第3話 白い結婚式

 結婚式の具体的な日取りが決まり、周辺はより一層慌ただしくなった。限られた時間で招待客を選定したりドレスを作ったりしないといけないので、目が回るほど忙しい。自分のためにクロエが出費するなんて珍しいこともあるもんだと思っていたら、結婚にまつわる費用は全てギルバートが負担していると後から聞いた。


 いくら「白い結婚」とは言え、イヴォンヌの不安は払拭されることはなかった。こんなうまい話があるのだろうか? 本当に約束を守ってくれるのだろうか? そう考えると、どうしても仮面舞踏会で会った紳士を思い出し、現実逃避する時間が長くなる。


(あの人が相手だったら何も不安はない、むしろ喜ばしいとすら言える。いえいえ、それはギルバート様に失礼というもの。彼は自分の窮地を救ってくれたのだから……。お父様が生きていれば彼がどんな人か聞けたのに。そもそも、生きてたらこんな結婚せずに済んだでしょうけど)


 イヴォンヌの両親はすでに他界している。父は名の通った軍人で、若い頃から戦績を上げて大佐まで上り詰めた。その勇敢な働きぶりは今でも語り草になっている。


 体の弱かった母はイヴォンヌが4歳の時に病死。その後、前夫を亡くし戦争未亡人となったクロエを引き取る形で父は再婚したが、彼もイヴォンヌが7歳の時に亡くなった。


 それからは、後妻のクロエが実権を握った。連れ子で実子のオーガスタを依怙贔屓し、イヴォンヌと待遇に差をつけて養育した。


 それでも寄宿舎のある学校に行かせてもらっただけ御の字かもしれない。もっとも、父が亡くなる前に学校に寄付をしていたからという事実が後から発覚するのだが。


 とにかく、18歳で学校を出たイヴォンヌはこの2年、クロエの支配から逃れるためにあの手この手で策を練った。


 この世界で若い女性が実家を出て独立する方法と言えば、結婚くらいしか選択肢はない。だから、イヴォンヌは、早く結婚して家を出ようと画策した。


 クロエは当てにならないので、自分で相手を探す必要がある。それにはパーティーに参加して出会いのチャンスを増やすしかない。だが、社交費まで制限され、ドレスの一着も買ってもらえない有り様だ。


 それならばと、クロエが握り潰そうとしていた自分宛ての招待状を何とか抜き取り、義妹のオーガスタのドレスを借りて仮面舞踏会に行ったのがつい先日のこと。


 そこでせっかく奇跡のような出会いがあったのに、結婚するのは別の人。現実はうまく行くようで行かないもだ。しかし、これでもかなりマシな方である。本当のところは、得体の知れない老人に嫁がされようとしてたのだから。


(大丈夫よね、お父様の部下だもの。変な人じゃないはず)


 人前では高慢そうに振る舞うイヴォンヌでも、一人になると弱音を吐いてしまうことが多くなった。


**********


 結婚式当日。普通なら高揚感や緊張感に包まれるのだろうが、イヴォンヌの心は別のところにあった。

 

(どうせ実態のない結婚なのに、お膳立ては用意周到なこと)


 白いウェディングドレス姿に身を包んだ自身の姿を鏡越しに見つめてもワクワクしない。これでやっと家を出られるという安心感と、ギルバートに対する感謝と不安がないまぜになった気持ちが渦巻いていた。


 脇でクロエとオーガスタが、歯の浮いたお世辞をさっきから言っている。それでも、一家の厄介者が不幸な結婚に臨もうとしているのを嘲笑している真意が隠せてなかった。


 こんな茶番劇さっさと終わらないかしらと思っていたところに、控え室のドアが開いてギルバートが入ってきた。彼もまた婚礼衣装に身を包んでいるが、年齢を感じさせない着こなしでよく似合っており、思わずまじまじと凝視してしまう。


 それは、ギルバートも同じだったようで、イヴォンヌのウェディングドレス姿を見て一瞬動きが止まった。彼の表情は小さな驚きに満ちている。その反応に恥ずかしくなって、イヴォンヌはぷいと顔を逸らした。


