第18話 プリマドンナ

「お嬢様!! エルメンヒルデお嬢様!!」


 ダンスパーティーを翌日に控えた夜。公爵家の邸宅にて、日課となっている柔軟運動をしていたヒルデの元に、フローラが慌てた様に叫びながら駆けつけた。


 当然ながらドレス姿で柔軟運動をするわけにはいかない為、ヒルデの恰好は特注の動きやすい服装である。

 簡素な半袖のシャツに、膝上のゆったりとしたハーフパンツであるわけだが、中世を舞台にしたこの世界では、貴族のご令嬢がそんな恰好をしようものなら、頭がどうにかなってしまったのではと、噂される程にあり得ない事だろう。

 最初のうちは寝間着姿で運動をしていたのだが、初めてヒルデのその様子を見た、この世界に於いての父である公爵は、卒倒しそうな勢いで頭を抱え、慌てて運動に適した服を発注してくれたのだ。


『邸宅の外では決してそのような恰好をしない様に!!』と口を酸っぱく言われてはいるものの、なかなかに寛大な父である。

 無論、寝間着姿のまま運動をする娘よりはマシだ、という判断からの苦肉の策であったわけだが、ヒルデは今の服装がとても気に入っていた。


「おいっちにぃさんしぃ、にーにーさんしっ! さんにぃさんしっ、よんにぃさんしっ!」


 まるで猿の様な動きを繰り出すヒルデの様子は、年頃の淑女からは程遠い。公爵が全力で隠したがるのも当然であると、フローラは納得しながら咳払いをした。


「お嬢様、大変です!」

「うーん、何がかしら?」


 柔軟運動を続けながら返事をしたヒルデの前に、フローラは大きな箱をドン! と勢いよく置いた。

 眩い程の金色の箱に、銀色のリボンが結ばれているという派手派手しい様子に、ヒルデは顔を顰めた。


「何かしら、このセンスもへったくれもない箱は……」

「何を仰いますやら!? 有名ファッションデザイナーのルビー・グッド氏のお店の箱ですよ!! 王族のコネが無いと手に入らないという、幻のお品物ですっ!!」

「……ふーん?」


 大興奮のフローラの様子とは裏腹に、ヒルデは興味無さげに柔軟を続けた。


——変ね。レオンハーレンは『手配が間に合わなかった』と言っていたもの。


「誰からの贈り物なの?」

「それがですね、何処にも書いていないのです。お嬢様、早く開けてみてくださいなっ!」

「ええっ!? 匿名のブツなんて怪し過ぎるじゃない! 爆発したらどうするの!?」


 ヒルデは無駄に用心深かった。


 フローラはぶんぶんと首を左右に振ると、息巻いた様に言葉を発した。


「恐らく学園で開催されるダンスパーティー用に、どなたかがお贈りになられたのでしょう。エルメンヒルデお嬢様の為に、きっと必死の思いで手に入れたに違いありません。そのお心を無碍になさってはなりませんよ!」


 つまり、フローラはどうしても箱の中身が見たいのだ。


「でも、ダンスパーティーで着るドレスはもう用意してあるじゃない」


 ヒルデの予想通り、青系の色の上質で品のあるドレスだ。エルメンヒルデがアマリアに見せつけるように身に纏った派手派手しいものとは、明らかに異なるデザインであったものの、銀髪のヒルデに良く似合う色合いだ。

