第15話 悲劇のヒロイン

 ハイリガークリスタル学園の授業中、ヒルデは教師が説明する内容に聞き入り、記憶の整理をしながらノートに書き込んでいく。

 周囲の生徒達が眠そうにしている中、一人黙々と学習をしていた。


——なんてことかしら! 健康な身体は驚く程集中力が高いわ! 理解しようと脳を使っても疲れづらいし、文字を書いても手が震えないなんてっ!


 図書館でレオンハーレンから脅しを掛けられて数日後。ヒルデは学習を満喫していた。

 授業内容をスポンジの様に吸収し、基礎体力も入学前に鍛えまくったお陰で申し分が無い。つまり、彼女はわざわざレオンハーレンが脅すまでもなく、放っておいても学園の最優秀者となる程の能力を持っていたのだ。


 だが、友人作りが下手だった。


 相変わらず昼食は旧園舎でたった一人で食べていた。時折ジルが邪魔をしに来るが、少し冷やかす程度で早々に立ち去ってしまう。

 偽りとはいえ教師という立場となってしまった以上、特定の生徒と親睦を深めている様子を見られでもしたら、問題が生じるからだ。


 しかもヒルデはこの国の第一王子レオンハーレンの婚約者である。

 幼馴染であるアルフレートならばともかく、他の異性と親し気にすることは許されない立場なのだ。

 公爵家の令嬢であり、レオンハーレンの婚約者であるともなれば、同性からも敬遠される。不敬があっては何をされるか分からない。触らぬ神に祟りなしというものである。


——ぼっちでも、勉強が楽しいから別にいい!


