第8話 仮面舞踏会よもう一度
それから、スタンレー夫人はサッカレー邸を何度も訪れ、結婚披露パーティーの準備を手伝ってくれた。いや、手伝いと言うより手取り足取り教え込んだと言う方が正しい。イヴォンヌは社交のイロハも知らなかったのだから。
「招待状のリストはクララが作成したものがあるはずだわ。ファーガソン夫人に聞けば分かるかしら?」
言われた通りファーガソン夫人に尋ねたら、程なくして小さな紙の束を持ってきた。
「元はクララ様の書斎にあったものですが、先日片付けたばかりなのでこちらで保管しておりました」
「え? クララ様の書斎なんてあったの?」
イヴォンヌが意外そうに聞くと、ファーガソン夫人は、少し言いにくそうにしながらも説明してくれた。
「クララ様がお亡くなりになってからずっとそのままにしていたのですが、イヴォンヌ様が来られるにあたり、かなりの量を処分したのです。これはご主人様の指示ですから、イヴォンヌ様は何も気にされることはないかと」
ファーガソン夫人はそう言ってくれたが、イヴォンヌにとっては気にするなという方が無理だった。
ギルバートは、これでもかなり無理してイヴォンヌに合わせてくれたのだ。亡き妻の私物を処分するなんて本当はしたくなかっただろう。彼に負担を強いていたことが新たに分かって、気が塞いでしまう。
「ギルには後で話せばいいじゃない。今やるべきことをやりましょう」
気持ちを察してくれたのか、スタンレー夫人が気を逸らしてくれた。彼女がいるうちに、パーティーの計画を進めなければ。
「リストが簡単に見つかって良かったわ。これは、日頃から交流のある人のリストよ。ここから誰を招待するか決めるの。ただ、5年以上も前で情報が古いから、ギルに聞いて繋がりの途絶えた人は外して構わないわ」
イヴォンヌは、綺麗な字で書かれたリストを一枚一枚めくりながら見ていた。とても几帳面で仕事ができる人というのがこれだけでも分かる。直接会ったことがないのに、クララの人となりが頭の中で浮かび上がった。
「それが終わったら招待状作り。と、その前にパーティーのコンセプトを考えなくちゃ」
「え? コンセプトですか?」
「そう。評判になるパーティーは、コンセプトがしっかりしているものが多いの。たとえば、ホステスがスミレの花が好きならば、小物でもドレスでも何でもいいから紫色のものを着けてきて下さいと声をかけるの。そして会場も紫のトーンで統一する。これならテーマが一貫している上にみんな参加しやすいでしょう?」
イヴォンヌはこの話にすっかり感心した。なるほど、ホステスはプロデュース力が必要とされるのか。ますます自分には才能ない気がする。
「何でもいいのよ。あなたはどんなものが好き? あるいは、最近心を奪われたものは?」
イヴォンヌは、うーんと唸りながら考えたが、なかなかいいアイデアが浮かんでこない。だが、最近心を奪われたものと聞いて、あることを思い出した。
「あの、仮面舞踏会なんてどうでしょうか?」
**********
イヴォンヌは、スタンレー夫人が帰ってからギルバートのところへ行った。この日は天気が悪いせいか、温室には行かず邸内の自室にいた。
「すいません、パーティーの招待客の件で伺ったのですが」
イヴォンヌはクララが作成したリストを見せて、スタンレー夫人に助言された通り、今も付き合いがある人を尋ねた。クララを思いださせるものを見せて、彼を刺激しないかと少し恐れたが、彼は何事もなかったかのように淡々と質問に答えてくれた。それで少し気をよくした彼女は、引っかかっていたことを質問してみた。
「そう言えば、私が来るまでにクララ様の私物を大量に処分したと聞いたのですが?」
「うん? ああ。5年も放ったらかしにしてたからね。いい加減片付けないとと思って重い腰を上げたんだよ」
