第13話 リコ
聖王国の御用商人、グラシアス商会のセレスト・グラシアス会長は、忙しい。
王国要人の相手、商人ギルドの長としての仕事、有力顧客との商談。彼で無いと務まらない仕事が多い。
「それじゃ、あとは任せた」
聖王国の中心にある商店街の中で一際大きな門構えの元ネグラロサ商会と呼ばれる立派な古い建物から、男は出て荷馬車に飛び乗った。
「お待ち下さい。本日、神聖評議員との面談がございます」
番頭のフィリップが慌てて、飛び出してくる。
「まあ、奴らならお前が相手しろ」
そう言うと、馬に鞭を入れ郊外を目指す。無理にでも、仕事をやらせないと育たない。
グラシアスは、この都が嫌いではない。
宗教都市には救済を求める巡礼者と真理を追い求める学者が集まり、政治と宗教と金が絡み合う。
刺激的で、どこか腐臭を放つその空気が、彼にとって心地よいのだ。
「いつ迄隠れてるつもりだ?」
幌をかぶった荷台の荷物の中の鼠に話しかける。
「へへへ。もう見つかっちゃった」
犬人族の子供が、荷物の隙間から顔を出す。
「どこに行くのか、わかってるのか?」
「知らない。だってここから出たことないもん」
色あせ、汚れた服に裸足――捨て子なのだろう。
「どうやって潜り込んだ?」
商会長グラシアスの荷車は、普通の倉庫ではなく会長専用の特別な倉庫に仕舞われている。
昨夜、荷物を積み込んだときには確かにいなかった。
「へへへ、内緒」
もったいぶった声が返ってくる。
「じゃあ、これをやるから教えろ!」
グラシアスはポケットから干し肉を取り出した。香辛料がたっぷり練り込まれた、彼のお気に入りの一品だ。
「うーん。まあいいか、もらっておく。」少女がばっと手を伸ばしたその瞬間、グラシアスは彼女を引っ張り上げ、御者台に座らせた。
「わーい、特等席だ!」
犬人族の少女は、都市を駆け抜ける荷車から、次々に過ぎていく風景を嬉しそうに眺めている。
グラシアスは、どうしようか思案した。
戻ると又、フィリップに捕まるし、そこらへんで降ろすと、まるでグラシアスが捨てたように思われてしまう。
「門のところにいたの。馬車が倉庫から出てきたとき、思わず飛び乗っちゃったの」
「そうか。よく警備に見つからなかったな」
彼は感心したように言った。
「へへへ」
「まあいい。俺はグラシアスだ。お前の名前は?」
「リコ」
「リコ、孤児院には入らなかったのか?」
この都市には孤児院が多い。孤児が増えたから孤児院が増えたのか、それともその逆か。
いずれにせよ、教会は「慈善こそが神の意志」と訴えて、寄付を煽っている。
商人ギルドも教会から寄付を求められ、多額を出資している。
そのため孤児院の運営は潤沢な予算を持ち、教会の一つの利権となっているのだ。
さらに教会は、孤児の中から優秀な者を見つけては、自分の手駒にしたり、売り払ったりもしている。
「うん。入ったけど、あの人たち、悪い人だった」
リコは、言葉を慎重に選ぶように続けた。
「ちょっとでも機嫌が悪くなると、鞭で叩くんだ。だから逃げてきた」
「そうか」グラシアスは彼女の身に起きたことを容易に想像できた。
「まあ、そういうこともあるだろう。長旅になるから、仕事を手伝ってもらうぞ」
旅には出会いと困難がつきものだ。
「わーい!」
「とりあえず、川に行って体を洗ってこい。大事な商品に匂いが移るからな」
※
ノルドは小屋で、静かに製薬を続けている。
薄暗い室内には、蒸留器のかすかな音と、独特の薬草の香りが漂っている。
ぽたり、ぽたりと蒸留された液が、ポーション瓶に溜まっていく。
ある程度まで溜まったのを確認すると、ノルドは右手の肌をほんの少し傷つけた。
「今度はどうだ……」
ノルドは瓶の液を半分ほど飲み、じっと右手の傷を見つめる。傷がゆっくりと消えていくのを確認し、彼は満足げにうなずいた。
研究ノートを開き、今回の製結果を丁寧に書き込んでいく。
「うん、前回より治りが早いな。調合の比率も大事だけど、不純物を減らすのも効果が大きい。でも、この味はなんとかしたいな。」
