第16話 拉致監禁はご容赦を
ハイリガークリスタル学園が夏季休暇へと入る直前、乙女ゲームの大きなイベントが開始される。
貴族達が皆王都にあるタウンハウスから、それぞれの領地にあるカントリーハウスへと引っ越しをする為、上級貴族学園であるが故に、本来であれば随分と長い休暇となる。
だが、そこはあくまでもファンタジー要素が強いゲームの世界。流石に冬まで学園が休園となってしまってはゲームとして成立しない。
二カ月程の夏季休暇を経て、秋空へと変わり始めた頃に学園が再開されるというのが、この世界ならではの学園周期なのである。
生徒達が各々自慢のカントリーハウスの話に花を咲かせて浮かれている中、ヒルデは憂鬱な面持ちでため息を洩らしていた。
——夏季休暇の前のイベントがもの凄く怠いわ……。
ヒルデが憂鬱になるのは無理もない。長期間離れる前に、学園内での親睦を深めておこうと開催されるイベントは、全生徒と教師が参加するダンスパーティーなのだ。
勿論、強制参加である。
ストーリー通りであれば、エルメンヒルデは派手派手しいドレスを身に纏い、財力を見せつけヒロインの簡素なドレスを嘲り、それに対して嫌悪したレオンハーレンが、ダンスのパートナーとして婚約者のエルメンヒルデではなく、アマリアの手を取るというありきたりな流れである。
——なんとかバックレられないかしら。
ヒルデはとにかく面倒だった。
どうにか不参加となってもお咎めが無い方法は無いだろうかと考えあぐいねた結果、仮病を使えば良いという案にも思い当たったわけだが、折角健康な身体を手に入れたというのに病気のふりなどしていられるかという妙な意地が、その案を打ち消した。
そうこうしているうちに、レオンハーレンからのパートナー申し込みの書簡が届き、気の利いたフローラが、ヒルデの断りも無く早々に承諾の返事を返したところだ。
どうせヒルデに見せたところで、平常運転の意味不明な言葉を長々と聞かされるだけで、結局のところ婚約者である第一王子からの申し込みを、無碍にする権利など無い訳なのだから。
つまりは、ヒルデの意思など関係ないのである。
——このイベントの前までにレオンハーレンと婚約解消が出来れば、最高だったのに。上手くいかないわね……。
とんでもなく不敬である。レオンハーレンはヒルデに何一つとして酷い事をしていない。
学園の生徒達が、どんなドレスを着ようか、どの殿方から誘われるだろうか、意中のあの子は自分と踊ってくれるだろうかと楽し気に話す中、ヒルデはうんざりしながら欠伸をした。
トンと肩を叩かれて振り返ると、爽やかスマイルを浮かべたアルフレートの顔があった。ただでさえ憂鬱なところにアルフレートの顔を見て、ヒルデは思いきり顔を顰めた。
「ヒルデ、ダンスパーティー楽しみだね! 殿下の後に俺とも踊ってくれたら嬉しいな」
「そ、そうね。でもアルフレートさんはアマリアさんと踊るんじゃないのかしら?」
「アマリアにパートナーの申し込みをしたのは事実だけれど、流石に全曲を彼女と踊るわけにはいかないからね」
パートナーの申し込みとは、会場へのエスコートと、最初のダンスを踊るという事なのだ。ヒルデも当然ながら全ての曲をレオンハーレンと踊るわけではなく、その後は申し込みを受けた者と踊らなければならない。
何か特別な事情が無い限り、申し込まれたからには踊らなければ、マナー違反となるのだ。
妙なところに拘った設定のゲームである。
「踊りたいのは山々だけれど、約束はできないわ」
ヒルデの言葉にアルフレートは残念そうに肩を竦めた。
「やっぱりそうだよね。幼馴染のよしみと思ってダメ元で言ってみたけれど。君は人気が高いから、当日のダンスカードは一瞬で埋まるだろうね」
アルフレートの言葉にヒルデはピンと来た。
——そうだわ! 予め全部埋まっているダンスカードを用意すればいいのよ!
ダンスカードとは、ダンスパーティーの開催時に女性に配られるもので、ダンスの申し込みをした男性が、相手の女性のカードに名前を書くといった、予約表のようなものだ。
——殿下との最初のダンスは我慢するとして、その後は誰とも踊らずに軽食を楽しみながら、ひっそり平和に過ごせばいいんだもの!
相変わらず不敬である。
「エルメンヒルデ・ハインフェルト公爵令嬢。少し時間を頂けますか?」
艶やかな黒髪の長身の男が颯爽と教室に現れて、礼儀正しくお辞儀をした。
ベルーノ・グラルヴァインだ。
初登園の時の横柄な態度はどこへやら、流石はレオンハーレンの護衛を務める騎士であると云う程の紳士的な態度に、ヒルデは『お断りよ』と言いたいところをグッと我慢し、応じるしか無かった。
「お呼び立てしてしまい、申し訳ございません」
ベルーノは廊下を歩きながら活舌が良く低音の声でそう言った。
ダンスパーティーを目前に控え、色めき立った生徒達の様子は学園中に広がっており、廊下をすれ違う生徒も皆どこか浮かれて見えた。
その中を、乙女ゲームの攻略対象の一人である、麗しのベルーノ・グラルヴァインがヒルデを連れて歩いているのだから、あらぬ噂が持ち上がるのも当然だろう。
——何かしら? 視線が痛いわ。
ヒルデは色恋事に果てしなく鈍かった。その為、ベルーノがヒルデをエスコートしながら頬を染めている様子にも、全く以て気が付かなかった。
周囲でざわめく女生徒達にすら、『皆ダンスパーティーを目前にして浮かれているのね』程度にしか思っていないのである。
まさか自分が『レオンハーレン殿下だけじゃなく、ベルーノ先輩までっ!』『アルフレート君のお誘いを断ったらしいわよ!?』などとやっかみを受けているとは微塵の欠片すらも思っていないのである。
「あの……どちらへ向かうつもりなのかしら」
どんどん進んで行く様子に不安になって問いかけたヒルデに、ベルーノは「もう暫し」とだけ言って口を噤んだ。
——ひょっとして、拉致監禁!?
