恋愛音痴
虎娘
1話 しあわせは歩いてこない
「ああぁ……、結婚したいなぁ」
ナイロン素材の防水エプロンを着け、浴室専用の車椅子に座る高齢男性の頭を洗いながら嘆くのは、介護付き有料老人ホームで介護士として働く
「なんだ、華ちゃん結婚したいのか?……だったら儂の後妻にどうじゃ」
「宮じいの後妻は嫌だよ~。ここにお金使って、ほとんど財産ないじゃん」
「なんと!儂の財産ねぇのか?」
「詳しい事は知らんよ。お湯かけるから目、閉じといてね」
慣れた手つきで
「宮じいは知ってる?私の同期の
「あぁ、知っとるよ。甫ちゃん、嬉しそうに話とったわい」
甫が幸せオーラを全開にしながら言いふらしている姿を、華は容易に想像できてしまい、一人勝手にむしゃくしゃしていた。
「あいつっ……!……はああぁ……、マジで羨ましい限りだよ」
「だったら儂の後妻にどうじゃ?」
「……財産ないじゃん」
「なんと!儂の財産ねぇのか?」
ごしごしと丁寧に身体を洗い、最後に男性のデリケートゾーンへと向かう手を、華は一旦止めた――。
最初の頃は見ることすら躊躇っていた華も、今となっては何の躊躇いもなく洗えてしまう。むしろ、皮膚に異常がないかまで確認しながら洗えてしまう自身に少しだけ呆れていた。
「……慣れは怖いな」
「何か言ったかね」
「力加減はどう?」
「あぁ、最高じゃ」
泡をシャワーで洗い流した後、車椅子を押しながら浴槽担当の元へと向かう。
「宮内さん、こんにちは」
「……」
「宮じい、ちゃんと挨拶してよ」
「儂……人見知りなんじゃ。こんな若い
先程までとは明らかに違うしおらしい態度に、華は少しだけ苛立ちを覚えていた。
「……うちは若い
「華ちゃんは儂の後妻だからのぅ」
にかっ、と笑う宮内は漫画で描きやすそうな歯抜けの口元をしていた。
「後妻じゃないし、なるつもりもない。それに、宮じい財産ないじゃん」
「なんと!儂の財産ねぇのか?」
「……知らんよ。ほな、うちは行くな。
「はい」
一体どれだけの男性を魅了してきたのだろう、と思わせるような笑顔を華に向ける香帆の名札を一瞥した。『
――ちょっ、なんで後輩相手にやきもきせなアカンのよ……!こんな妬ましい感情捨てなやってられへんわ。……なんでうちはいつもこうなんやろな……。あっかーん!こんな気持ち紛らわすには……飲むしかない!
華は気持ちを切り替えるために長い髪をくくり直し、次の利用者を呼びに向かった。
◇ ◇ ◇
「やっぱビールはいつ飲んでも最高やっ!」
テーブルへと中ジョッキが運ばれてすぐ、華は豪快に喉へと流し込んでいた。
「あたしはあんたのその飲みっぷりに感心するわ」
「いつも付き合ってくれてありがとうな」
「胃、空っぽのまんま飲んだらすぐに酔うてしまうで。ほぅら、口開け」
言われるがまま華が口開けると、お箸に摘ままれた一口サイズのだし巻きが運ばれてきた。
「んん~。このだし巻き最高っ!……ん、んぐ」
空かさずビールを流し込む姿を呆れた表情で見つめるのは、小学生の時から付き合いがある華の親友、
「んで、何に傷心してんの?」
「何、言われても……。何にもないで」
「このあたしに嘘が通じるとでも思ってんの?あんたと何年の付き合いやと思ってるねん」
「……みぃにはお見通しなんか」
ジョッキから手を離し、
「どうせしょうもない事なんやろ」
「……しょうもないって」
「大方、好きやった奴が結婚したとかちゃうの?」
「……っ!なんでわかんの!?」
「……うわ、マジか。あたしの勘の鋭さ、ピカイチ過ぎて引くわ」
「みぃ、なんでわかったん?」
「あんたがそうやってお酒をがばがば飲むときは、大抵恋愛の事で悩んでる時や。仕事面ではさほど悩まへんかっても、恋愛面ではびっくりするぐらい不器用やん。好きな俳優さんとかが結婚しただけでも落ち込むなんて、あたしには考えられへんわ」
「ぐぬぬぬ……俳優さんよりも声優さんの方がショック受けるし……」
「そないな事知らんがな。今までかて、