「もし、私を気遣ってのことでしたら申し訳ないなと思いまして……。何もなければそのままクララ様の思い出と一緒にお過ごしになるつもりだったんでしょう?」
イヴォンヌがおずおずと言うと、ギルバートはハハハと小さく笑ってから答えた。
「クララの物を捨てなかったのは、感傷や未練もあるけど、大体はただの惰性だ。あなたが来てくれたお陰で行動に移すことができたんだよ。感謝こそすれ、別に寂しいなんて思っちゃいない」
「でも……それでも、本当に処分した時は辛かったんじゃなかったんですか?」
なおも食い下がって尋ねると、ギルバートは、一瞬遠い目になってからまた答えてくれた。
「実を言うとね、自分でもそうなるだろうと思っていた。でも、いざ実際に捨ててみたら、気持ちが軽くなったんだ。まるで、感傷や未練といった負の感情まで一緒に処分したような。すると、今度はすっきりしたことが後ろめたくなってね。どこまでも懲りない奴だと我ながら思う。でもやっと、今はこれで良かったと思えるようになったんだ。本当だよ」
微かに微笑みながらこちらを見るギルバートがまぶしく思えて、イヴォンヌは顔が熱くなった。確かに何かを隠している風ではない。彼なりに気持ちを整理したと解釈していいのだろう。それなら今の話を信じようと思った。
「そっ、それとですね、パーティーのコンセプトを決めるように夫人に言われたんですが、仮面舞踏会なんてどうでしょう?」
「それはあなたのアイデアかい? いいんじゃない?」
そう言われた時、イヴォンヌの心の中に、なぜかやましい気持ちが芽生えた。これは他の人と踊った思い出から出たアイデアだ。そのことが夫を裏切っている気がしてにわかに罪悪感を覚えたのだ。
(これはただの白い結婚。便宜上の関係なんだから、本当の愛なんてない。それなのに、どうして悪いことをしているような気持ちになるの?)
もし、あの時の王子様のような人がギルバートだったなら。そんな虫の良すぎることを一瞬考えてしまって、耳まで赤くなった。そんなうまい話があるわけないじゃない! 何バカなことを考えてるのよ!
「急に黙りこくってどうしたの?」
「いいえ、何でもありません」
イヴォンヌは早口でそう告げると、そそくさとギルバートの部屋を出で行った。
**********
イヴォンヌがいないところで、ギルバートとファーガソンが窓の景色を眺めながら話をしていた。
「おかしなことになったな。そう思わないか、ファーガソン?」
「と申しますと?」
「我が花嫁のことだよ。事前に聞いた話では、一筋縄ではいかない娘とのことだった。それでも、恩人の忘れ形見が肩身の狭い思いをしているのは忍びないと保護したんだがどうも話が違う。直に話してみると、聡明で思慮深い娘じゃないか。私の前で猫をかぶっているだけなのかな? お前はどう思う?」
「私も少しお話し致しましたが、実年齢よりも落ち着いた雰囲気の方でした。20歳という年齢を考えれば、もう少し浮ついていても不思議はないのですが」
「やはりそうか。一体どういうことなんだろう。時間が経てば化けの皮が剥がれてくるのだろうか?」
「さあ、どうでしょう。家内も概ね一致した意見ですし、別に取り繕っている様子は見受けられませんが」
ギルバートはふうむと考えこんだ。あの義母ならばあり得ない話ではない。お金を受け取った途端、低姿勢から妙に馴れ馴れしい態度に変わり、イヴォンヌの悪口を吹聴していたっけ。それを聞いて、こちらが手のひら返しをする可能性を考えないのか? と思ったものだ。
だが、よその評判でもイヴォンヌは勝気な娘と聞いている。それを判定するにはもう少し時間が必要だ。ただのまやかしならそのうち化けの皮がはがれてくるだろう。
「まあいい。時間が解決する案件だろう」
そう言って、かつて戦場で作戦を練る時の癖だった、顎に片手を置く仕草をしたのだった。
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