第19話 囚われの王子
ハイリガークリスタル学園、毎年恒例イベントであるダンスパーティー当日。
上級貴族の令息、令嬢達、そして教師達も、この日の為にと準備した自慢の衣装を身に纏い、華やかに飾り立てられたダンスホールを一層に
このゲームのヒロインであるアマリアは、淡い桜色のドレスに身を包み、パートナー役のアルフレートは薄いグレーの装いで、彼女をエスコートした。
「アマリア、今日は一段と可愛らしいね」
「有難う、アル。アルも素敵よ!」
そう言いながら、アマリアはチラチラと会場の出入口に視線を向けていた。レオンハーレンとヒルデの二人が現れるのを待っているのだ。
ヒロインも大変である。
アルフレートもまた、アマリア同様に出入口へと視線を向けながら、興奮気味に言った。
「そういえば、うちの使用人から噂で聞いたんだけれど。昨日、公爵邸にルビー・グッド氏の店の箱が届けられたらしいよ」
アルフレートの言葉に、アマリアではなく周囲のご令嬢達が食いついた。
「ええ!? あの有名デザイナーのルビー・グッド氏ですか!?」
「住処すら公開されていない幻のデザイナーですわよね!?」
「王族とのコネが無ければ注文できないと聞きましたわ!」
「私も聞きましたわ!」
「私も!!」
「そのような貴重な品を手に入れるとは、流石公爵家ですわね」
「殿下からの贈り物かしら?」
「羨ましいですわ~!」
きゃいのきゃいのと騒ぐ令嬢達の声を聞きながら、アマリアが悔し気に唇を噛みしめた。その横で、アルフレートが胸を張る。
「まあ、どんなドレスだろうと、ヒルデの美しさを前にしたら霞むだろうけれどね!」
何故か得意気に言い放つアルフレートを見て、アマリアが不満気に頬を膨らませた。
ヒルデから受けた聖なる力の特殊効果は絶大である。
しかし、今か今かと登場を待ちわびる者達の期待を他所に、ヒルデも、そしてレオンハーレンと、彼を護衛するベルーノも現れることなく、ダンスパーティーが開始した。
参加者達は不満に思ったものの、各々パートナーとのダンスを楽しみ、会場は二名の攻略対象と悪役令嬢を欠いた状態で粛々と進行した。
◇◇
日がもうすぐ沈むという冥色に染まった空には、ポツリポツリと星々が煌めき、新緑色の葉を薄闇の中で揺らめかせる大イチョウの木の元で、ジルは煙草にオレンジ色の炎を灯した。
ふぅっと息と共に白い煙が吐き出され、穏やかな風が一瞬のうちで煙を掻き消していく。
ジルは、白地に銀糸で刺繍の施されたコートを羽織り、サファイアのピアスとスカーフリングを身に付けていた。黄金色の髪を整え、髪留めもまたヒルデの瞳の色と同じサファイアブルーの物を使用している。
園舎のダンスホールから、音楽が漏れ聞こえてきた。恐らくダンスパーティーが開始したのだろう。
「……楽しんでるかなぁ?」
ポツリとそう言いながら、ジルはふぅっと煙を吐いた。
「楽しんでなんかいないわよ……」
後方から聞こえて来た声に、ジルは驚いて振り返った。
「全く、一体どういうつもりなのかしら!?」
頬を膨らませてぷりぷりと怒るヒルデを見つめ、ジルはにっかりと微笑んだ。
「なんだ、パーティーが始まっちまったから、ここには来ないんだと思ったのに」
「来ないつもりだったわよ」
「でも、来てくれたんだな。嬉しいし、そのドレスもめちゃくちゃ似合ってるぜ」
黄金色のドレスに身を包み、エメラルドグリーンのアクセサリーを身に付けたヒルデは、不満気にジルを見つめながらも、頬を紅潮させた。
「……有難う。冗談でも嬉しいわ」
「冗談なんかじゃないさ、綺麗だぜ」
ジルはそう言うと、
「跪いたりなんかして、一体どうしたのよ」
「足りないものがあるだろう?」
「足りないもの?」
「ああ」
「何かしら……?」
小首を傾げたヒルデに、ジルは笑みを浮かべた。瞬きをする度に黄金色の長い睫毛が揺れている。向けられるエメラルドグリーンの瞳にドキリと心臓が鼓動し、ヒルデは何故だか無償に恥ずかしくなって、遠慮がちにジルを見つめた。
すると、ジルはパッと両手を差し出した。
その手には、黄金色の靴が握られていた。
「知ってるか? シンデレラの靴は、黄金の靴だって説もあるんだぜ?」
「そんなこと、知らないわ」
「ガラスの靴は、割れちまったら、お前さんに怪我をさせちまうだろう? そんなモンを履かせられねえからさ。だから、これを履いてみてくれよ」
