第17話 好感度なんて不要ですわ

 白木作りのガゼボは、サンサンと降り注ぐ日の光を遮って、穏やかで心地の良い日陰を作り、ヒルデとレオンハーレンの二人を守ってくれているかの様だ。


 学園の中庭に咲き乱れる花々から香しい香りが放たれて、ヒルデの鼻をくすぐった。

 それに混じってふわりとレオンハーレンから柑橘系の香りが漂った。そういえば、以前も図書館で彼から同じ匂いが香っていた事を、ヒルデはふと思い出した。


「ベルガモットかしら……」


 何とは無しに呟いたヒルデの言葉に、レオンハーレンは顔を上げた。


「ああ、私が好んで使っている精油だ」


そう言って、アッシュブルーの髪をかきあげた時、その首筋に発疹がみられたので、ヒルデはハッとして「いけません!」と声を発した。


「殿下、ベルガモットの精油には光毒性がありますわ。日の光に晒されると、肌に悪影響を与えてしまいます」


レオンハーレンは感心した様に自らの首筋に触れた。


「……なるほど、道理で発疹が治まらぬわけだ」

「肌に直接塗布しないように、布に染みこませるなどをしたらどうかしら」

「そうだな、気を付けよう」


——しまった。余計な事を言ってしまったかしら。


 ヒルデは慌てて小さく咳払いをすると、早々に話題を切り替える事にした。


「それより、何故私をこちらへお呼びになったのかしら」

「うむ、そなたに二つ聞きたい事があってな」


レオンハーレンはそう前置きをした後、紺碧色の瞳をヒルデへと向けた。


「ダンスパーティーで、そなたは何色のドレスを纏うつもりなのだろうか。私が用意して贈りたかったのだが、巨大水晶が破壊された始末に追われていてな、私の服も間に合わせとなってしまった。パートナーとしてせめて、そなたのドレスと色だけでも合わせておきたいのだ」


——え……。そんなの知らないわ。


 ダンスパーティーに興味が無いヒルデは、その日に着るドレスは疎か、身に付けるアクセサリ―類に至るまでの全てを、フローラに任せていたのだ。

 とはいえ、フローラが選ぶ服には統一性があった。ヒルデの銀髪やサファイアブルーの瞳に合わせ、青系のドレスを用意する事が多いのだ。


「……青かしら」


 ヒルデの答えに、レオンハーレンは納得した様に頷いた。


「成程、そなたに似合う色だな。心得た」


 そう言って、にこやかな笑みを浮かべた彼の紺碧色の瞳やアッシュブルーの髪を見て、ヒルデはすぅっと青ざめた。


 乙女ゲー……というよりも、恋愛系の話によくあるセオリーとして、好感を持つ相手の髪や瞳の色をイメージした宝石やドレスを身に纏う。

 ヒロインであるアマリアとしてゲームをプレイしていた時は、ダンスパーティーのイベントではここぞとばかりに、好感度を上げたい攻略対象の髪や瞳の色に合わせたドレスを選んでいた事を、思い出したのだ。


——これじゃあ、私が彼を攻略しようとしてるようなものじゃない!? いや、でもだからといって何色を着れば正解なの!? レオンハーレンからのパートナー申し込みを受けたわけだし、そもそもエルメンヒルデとレオンハーレンは婚約者同士なワケだし!? それなのに別の色を選ぶ方が絶対きっとマズイに違いないわよね!?


 ヒルデは混乱していた。


 彼女のその様子をレオンハーレンは押し黙ったままじっと見つめ、暫くの間楽し気に観察していた。


 とんでもなく意地の悪い男である。


「二つ目の質問を良いだろうか」


 レオンハーレンの問いかけに、ヒルデは混乱しながら「は、はいっ!!」と、返事をした。慌てて声が裏返ってしまったのは言うまでもない。


「そなたの聖なる力の事だ。あれには傷を癒す事以外にも、特別な効果がある様に見受けられる。そなたはそれを理解していて使っているのだろうか」

「……特別な効果?」

「うむ。そなたに傷を癒されて以来、ベルーノの様子がどうにも妙なのだ」


——頭がおかしくなったという事かしら?


 失礼である。


「ヒルデ、些細な事でも良い。何か覚えは無いだろうか」


 ヒルデはキョトンとして小首を傾げた。


——そもそもアマリアが授かる予定だった能力よね? ハテ……?


