第26話 友情と打算

「マナーの授業で、アルフレートさんったらいびきをかいて眠っているんですもの、驚いてしまったわ!」

「ああっ、ヒルデったら酷いや! アマリアに告げ口しなくたっていいじゃないかっ!」

「あら、アルったら。ヒルデさんに言われるまでもなく、私も気づいていましたよ?」


 ハイリガークリスタル学園の旧園舎は、お昼休み時間になると、いつも三人の笑い声が響き渡る。


 初登園日以来、ヒルデ、アマリア、アルフレートの三人はここで昼食を取る事が日課となったのだ。

 基礎能力テストは卒なく終わり、魔力測定では、ストーリー通り、アマリアに類まれなる魔力量が存在していると発覚し、周囲から一目置かれる存在となっている。


 ヒルデはあの日以来、ジルの住処がある裏山に足を踏み入れなかった。行ってもまた会ってくれないだろうという不安と、それで傷つくのが怖かったからだ。


——ジルと銀月が同じ大イチョウだというのは、きっと私の妄想ね。状況が似ているから、そうだといいなって、思いたかったのよ。

 でも、彼はこの学園の敷地内からは出られないのだから、きっと見守ってくれているはず。私は、再会した時に彼にガッカリされない様に、何度も言われていた『学園生活を楽しむ』事にするのよ。


 ゲームのエンディングは三種類存在する。


 アルフレートかベルーノとヒロインがカップルになる、カップリングエンディングと、どの攻略対象ともカップルにならずに終わる、お友達エンディング。


 そして、レオンハーレンエンディングだ。


 最高難易度のレオンハーレンとのエンディングは特別で、聖なる力を手に入れたアマリアが、嫉妬に狂って魔女と化したヒルデを浄化し、更にはヒルデに魔力を与えた邪神として、ジルを討伐するという、ヒルデにとっては最悪なエンディングである。


 当初、ヒルデはそれを防ぐ為に、ヒロインから聖なる力を横取りしたわけだが、実のところ、カップリングエンディングにもヒルデにとっては嫌な結末が待ち構えている。


 その名も断罪イベントだ。


 ヒロインとカップリングした攻略対象からの断罪を受け、ヒルデの悪事が露見し、追放されるというイベントなのである。


 ゲームのストーリー通りに無理矢理に進んでいくこの世界の事だ。ヒルデが全く悪事を働いていないとしても、無実の罪を着せられて断罪される事だろう。

 それではヒルデが求める『平和』な生活ではなくなってしまう。


 つまり、ヒルデの不幸回避には、『お友達エンディング』一択なのである。


……だが。


——ジルに会う為には、レオンハーレンエンディングにしなくちゃいけないわ。ゲームのストーリー上必要な登場なら、ジルに拒否権は無い。強制的に登場させられるのなら、確実に彼に逢えるはずだわ。


 そうは考えたものの、ヒルデは初めて出来た友人とこうして昼食を取る時間を大切に想っていた。出来る事なら、これ以上打算的な考えなど入れずに過ごして居たい。


「私、アマリアさんとアルフレートさんとお友達になれて、本当に良かったわ! 二人共、どうも有難う!」


 ヒルデは素直に自分の気持ちを口にした。他愛のないお喋りをしたり、誰かとこうしてお昼休み時間を過ごしたり、こんなに充実して嬉しい時間を持つ事が出来たのは、二人のお陰なのだから。


 ヒルデの言葉を聞き、アマリアとアルフレートは僅かに顔を赤らめた。

 悪役令嬢エルメンヒルデ・ハインフェルトは、煌めく銀髪にサファイアブルーの瞳、長い睫毛に薄桃色に色づいた唇と、その見た目といったら極上の美しさだ。

 そんな美女から謙虚にも『友達になってくれて有難う』だなんて言われた日には、顔の一つや二つ赤らめて当然だろう。


「私こそ、ヒルデさんとお友達になれて良かったです!」

「俺だって! っていうか、俺達はもうずっと前から友達だった気がするんだけどなぁ。それなら友達より先の、もっと仲良くなっても良い頃っていうか、うん……」


 どさくさに紛れて余計な事を口走ったアルフレートだったが、残念ながらヒルデには全くもってその気がない。「ところで……」と、別の話題へと変更され、スッパリと切り捨てられてしまった。


「二人共、試験対策は進んでいるのかしら?」


 試験とは、前回ヒルデがオール満点を打ち出した学術試験のことである。


——私は二度目の試験だから良いけれど、アマリアさんには良い点数を取って、殿下にアピールして貰わないといけないもの。


 早速打算的な考えをするヒルデだった。


「俺、勉強苦手なんだよねー」


 苦笑いを浮かべたアルフレートをガン無視し、ヒルデはギラリと目を光らせてアマリアを見つめた。


「そうですね、私なりに頑張っていますよ」


 屈託のない笑顔で答えたアマリアだったが、彼女が住むエッセンベルン伯爵家は、爵位持ちながら貧乏な設定であるということを、ヒルデは知っていた。

 勿論、家事手伝いで、アマリアが勉強に集中できていないということもだ。


——ゲームヲタクを舐めたらいけないわ、アマリアさん!


「週末、アマリアさんのご自宅に伺っても良いかしら?」


 ヒルデはアマリアの手伝いをするためにそう申し出たわけだが、ふと『友達の家に遊びに行っていいか聞くなんて、初めてじゃないかしら!?』と考えて、アマリアの回答に急に緊張し出し、バクバクと心臓が鼓動した。


——どうしましょう!? 軽々しく聞いてしまったわよ!? ダメって言われたら哀し過ぎて死んじゃう!!