「……きれいだよ。カスバート大佐にも見せたかった」


 噛み締めるようなギルバートの口調にはっとした。一番この姿を見てもらいたい人はすでにこの世にいない。あらかじめ分かっていたことなのに、急に切ない気持ちになる。


「さあ、そろそろ時間だ。一緒に行こう」


 ギルバートの差し出した腕に手を添えて、二人は結婚式に臨んだ。式はつつがなく進行し、多くの参列客から祝福の言葉を浴びた。


 しかし、この結婚がどういう性質なのかは、口に出さないまでも皆が知るところだ。白い結婚というのはイヴォンヌとギルバートの間だけで交わされた密約なので、周りの人間は普通の結婚だと思っている。


 若い娘が経済的理由のために歳の離れた男性と結婚する事例はごまんとあり、痛ましい出来事として捉えられている。相手の男は、若い娘が得られる反面、あれこれ下衆の勘繰りを受ける宿命となっていた。


 当然、ギルバートも同じような視線を向けられるのは避けられない。結婚式に呼ばれた参列者は、おめでとうの言葉の裏で(妻一筋だった男がとうとう若い娘を娶ったよ)(カスバートの娘は気が強くて有名らしいじゃないか。若い女なら誰でもいいのかね)などと囁いていた。


 具体的な内容までは分からずとも、彼らが表と裏の顔を使い分けていることは、イヴォンヌも何となく察してしまう。


 これらの陰口は当然ギルバートの耳にも届いているはずなのに、彼の方は堂々とした態度のままだった。普段と同様背筋をピンと伸ばし、まっすぐ前を向いている。


 イヴォンヌは隣に立つギルバートをチラと垣間見たが、外野の雑音を意に介する様子が全く見られないので、自分も気づかない振りをしようと思った。


(彼は私のために多くの好奇の目に晒されているってこと? どうしてこんな貧乏くじを進んで引きたがるのだろう?)


「――誓いますか?」


「は、はい」


 思わず声がうわずってしまう。信心深い方ではないが、神の前で嘘の誓いの言葉を述べる後ろめたさはついて回る。


 そして、彼の顔がふわっと近づいてきて、誓いのキスを行なった。儀礼的なキスに過ぎないのに矢鱈ドキドキしてしまう。


 こら、何を期待しているのよ。これは白い結婚なのよ。第一彼は今でも奥さんを愛しているんだから。イヴォンヌは必死に自分に言い聞かせ、焦りが顔に出ないよう努力した。


 彼の顔が近づいた時生理的に嫌悪感が走るかと思っていたら別にそんなことはなかった。ただそれだけのことがものすごい発見のように思えてしまう。


 それからは、参列客に見送られてギルバートの邸宅へと移動した。馬車の中でやっと二人きりになりほっとしたところで、ギルバートが口を開いた。


「お疲れ様。家に着いたらゆっくり休むといい。使用人たちも待ってるよ。今日からサッカレー邸が君の家だ」


「あの……本当にいいんでしょうか……こないだ話していたこと」


「ん? 『白い結婚』のことを言ってるなら安心してほしい。あなたを脅やかすようなことは何もしないから。普段の生活にも干渉しないから自由にしなさい。夫婦で公の場に出る時は我慢してほしいけどそれ以外は何の制約もないよ」


「そうじゃなくて! どうして私にここまでしてくれるんですか? いくら父の部下だからと言って、あなたには何のメリットもないじゃありませんか! 私ばかり恩恵を受けていいのかしら……」


「カスバート大佐に恩返しがしたいというのもあるけど、そうだね、死ぬ前に善行の一つくらいしておけば、天国へ行く時有利になるかなと思ったんだ。妻は天国にいるだろうから、死んだらまた一緒になりたいんだよ」


 イヴォンヌはそれ以上何も言えなかった。ギルバートがここまで言うなら彼の言葉を信じるしかない。少なくとも、今の彼女には他にできることは何もなかった。

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