第20話 魅力

 莉の願いを叶え、俺様は千年の眠りについた。


 莉が本当に欲したのは、泉の水ではなく、『愛情』だったのだろう。俺様のような人ならざる者からのちっぽけな愛情ではなく、同じ人間からの沢山の愛情。


 それだというのに、彼女は結局誰からも大切にされないまま、短い生涯を終えてしまったらしい。

 人間達がご丁寧に立ててくれた解説看板で、俺様はそれを知った。


 眠りから目覚めた後の世界はつまらないだけで、過ぎ行く時間をただただ虚無のまま過ごしていた。


 世界は無情だ。どんなにか不幸な人間だろうと、どんなにか幸せな人間だろうと、『死』という結末が同じなのだから。


 もう、何も見たくなかった。結末は決まり切っているのだから、その経過を知る必要などないだろう。


「私にも、話しかけてくれたらいいのに……」


 ポツリと呟いたその言葉が妙に響き、気だるい思いで視線を向けた。が、俺様は彼女の姿を見て心が震えた。


 彼女は、莉の生まれ変わりなのだと一目で分かったからだ。


 毎日の様に神社に通う彼女の身体は、いつも傷ついていた。その場から離れ、彼女を守る事のできない俺様はどれほどにもどかしく、苦しかったことか……!

 使い尽くしてしまった神力は、千年の時を経てすら回復していない。傷つく彼女を守るどころか、声をかける力すら残されていなかったのだ。


 この身を失おうとも、今度こそは彼女の願いを叶えたい。彼女の、本当の願いを……!!


『現実なんか捨てて、このゲームの世界に入れたらいいのに……』


 その日、彼女の願いを叶えた俺様は、その代償として雷に打たれ、凄まじい痛みと共に身体が真っ二つに裂けた。

 倒れる自分の身体を、せめて現実世界での彼女の居場所を無くしてはならないと、無理やりに手水舎を避けて御社殿の方へと向けた。


 御社殿を破壊した俺様は、生命力を全て取り上げられた。身体は弱り果て、風ごときにも枝を折る始末だ。ついには切り倒されることになり、俺様の長い一生はやっと終わりを告げた。


 それがまさか、ヒロインじゃなく悪役に転生させてしまうとは思いもよらなかった。恐らくヒロインのアマリアよりも、エルメンヒルデの方が強く健康だったのだろう。


 そして、もう一つ誤算があった。


 彼女の現実世界での人生が、それほどに短く終えてしまうだなんて思ってもみなかったのだ。


 莉もまた、短い人生を終えていた。それは偶然なのだろうか?


 聖なる力を手に入れたヒルデは、その力を使う度に寿命が縮んでしまうようになっちまった。


 ああ……そうか……。


 願いの『代償』は、彼女の命なのか。



◇◇◇◇



「邪神って、どういうこと……?」


 ヒルデはジルの傍らで震える声を発した。ベルーノが説明をしようと言葉を発する前に、ジルが肩を竦めながらあっけらかんと言い放った。


「言ったろ? 『願いは叶えて貰えて当たりまえ。叶えて貰えなけりゃ邪神扱いで滅されるのがオチさ』ってなぁ。つまりは、このゲームのストーリー通りってわけだ」


 ヒルデは胸を氷の刃で射抜かれた様な感覚に陥った。


——このゲームでのジルの役割は、聖なる力を与える役目と、悪役令嬢エルメンヒルデに魔力を与える役目の二つなんだわ……。つまりは、ゲームのラスボスである邪神であり、彼は攻略対象の手によって倒される運命……?


「俺様、ヒロインよりも先にお前さんに力を与えちまったからなぁ。エンディングにはちょっとばかり早いが、ストーリー通りの展開ってこったな」


 ジルは観念した様に歩を進め、剣先を向けるベルーノの前へと立った。レオンハーレンはその後ろで微動だにせず睨みつけている。


「ラスボスっつってもな、俺様は所詮ぶっ殺されて終了の脇役さ。登場回数だって殆ど無い。だが、悪役令嬢のお前さんには別の人生があるだろう? 魔女として浄化されなかった場合の、別のな?」