「そんな、恐れ多いです!!」


 アマリアの回答に、ヒルデは耳から魂が抜けかけた。


「え……やっぱり嫌かしら? そうよね、私みたいな悪役がお邪魔しに行くだなんて、邪魔以外の何者でも無いもの、塩撒いて拒否して当然よね。皆嫌よね。そうよね……」


 涙目になりながら寂しげにそう言ったヒルデに、アマリアは慌てて首を左右に振った。


「そうじゃないんです! その、家は公爵家のヒルデさんがいらっしゃるには、庶民的過ぎるので……」

「屋根があれば問題ないわ!」


 いくらなんでも馬鹿にしているのかと言わんばかりに究極である。


 とはいえ、現実世界で父親の気分によって、家に入れて貰えなかった事のあるヒルデにとっては、切実であった。


「でも、ヒルデさん。お恥ずかしながら、家は従者が少ないので、休日は食材の買い出しもありますし……」

「まあ!」


 ヒルデは嬉しそうに手を組むと、「力仕事、大得意ですわ!」と宣った。

 アマリアの家の手伝いをしに、家にちょくちょく訪れていたアルフレートは、それを聞いてパッと手を挙げた。


「それじゃあ、俺も一緒に手伝うからさ。さっさと終えて皆で試験勉強しようよ!」

「そうね! 持つべきものは友ですわ!」


 ヒルデは初めて口にする言葉に一人感動していたわけだが、それは本来自分が相手から何かして貰った際の感謝の言葉である。


「分かりました。では、週末お待ちしていますね。でも、なんだか申し訳ないです」


観念した様に言ったアマリアに、ヒルデは心の底から嬉しそうにガッツポーズをした。


——楽しみな予定があるだなんて、なんてウキウキして幸せな気分なのかしら!!


 そう考えて、ヒルデはふと思った。

 今までジルと会う事は突発的だった。もしも互いに約束をし、待ち合わせて会うともなれば、待ち遠し過ぎて耐えられないに違いない。


 そう、所謂いわゆる『デート』である。


 ヒルデの脳内には美化されたジルが投影され、同様に美化された自分と、「待ったかしら?」「いいや、今来たところさ!」という会話を繰り広げている。


「う……うぐぐ……」


 恋愛偏差値がすこぶる低いヒルデには、過激すぎる想像だ。急に心臓が苦しくなり、思わず胸を押えた。


「ヒルデ、どうしたんだい?」

「む、胸が苦しいわ……」

「大変だっ!」


 アルフレートは「大変だ! 水を汲んで来るよ!」と言って、パタパタと駆けて行き、アマリアは驚いてヒルデの肩に触れた。


「大丈夫ですか? ヒルデさん!」

「ええ、ちょっと。ある人の事を考えると心臓が痛むのよ。何故かしら?」

「ある人、ですか?」


 アマリアは不思議そうに小首を傾げた。肩にかかった栗色の髪がふわりと揺れ、ほんのりと頬が赤く染まっている。

 ヒルデは溜息を吐くと、「ええ。なかなか会えない人なのよ」と寂しげに瞳を潤ませた。


 そんなヒルデの様子を見てしまえば、ゲームのヒロインであり、恋愛偏差値が頗る高いアマリアとしては、一発で『恋の悩み』である事を見抜き、更には『なかなか会えない人』という点から、相手はレオンハーレンであろうというところまで予測した。


 残念ながら、相手に関しては大分的外れである。


「ヒルデさん、良かったら私に話してください。悩みは一人で抱えていても辛いだけですよ」


 アマリアの言葉に、ヒルデはじんわりと目頭が熱くなった。今まで悩みを誰かに相談したことなど一度も無かったからだ。


「……実は、とっても会いたい人がいるのに、私が会いに行っても顔すら見せてくれないのよ。私、嫌われているのかしら……」


——ジルの事を考えただけでも胸が痛んで仕方がないわ。


 すっかりと落ち込んだ様子のヒルデに、アマリアは労わる様に潤む鳶色とびいろの瞳を向けた。


「嫌っている訳では無いと思います! きっとお忙しくて会う時間が取れないだけなんだと思いますよ」


 ヒルデは小首を傾げた。ジルはいつも暇そうにしていた様子しか思い浮かばなかったからだ。


「……忙しいかしら?」

「ええ! かなり忙しいと思います! でもきっと、もう少し待てば一緒に居られる時間が増えると思いますよ」


 ヒルデとレオンハーレンは婚約者同士である。となれば、待てばいずれ結婚するのだから、一緒に居られる時間も増えるだろうというアマリアの考えだ。


——確かに、ジルにも私が知らない役目や仕事があるのかもしれないわ。ジルの住処だからって、ずっとそこに居るわけではないのかも。


「そうね、もう少し待ってみるわ。話を聞いてくれて有難う、アマリアさん。なんだか少し楽になったわ!」


 にこりと微笑むヒルデを見て、アマリアは心の中でレオンハーレンを責めまくっていた。

 『いくら公務が忙しいからといって、婚約者にこんなに寂しい思いをさせるだなんて酷い! 見損なったわ!』と、罪もない男を非難していたのである。


「ヒルデさん、私で良ければいつでも相談してくださいね」

「ありがとう、アマリアさん!」


 美しい女の友情が芽生えている訳だが、ここに多大なる勘違いが産まれている事を、ヒルデは知る由も無かった。

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