 レオンハーレンに嘘をつかずに済んだ事に、心の底から安堵したのは言うまでもない。


「こちらのドレスの方がきっと素敵ですよ!」

「でも、罠かもしれないわよ? 毒針が仕込まれていて、着た瞬間グサリとか!?」

「……お嬢様、一体誰にそれほど恨みを買ったのです? 何か身に覚えがあるのですか?」


——無いけれど……。


 ヒルデは嫌そうに金ぴかの箱に視線を向けた。


「そもそもドレスってコルセットで内蔵締め上げるんだし、身体に悪いから着たくないのよね」


——寿命が縮むわ。


「もう、焦らさないでくださいませ! どんなドレスが入っているのかご覧になってみるくらい、いいではありませんか!」


 フローラが余りにも急かすので、ヒルデは仕方なく銀色のリボンを解いた。金ぴかの箱を開き、中から出て来たのは箱が霞んで見える程に見事な黄金色のドレスだった。


 と言っても、決して派手派手しく下品なものでは無い。


 輝く黄金の糸で丁寧に縫われたドレスは、光を浴びる度にキラリ、キラリと、ところどころで輝きを放つ。胸元は絹糸が編み込まれたデザインとなっており、そこから流れるようにオーガンジーの布が降りている。着付けの際はそれを結ぶと可憐なリボンとなることだろう。

 背中には折り畳んだ幅の広いボックスプリーツがあしらわれ、裾に向けて大きく広がり、イチョウの葉の様なデザインとなっている。


「なんと……見事なドレスなのでしょうか。お嬢様、私、言葉を失ってしまいました……」


 ヒルデもフローラの言葉に同意した。このドレスからは温もりを感じる。ヒルデの事を想って、あれやこれやと思案してくれた注文者の気持ちが伝わるかの様だ。


「きっとお嬢様に良くお似合いの事でしょう。まるで黄金の蝶の様ですね」


ほぅっとため息交じりに言ったフローラの言葉に、ヒルデは心の中で『蝶は蝶でもイチョウだわ』と突っ込みを入れたのは言うまでもない。


 ふと、箱の隅に木箱が入っているのが見え、ヒルデは手に取り蓋を開けた。


「まぁ! お嬢様、こちらも素敵なアクセサリーですね!」


 フローラがヒルデの手の中の木箱を覗き込み、感嘆の声を上げた。箱の中には、細かくカットの施されたエメラルドのネックレスとピアスが、ヒルデに身に付けて貰う事を願っているかのように煌めいていた。


——贈り主はジルだわ……。


 ヒルデはきゅっと唇を噛みしめた。


——私が、レオンハーレンのパートナーだってことくらい知ってるはずなのに、一体どうして……?


 ヒルデはレオンハーレンに『青いドレスで行く』と伝えてある。彼もそれに合わせた出で立ちでダンスパーティーに参加することだろう。


 つまりは、もしヒルデがジルから贈られたドレスを着たのならば、レオンハーレンを裏切った事になるのだ。


——私、このドレスを着てダンスパーティーに参加するわけにはいかないわ……。


 素晴らしいドレスを前に、唇を噛みしめて悲し気に俯くヒルデに、フローラは心配した様に声を掛けた。


「お茶のご用意を致しましょう」


 フローラが席を外し、ヒルデは深いため息を吐いた。


『それ以上頑張らなくたってお前さんは十分さ。辛い思いなんかせずに楽しんだらいいんだ。少し位我儘に生きたっていい。お前さんの人生は、お前さんのものなんだからな』


 ジルの言った言葉が、ヒルデの脳裏に浮かぶ。チラリと黄金色のドレスへと視線を向け、ヒルデは再びため息をついた。


——どうしよう。私、あのドレスを着てダンスパーティーに参加したいわ。パートナーもレオンハーレンではなく、ジルなら良かったのに。


 ジルと踊れたのなら、どんなにか楽しいだろう……。


 ヒルデは想像し、祈る様に合わせた手をぎゅっと握りしめた。

 冗談を言い合いながら、お互い楽しくて自然と顔から笑みが零れる事だろう。ジルと一緒に居る自分は、悪役令嬢エルメンヒルデを演じる必要など何一つ無いのだから。


 『愛莉』で居られたのだ。そして、素の自分を、彼は受け入れてくれた。


——でも、それは駄目。レオンハーレンに恥をかかせるような事はできない。私の我儘なんか赦されないわ。この人生は私の人生ではなく、エルメンヒルデ・ハインフェルトの人生なのだから。


 ヒルデは何度も何度もため息を吐き、夜が更けていった。

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