ヒルデの脳裏に、凶悪顔のベルーノが、『日頃の恨みだ! 悪役め!』と言って、大穴に突き落とすという、意味不明な妄想が浮かび上がった。
——わ、私だって身体を鍛えまくったんだから、少しは強いはずよ! 簡単に突き落とされたりなんかしないわっ!
だが、ベルーノは近衛騎士団団長の地位が約束される程の能力者である。いくら鍛えまくったからとはいえ、素人の女性が太刀打ち出来るような相手ではない。
彼のすらりとした長身に、毎日の鍛錬で磨き上げられた肉体は、学生服越しにも圧を感じる程である。
——あ、勝てっこないわ……。
すっかり心が折れたヒルデを連れ、ベルーノは廊下を抜け、中庭へと出て更に進んで行く。手入れの行き届いた中庭の中央には、学園のシンボルたる巨大水晶があり、周囲を囲む様に作られた遊歩道を歩いていくと、白木で作られた立派なガゼボが在った。
二人が近づくと、その中で読書をしていた人物が顔を上げた。
アッシュブルーの髪に紺碧魯の瞳の男。この国の第一王子、レオンハーレン・キルシュライトである。
「殿下、お連れ致しました」
ベルーノが礼儀正しくお辞儀をし、レオンハーレンが僅かに頷いた。
——なによ、レオンハーレンの所に案内するなら始めからそう言ってくれたら良かったのに。
ヒルデは不満に思ったが、それはベルーノなりの僅かばかりの願いだった。
行く先を告げていないにも関わらず、ベルーノのエスコートにヒルデが従っているという、ただそれだけが、一時であれ彼女を独占した様な気持ちになれたのだ。
無論、ベルーノのその気持ちに気づかない程、レオンハーレンは鈍くはない。本来ベルーノの立場は騎士であり、レオンハーレンの護衛なのだ。
自分は小間使いではないのだから、このような用事を言い渡されるのは不当であると、いつものベルーノであれば反論する所だろう。
だが、ベルーノは反論するどころか素直に応じた。つまり、レオンハーレンはそうやってベルーノを試したのだ。
「ご苦労だった、ベルーノ。下がって良い」
レオンハーレンの言葉にお辞儀をすると、ベルーノは足早に、しかし名残惜しそうにチラリとヒルデに視線を向けて立ち去った。
——なんだか良くわからないけれど、すっごく気まずいわ……。
ヒルデは引き攣った笑みを浮かべながらレオンハーレンへと視線を向けた。彼はニコリと笑みを浮かべると、紺碧色の瞳でヒルデを見つめた。
「ダンスパーティーの準備や引っ越しの準備にと、多用の所すまない。少々そなたと話がしたかったのだ。座ってくれるか?」
——イヤだわ!!
「はい。殿下」
思いとは裏腹に良い返事をして、ヒルデは素早くガゼボの椅子へと腰かけた。少しでも早く終わらせたいという考えからの行動である。
わざとレオンハーレンとは随分遠い場所へと腰かけたわけだが、彼はすっと席を立つと、ヒルデの直ぐ隣へと座り直した。
——こっちに来ないでよっ! 人殺しっ!!
レオンハーレンはヒルデを断罪してもいない為、人殺しでもなんでもない。とんだ飛躍であり、濡れ衣である。
ヒルデは生きた心地がせず、凄まじい勢いで背にだらだらと汗を垂らした。表情も引き攣り、必死に笑顔を見せようとして、恐ろしい形相となっている。
レオンハーレンは「ふはっ!」と、笑いだすと、肩を揺らしながら顔を背けた。
「すまぬ。そなたが余りにも嫌そうだったので、笑ってしまった。そんなに私が嫌いか?」
レオンハーレンの言葉に、ヒルデは慌てて首を左右に振った。
「め、滅相もございませんわ!? 嫌っているのではなく、恐れ多くて緊張して干からびそうなだけですわっ!」
——このままだと本気で干物になっちゃうわよ!?
「いや、無理もない。私はそなたと婚約を結んでおきながら、学園に入学するまで殆ど顔を合わせる機会を設ける事をしていなかったのだから。それ故にこの様によそよそしさが際立ってしまう関係性になってしまったのだろう。すまなかった」
レオンハーレンが僅かに頭を下げた。アッシュブルーの髪がさらりと揺れ、凛々しく整った顔立ちがヒルデのすぐ側でピタリと止まった。
「そんな、謝って頂く様な事など何一つありませんわ! 顔を上げてくださいな!」
——だって、私も会いたく無かったし!
ヒルデはレオンハーレンから顔を背け、できるだけ彼に視線を向けない様にした。王族が頭を下げているというこの様子を誰かに見られようものなら、学園中が大騒ぎとなってしまうことだろう。
平和と健康を愛するヒルデとしては、レオンハーレンと二人で居るということ自体が災いでしかないのだ。
一分一秒でもこの時間が早く終わる事を、ヒルデは頭の中で大祈祷していた。
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