 悪役令嬢エルメンヒルデ・ハインフェルトの浄化されなかった場合のその後については、特に語られていない。

 それはつまり、決められたストーリー通りの人生を進む必要がない、自由な未来であるということだ。


「ジル……。ひょっとして、わざとなの? このドレスを私に贈って、早く貴方を消させるように仕向けたというの!?」


 ジルはヒルデの言葉には答えずに、じっとエメラルドグリーンの瞳をベルーノに向けた。ベルーノは僅かに怯んだ様に眉を寄せ、ジルはその視線を後方に控えるレオンハーレンへと向けた。


「解ってるだろうが、彼女に罪は無いぜ? ここにこうして居るのも、邪神である俺様に誑かされだけの被害者だ」


 レオンハーレンが紺碧色の瞳でジルを睨みつけながら答えた。


「それについては、貴様を滅した後にゆっくりと尋問するとしよう」

「うっわぁ……信用ならねぇな。彼女に乱暴なことすんじゃねぇぞ? そしたら化けて出てやるからな? 夜な夜な枕元に立ってやるからな!? 毎日髪の毛毟ってやるからな!?」


 ジルはこれから起こる事など大した出来事ではないとでもいった風に、いつもと変わらない態度のままだった。


 ヒルデは苛立ち、唇を噛みしめた。


——ジルが邪神として消されたのなら、このゲームのストーリーはここで終了して、私は晴れて健康で平和な生活を手に入れる事ができるかもしれない。

 それはずっと望んでいたことだわ。悪役というストーリー上の設定からも解放されて、平和に生きたかったのだもの。

 ……でも、それなのにどうしてかしら……? ちっとも嬉しくなんかない。


 ベルーノがジルに向けた剣を握る手に、力を込めた。


 ヒルデは祈る様にぎゅっと手を合わせ、咄嗟に叫んだ。


「お願いです殿下! どうか、ジルを罰したりなんかしないでください!! 邪神だなんて、あんまりです。彼は何も悪い事なんかしていないのに!!」

「エルメンヒルデ・ハインフェルト」


ベルーノがジルに剣先をつきつけたまま静かに言葉を放った。


「貴方は殿下の婚約者なのです。それだというのに、その者が贈ったドレスをそうして身に纏い、ダンスパーティーも急遽欠席し、あろうことかその男と二人きりで夜遅くに密会しているとは、重罪です!!」


怒りを込めてそう言ったベルーノの後ろで、レオンハーレンが僅かに笑みを浮かべた。


「その全ての責は自分にあるのだと、そこの邪神は申しているようだが、違うか?」


 ジルを滅することでヒルデの行いは全て不問にすると、レオンハーレンは言いたいのだ。


「邪神よ、我が婚約者を誑かし、聖なる力と偽って魅了の力を与えるとは一体何が目的だ?」


 レオンハーレンの言葉に、ヒルデはドキリとした。ジルに聖なる力には怪我の治療の他に、魅了の効果があるということを知られたくなかったからだ。

 だが、ジルはあっけらかんとした様子で声を放った。


「別に目的なんかねぇけど。つーか、その程度で魅了されるお前さんらの意志が弱いってだけだろ? くだらねぇ。何でもかんでも俺様のせいにするんじゃねぇや」


 ジルの答えに、ヒルデは唇を噛み、瞳を潤ませた。

 ジルは、聖なる力で芽生えた感情を、『くだらねぇ』と宣った。それはつまり、ヒルデに向けるジルの優しさは、決して偽りではないということなのだから。


「いいか? この際だから説教してやる。きっかけが何であれ、彼女の魅力は本物だぜ。それほどに必死になってしてきた彼女の努力の結晶なんだ。人の魅力ってもんは、そういうもんだろうが。努力してきた人間は美しいんだ。わかったか、あんぽんたんめ!」


 ジルの言葉を聞き、レオンハーレンは苦々し気に睨みつけた。

 ヒルデの魅力を真に理解し、彼女に心から惹かれていると告白しているのだから。


「何にせよ貴様の存在はこの学園にも、この国にとっても災いを齎すことだろう。大人しく従うのであれば……」

「わかってるって。だから一思いにサクっとやりやがれつってんだ。めんどくせぇ奴め。抵抗なんかする気はさらさらねぇさ。大人しく簡単に死んでやるから光栄に思いやがれ」


 ベルーノがチラリとレオンハーレンに視線を送り、レオンハーレンが頷いた。ヒルデはゾッとして手を伸ばし、「止めて!!」と叫ぼうとした。


 だが、ヒルデの最初の声が発せられる前にベルーノが握りしめた剣が、ジルの肉体を貫いた。

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