ヒルデは恐る恐るジルの側へと赴いた。ジルは優しくヒルデの靴を脱がせ、黄金の靴を履かせてくれた。
「ほら、ピッタリだ。流石は俺様のシンデレラだなぁ」
「何を言ってるのよ! キザったらしいわっ!」
顔を真っ赤に染めるヒルデを見つめ、ジルは嬉しそうに笑って立ち上がった。
煙草の香りがほんのりと香る。
「そのドレス。着てくれてありがとな」
「こんな素敵なものを贈られたら、着ないわけにはいかないじゃない」
「気に入ったか?」
「……ええ」
——本当に嬉しかったのは、このドレスを贈ってくれたジルの気持ちだわ。私のことを想ってくれたって解っちゃったんだもの……。
「有難う、ジル。とても嬉しいわ」
「へへ。俺様、優秀だからな。シンデレラの妖精役と王子役の二役を演じてやるぜ」
ジルはいつもの様な無邪気な笑みではなく、瞳を細め、まるで愛しい者を見るかのように微笑みを浮かべた。
銀色の月明かりがジルの黄金色の髪を照らし、成程、人ならざる者であると納得する程に神々しく見えた。
「でも、だなぁ。俺様謝らなきゃならねぇ事が……」
「何? 沢山ある気がするわよ?」
ヒルデの言葉にジルが噴き出して笑った。ヒルデもクスリと笑い、ジルは照れた様に項を掻いた。
「俺様、踊れないんだな、これが」
「……え?」
「ごめんな? 長く生きてはいるんだが、踊った事なんか無いんだ。神楽なら見様見真似でどうにか」
ヒルデはキョトンとした後に、「なにそれ、そっちの方が難しそうじゃない!」と言って笑った。
「じゃあ、私が教えてあげるわ」
ヒルデはニコリと微笑むと、ジルの手を取った。ジルは戸惑いながら手を見つめ、難しそうな顔を浮かべた。
「踊れっかなぁ……?」
「大丈夫よ、ほら」
「俺様、今気づいた。王子様要素皆無じゃねぇか? 自分でシンデレラの王子云々抜かしておきながら、踊れねぇなんて格好悪ぃな」
ヒルデはくすくすと笑うと、「王子様役はレオンハーレンに任せておけばいいわ。私は、彼のヒロインじゃないもの」と言ってゆっくりとステップを踏み出した。
ジルはヒルデの手に触れ、たどたどしいながらもしっかりとした足取りでステップを踏む。
「上手じゃない。シンデレラに魔法を掛けた妖精が、もしもジルの様な人だったら。きっとシンデレラは、顔も知らない王子じゃなく、妖精と踊りたくなったと思うわ」
「俺様の様なイケメンな妖精はそうそう居ないぜ?」
月明かりの下で、二人は遠くから聞こえてくる音楽を聴きながらダンスを楽しんだ。
「ずっと待ってたんだ。お前さんが来るのを」
ジルが踊りながら言葉を吐いた。
「シンデレラは王子を待っていたかもしれねぇが、王子だってきっとシンデレラを待っていたんだと思う」
「ジルったら、今日は随分ロマンチストなのね。王子様要素皆無なんじゃなかったの?」
「お前さんを守ってやれるなら、王子だろうと悪魔だろうと、なんだってなるさ」
「神様なのに?」
「転職してやる」
ヒルデはジルの言葉にクスクスと笑った。
——不思議だわ。歯の浮く様な台詞でも、ジルが言うと全然鳥肌が立たないんだもの。
ヒルデは瞳を閉じ、ジルが触れる手の温もりを味わった。
寂しかった心が幸せで満たされていく。優しさを与えてくれる人は温かいのだと、ヒルデは初めて知ったのだ。
だが、ふと疑問が浮かんだ。
——ジルが優しいのは、私が聖なる力を手に入れたからなのかしら。彼の傷を癒した事はないけれど、もしそうなら……?
ヒルデはそう考えて、心がズキズキと痛むのを感じた。攻略対象達への状態異常を解いて貰う事を相談しようと思ってはいたものの、ジルにまで嫌われてしまったらと思えば、押し黙るしか無かったのだ。
「どうした? 何か言いたげだな」
「いいえ。何でもないわ」
——この魔法のようなひと時だけでもいいわ。今だけは、余計な事を考えずに、幸せに浸っていたい。
「なあ、もし……」
「邪神ジルヴァ!! 貴様、殿下の婚約者から離れろ!!」
ジルが何か言いかけた瞬間、それを遮る様に怒鳴り声が聞こえ、二人は振り返った。
そこには剣先を向けたベルーノと、その後方に群青色のコートを羽織ったレオンハーレンの姿があり、冷たい目で睨みつけていた。
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