 と考えて、ヒルデはハッとした。


 ここは乙女ゲームの世界なのである。それはつまり、『ヒロインが攻略対象を誑し込む』事を目的とした舞台であり、この世界で手に入れる能力やアイテムは、自ずと攻略対象の好感度が上がる効果があるというわけだ。

 つまり、ヒルデが聖なる力を使い、傷を癒した攻略対象は、ヒルデへの好感度が強制的に上がっている状態となるのだ。


 無論、ゲーム終盤、聖なる力を手に入れたアマリアは、正に敵無しの無双状態と化すわけだが、ヒルデにとっては有難迷惑ありがためいわく極まりない。


「……げ」


 思わず声を洩らしたヒルデを、レオンハーレンは紺碧色の瞳を細め、じっと見つめた。


——ちょっと待って!? ということは、アルフレートやベルーノは私への好感度が上がってるって事よね!? アルフレートは元々お人好しキャラだからよく分からなかったけれど、ベルーノの物腰が突然柔らかくなったのはそういう事なのかしら!?

 どうしよう!? めちゃくちゃ迷惑だわっ!!


 自分でやっておきながらとんでもない言いぐさである。


「……すまぬが、その特別な効果が分からぬ以上、暫くは聖なる力の使用を控えては貰えないだろうか」

「も、勿論ですわ!!」


——寿命と引き換えに好感度を上げる気なんか無いものっ!! そもそも関わり合いになりたくないんだしっ!


 ヒルデはジルに相談しようと心に決めた。この厄介な特殊効果だけでも解消し、アルフレートとベルーノに掛けられた状態異常(ヒルデからすると)を解除しない限り、健康で平和な生活が遠のいてしまう。


「殿下は決してお怪我をなさらぬ様にお願い致しますわ!」


 ヒルデの言葉に、レオンハーレンは僅かに戸惑った様な表情を浮かべたものの、「気を付けよう」と答えた。


 聖なる力を使用すると、ヒルデの寿命が減ってしまう事を知らないレオンハーレンにとっては、まるで『貴方に好かれては困るから、聖なる力を使わせる様な状態になるな』と言われているようなものだった。


「……すまぬ。質問は二つと言ったが、もう一つ良いだろうか?」


 レオンハーレンは自分でも何故そんな事を言い出したのだろうかと思いながらも、頷いたヒルデに対して言葉を続けた。


「そなたは、本当に私を嫌っているわけではないのか?」


 その質問に、ヒルデは驚いてサファイアブルーの瞳を見開いた。同様の事をジルに聞かれた時とは明らかに異なる感情が芽生えたのだ。


 咄嗟に沸き起こったその感情は、怒りだった。


 ヒロインであるアマリアには優しいレオンハーレンが、ヒルデには完全に放置状態であったのだから無理もない。

 悪役令嬢という立場だからこそ、客観的に彼の人となりを見ることが出来、基本的に他人に対して興味を持たない、冷たい男なのだということが良く分かった。

 自分の利益にならない相手とは、関わろうとしないのだから。


「どうしてそんな事を聞くかしら? 殿下は、私の気持ちなどどうでも良いのでは無いのですか?」


——アマリアを庇う為に、悪役のエルメンヒルデの事なんか、簡単に傷つけて捨てたくせに。


「ご心配には及びませんわ。殿下の決定には誰も逆らえませんもの」


——貴方にとって大事なのは、自分の名誉でしかない。エルメンヒルデが自分にとって災いとなるのなら、婚約者であろうとも平気で断罪する様な、冷酷な人なのだから!!


 役に立たなければ、目障りならば虐待し、私を捨てた父と同じだわ。私は、貴方達の為に生きているわけではないわ。


 ジルが言ってくれた。私の人生は、私のものなのよ!!


「そもそも、私達の間には好きも嫌いも無かったはずでしょう? 両家が決めた婚約なのだもの。殿下は学園が始まるまで、私と殆ど顔を合わせることすらしなかったのに」


——貴方なんか、大嫌いだわ!!


 ヒルデは淡々と言葉を続けながら、ぎゅっと拳を握り締めた。

 レオンハーレンは何度か小さく頷くと、「そなたの言う通りだ」と言ってため息を吐いた。


「余計な事を聞いてすまなかった」

「いいえ。殿下もお忙しいでしょうから、私はこれで失礼致しますわ」


 レオンハーレンは頷くと、そっとヒルデの手を取った。


「ダンスパーティー当日を楽しみにしている。そなたは随分とダンスが上手いと聞いている。私も恥を掻かぬ様に練習しておくとしよう」


そう言って、手の甲にキスをした。


「ぎょへいっ!?」


 品の無い悲鳴を上げた後、ヒルデは取り繕う様にそそくさと立ち上がりながら頭を下げ、「失礼いたしますわ!」と言って一目散に教室へと逃げ帰った。


 レオンハーレンはその後ろ姿を見送りながら、笑顔のまま呟いた。


「……ダンスパーティーでは、その仮面を剥がさせて貰おう、エルメンヒルデ・ハインフェルト」


 風が吹き、レオンハーレンのアッシュブルーの髪がさらりと揺れる。

 

 ヒルデは自分が良からぬ未来へと突き進んでいるなどと、夢にも思わなかった。

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