「……せやけど」
深雪は間髪入れずに話を続けた。
「ええか、よう思い出してみ。少なくとも、あたしが把握しているあんたの元彼5人とも、まともな奴とちゃうからな」
「……それは、……そうやな。せやかて良いところもあってんで?」
「は?どこにエエところがあんの?……っ!顔か?……あり得へん」
「みぃとうちの好みはちゃうやんか」
「最高でどんだけ続いたん?」
「えっと……、半年かな」
――まぁ確かに、みぃが言うようにうちは男運が悪いんやと思う。……ちゃうな、うちに見る目がないだけなんやろな……。
深雪はこれまでに何度も華の恋愛相談を受けていた。好意を持った段階からその後の進展まで、華は何でも深雪に相談していた。――だが、それがぱったりと無くなった時期があった。
「みぃ。うちな、誰か身近な人に恋人ができたり、結婚とかしはるとなんや凹んでまうねん。心のバロメーターが半分は嬉しいな、おめでたいなっていう感じなんや。けどな、もう半分は羨ましいとか、なんであの人は幸せでうちは違うの?って思ってしまうねん」
「……知っとるよ。せやから、
華の視線の先には、深雪の左手薬指にはめられている指輪があった。
「みぃは、今幸せ?」
「まぁ幸せかな」
「その幸せをうちにも分けてよぉ」
「ってか、マッチングアプリ登録してへんかった?あれどないなったん」
「あぁ……あれな、ヤりたい奴しか寄って
「……まさかやと思うけど、そんな奴と
「ん?……
「はあぁ。ええか、もっかい聞くで!そんなクズクズ言うてはりますけど、そんな奴と
関西弁は言葉で感情が読み取れてしまう――。華は今更ながら、関西弁のすごさを目の当たりにしていた。
「……会いました」
「何人と?」
「……3人」
「で、体の関係持ったんは?」
「……2人」
「あとの1人はどないしたんよ」
「何回か
「爆弾発言って何よ」
「……バツイチ子持ち。それも1人やのうて、4人!おかしない?」
「その事、あんたは知らんかったん?」
「うむ」
「まぁせやかて、向こうさんも言いづらかったんとちゃう?あたしが逆の立場やったら初めて会う人に……言うけどな。ありのままのあたしを見て、ってなるわ」
「なんやのそれ~」
気が抜けたように、華は目の前の枝豆に手を伸ばした。ほどよい
「と言うか、あんたのその性格をどうにかせんとあかんのちゃう?」
深雪は、まだ一口しか飲んでいない烏龍茶が入ったグラスを持ちながら華へ言った。
「性格を変えたって、結局バレるやん。うち猫かぶりなんてできひんし」
「……あんたはそうやな。ほな普通のマッチングアプリがあかんのやったら、趣味系のマッチングアプリとかはどうなんさ」
「趣味系って何?」
「簡単に言うたら、オタク専用のマッチングアプリ。ほら、これとかどうよ」
机の上に置いていたスマホを深雪は片手に持ち、素早くアプリを検索した後、その画面を華へと見せた。
「へぇ、こんなんもあるんや」
「結婚した夫婦の出会いはマッチングアプリ、っていう世の中やからな。よう見極めんと、クズみたいな男に引っ掛かるねんで!」
「もうわかったって。耳たこやて~」
「だいたい、あんたみたいに幅広い趣味があるんやったら、こういうアプリの方がええんとちゃう?」
「せやなぁ……」
華は深雪に勧められたアプリのレビューを一通り眺めていた。
「どのアプリも女性側は
「男性側も
「……やっぱそうなんや」
「ほんまのところは知らんけどな」
ギロリと鋭い眼差しで深雪は華を見た。その視線に気づいた華は、何事もなかったかのように顔を逸らした。
久々に羽目を外して飲み明かした華と深雪。深雪には迎えが来ている、ということで現地解散となり、華は夜風にあたりながら考え事をしながら歩いていた。
――趣味で繋がるのも……ありか……。
華は早速アプリをダウンロードし、新規会員登録をするために急ぎ足で帰路に就いた。
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