみずなのか、胆力がすごいのか?」


「元々気の強いお方とは伺っておりました」


「その理由が私を侮辱されたかららしいんだ。自分のせいで私の評判に傷が付くのが耐えられない、とまあこういうわけだ」


 ファガーソンは驚いたように目を開いて主人をまじまじと見た。


「確かにすごい胆力ですね。非力なのにあなた様を守る行動に出たのですか? これは単に気が強いだけではありませんね。さすがカスバート大佐のお子様と言うべきか」


「そうだろう? この私が守られるなんてな。今までずっと守る側だったのに。あのエネルギーはどこから来るんだろう? 若者はみんなそうなのか?」


 そう言うと、ギルバートはわずかに頰を紅潮させてファーガソンの方を向いた。感情をあまり面に出さないギルバートにしては、これは興奮気味になっている表出なのだ。


「おまけに、結婚披露パーティーで仮装するように頼まれたんだ。森で暮らした姫と魔術師の話があるだろう。そのカップルになろうと言うんだ。仲睦まじい夫婦を演じた方が周りの見る目も変わるというのが彼女の主張だ。それも、最初のうちは私を気遣って躊躇していたらしい。気が強いのに繊細なところもあるんだ」


「それで? 仮装することにしたんですか?」


「仕方ないじゃないか。イヴォンヌの頼みとあらば聞かないわけにいかないだろう。二人一緒じゃないと意図したメッセージを出せないと言うのならば」


 そう言い深いため息をついたが、内心ではまんざらでもないとファーガソンは見抜いていた。長年仕えてきた執事の勘というやつだ。

 

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