「時間経過の確認用に、残しておこう」
そう言いながら、棚に並んだポーション瓶を眺める。色とりどりの瓶が並び、昨夜から繰り返してきた実験の跡が、一目で分かる。
最初はヴァルも嫌々付き合ってくれていたが、あまりの苦さにとうとう音を上げ、逃げ出してしまった。
ノルドはその様子を思い出し、少し笑みを浮かべる。
セラに教わってからは初級のリカバリーポーションを作れるようになり、今では分量や手順を見ずとも問題なく作成できる。
繰り返すうちに、無意識のうちに手順を覚え、効果を上げる研究が始まっていた。
セラの持っていた、リカバリーポーションの材料が無くなる頃、グラシアスがやって来た。
※
「こんにちは!」と元気な少女の声が響いた。
道中の町でグラシアスが服と靴を整え、高級な宿で休ませ、美味しい食事も提供したおかげで、リコの顔色も驚くほど健康的になっていた。
「あら、かわいい商人さんね」
古びた家から現れたのは、黒いスカーフを被った女性だった。
「リコです」
にっこりと笑って名乗った。女性の顔は深い傷があったが、リコはまったく気にしていない。
路地裏で暮らしていた彼女にとって、こうした姿の人は珍しくなかったのだ。
「ワオーン!」
ヴァルが家の裏から勢いよく飛び出し、喜びの声をあげて挨拶した。
リコは驚き、一瞬息を呑んでグラシアスの後ろに身を寄せた。
「こら、ヴァル。落ち着いて、怖がらせちゃダメだよ。大丈夫だよ!」
片足を引きずり、片目を覆った少年が現れ、リコに向けて柔らかな笑みを浮かべた。
「どうぞ、お入りください、リコさん、グラシアスさん」
セラに促され、リコとグラシアスはヴァルと一緒に家の中へと入っていった。
リコは興味津々で視線をあちこちに巡らせている。
「ところで、グラシアスさんとリコさんはどういうご関係なんですか?」
グラシアスは心の中で「やった!」と喜んだ。
これまで何度もセラの気を引こうとしていたが、ようやく関心を示してもらえたのだ。彼はリコについて簡潔に説明した。
「そうなんですね。グラシアスさんって、優しいのね」
「ははは、そんなことないですよ!」グラシアスは少し照れくさそうに微笑んだ。
「それでは、お仕事の話をしましょう」
セラは奥の部屋から衣装を取り出し、木製のトルソーに着せた。その衣装は白く輝き、軽やかさと高貴さを漂わせていた。
リコ、ノルド、そしてグラシアスも、思わず目を見開き、その美しい衣装に見入っていた。
「美しい……さすがセラ様です」
「聖女様の祭礼衣装としてふさわしいデザインにしました。お聞きした聖女様の雰囲気に合わせて作ったんです」
「それに、何か仕掛けが?」
「ふふふ、小さな魔石を砕いて服の中に縫い込んであるの。こうやって魔力を流すと……」
セラが手をかざすと、祭礼衣装が美しく光を放った。
「なるほど、素晴らしいですね。いろいろと応用が効きそうです。それと、他にも……」
商談が続く中、ノルドがアイスレモンティーを皆の前に置いた。
ごくり、ごくり。
「お腹、空いちゃった……」黙って聞いていたリコが、控えめながらも食欲を訴えるように呟いた。
「じゃあ、とりあえずここまでにしましょうか。簡単なご飯を作るわ。手伝ってくれる?味見もできるわよ!」
「はーい!」
リコは椅子から飛び降り、嬉しそうに尻尾を振って、セラのもとへ駆け寄った。
「いいんですか!」
グラシアスも思わず満面の笑みを浮かべた。
「ええ、少しかかりそうだから、その間にノルド、ヴァル、グラシアスさんは森に行ってきて。」
こうして、二人と一匹は魔物の棲む森へと向かうことになった。
【後がき】
お時間を頂き、読んで頂き有難うございます。⭐︎や♡等で応援頂きますと、今後も励みになります。又、ご感想やレビュー等も一行でも頂けますと、飛び上がって喜びます。 引き続きよろしくお願いします! 織部
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