 彼女は全くめげなかった。


 幸せそうにパンに被りつき、「美味しいっ! 幸せっ! 最高っ!」と、心の底から言う様子は明らかに怪しいわけだが、誰の目も無い場所である為、全く以て問題無い。

 このまま平和な学園生活が続いてくれたら良いわけだが、残念ながらここは乙女ゲームの世界であり、サブキャラであればともかく、ヒルデは悪役令嬢という立派な立ち位置だ。

 どんな物語も平和のままで終わるなどということはあり得ないわけで、ゲームとして楽しめるストーリー展開へと強制的に持って行かれるのである。


 一人寂しく昼食を摂るヒルデの前に、一人の少女が立ちはだかった。

 栗色の髪に茶色の瞳。可愛くはあるものの至って平凡なヒロイン、アマリア・エッセンベルンである。


「あら、公爵令嬢ともあろう方が、こんなところで一人寂しく昼食ですか?」


 アマリアが意地悪そうな声でそう言ってヒルデを見つめた。

 つまりは悪役令嬢がいつまで経っても悪役を演じないが故に、仕方なくヒロインが悪役を演じるという、なんとも強引なストーリー展開へと移行したわけである。


 ヒルデはもぐもぐとパンを噛み、ごくりと飲み込んだ。そして再びパンに被りつき、もぐもぐと噛み、ごくりと飲み込んだ。


「ちょっと! 無視しないでくれませんか!?」


アマリアが怒鳴りつけ、ヒルデはハッとして瞳を見開いた。


「え!? 私に話しかけてるの!? 公爵令嬢って誰かしらって思って見ていたわ!」

「ここには他に人がいませんよね!?」


——アマリアとはアルフレートが共通の幼馴染だって事以外、特に接点無かったのよね。どうして突然話しかけに来たのかしら。


 ヒルデは姿勢を正し、上品に座り直した。コホンと咳払いをし、笑みを浮かべ、サファイアブルーの瞳でアマリアを見つめる。


「アマリアさんはもう昼食を終えたの? 早食いは身体に良くないわ。良く噛んで食べないと、胃に負担がかかるもの」


 言っている事は合っているが、アマリアにとってはどうでもいい内容である。


「それで、私に何か用事かしら?」


——できるだけヒロインとは関わり合いになりたくないのよね。上手い事かわせたらいいけれど。


 残念なことに、アマリアは喧嘩を売りに来たのである。

 ここぞとばかりに憤然とし、食って掛かってきた。


「公爵家の令嬢だからといって、下の身分の者を蔑ろにするのは良くないと思うんですっ!」


 とんだ言いがかりである。


 ヒルデは何の事かはよく分からないが、何やら怒っている様子のアマリアに深々と頭を下げた。


「それは礼を欠き、失礼な事をしてしまったわ。ごめんなさい」


——怒っている人相手に言い返すのは無意味だもの。


 ヒルデは処世術を心得ていた。

 素直に謝罪されたアマリアは一瞬怯んだものの、更に言葉を放った。ヒロインも大変である。


「アルは、私の幼馴染でもあるんです。彼を縛り付けるのは止めてくれませんか!?」

「アルって、誰かしら?」

「アルフレート・バーダーです!」

「全く以て開放的ですわ」


 確かにその通りである。


「ベルーノ先輩は皆の憧れの方なんですから、一人だけ剣術の指導を受けるのは狡いです!」

「……? 皆で指導を受けているので、一人だけではないはずよ?」


 確かにその通りである。


「レオンハーレン殿下の婚約者だからって、いい気になってはいけないでしょう!?」

「いい気になってなんか無いわ」

「その態度がいい気になっているって言っているんです!」

「……では、どうしろと言うのかしら」


 確かにその通りである。


 アマリアが指摘したそのどれもが、本来の悪役令嬢エルメンヒルデ・ハインフェルトならば行っていたはずの行動なのである。だが、残念ながらヒルデはその全てに当てはまらない。


 とはいえ、ここで引き下がってはヒロインの名が廃る。

 アマリアは負けじと、びしりと人差し指をつきつけた。


「私、貴方になんか負けません! 今度の試験で勝負です!!」


 涙ぐましい努力の宣戦布告である。


 そして数日後の試験の結果は————


「……惨敗です」


 廊下に張り出された成績順を前に、アマリアが地べたに座り込み、がっくりと肩を落としながら言った。

 健康な肉体を得たヒルデは、最早無敵なのである。


「へぇ! ヒルデったら勉強も得意なのかい? 俺、全然敵わないや」


 アルフレートが感心した様に言い、アマリアは更に屈辱を噛みしめて項垂れた。とはいえ、アマリアの成績も決して悪いものではない。本来の悪役令嬢エルメンヒルデ相手であれば、確実に勝利していたはずの成績なのである。


「おお、新入生どもの試験の結果が張り出されたのか。どれどれ?」


 黄金色の髪を靡かせて、通りがかったジルが掲示版を見上げた。ジルはその見目の麗しさと大人の余裕さ(神であるが故の余裕かもしれないが)、そして巨大水晶を破壊する程の莫大な魔力量の持ち主であるという事で、学園内にファンが多い。


 彼が姿を現すと女生徒達は黄色い声を上げ、浮かれた様に騒ぎ立てるのだ。

 ジルはジルで本来のレオンハーレンの立ち位置を奪ってしまっているわけである。


「お? お前さん、全教科満点かぁ」


ジルはヒルデを見つめ、ニッと笑った。


「やるじゃねぇか。頑張ったなぁ!」

「え……えーと……」


ヒルデは誰かにそんな風に誉められた事など一度も無かったので、嬉しくて堪らなかったものの、恥ずかしさが勝利し、ジルから目を逸らした。


「……ありがとう。褒めてくれて」

「いや、大したもんだぜ、ホントすげぇな!」


ジルが褒めちぎる大きな声と、ジルを遠目でみながら騒ぐ女生徒達の黄色い声で廊下は最早カオスである。


「何を騒いでいる? 二学年の方にまで聞こえているぞ!」


 レオンハーレンがベルーノを引き連れ、生徒会長として学園内の治安維持の為に駆けつけた。


「ほお? 新入生達の成績順が張り出されたのか……」


と、レオンハーレンとベルーノも掲示板に目を向けた後、二人揃ってその視線をヒルデへと向けた。


——ひぃいいいい!?


 ヒルデは恐怖の相手に見つめられ、気を失いかけた。

 が、レオンハーレンはニコリと微笑み、ベルーノは感心した様にその傍らで頷いた。


「我が婚約者は素晴らしいな」

「ええ、本当に。殿下の婚約者として申し分ありませんね」


——申し分あって良い気がするわよ!?


 恐れ慄くヒルデを見つめ、ジルはケラケラと笑った。


「お前さん、何喜んでんだ?」

「喜んでる様に見えるかしら!?」


咄嗟のヒルデの突っ込みに、ジルは笑いながら近づいてくると、大きな手で優しく頭を撫でた。


「いや、しかし本当によく頑張ったなぁ。偉いぜ」


 ヒルデは頭の上に乗せられたジルの手の温もりを感じ、瞳を潤ませた。


 彼女の中で、恥ずかしさよりも嬉しさが勝ったのだ。


 誰からも見向きもされないちっぽけな存在なんかではない。こうして人の温もりを感じ、優しさを与えて貰える様になったのだ。


「ジル、有難う。褒めてくれて。私、もっと頑張るわ」

「それ以上頑張らなくたってお前さんは十分さ。辛い思いなんかせずに楽しんだらいいんだ。少し位我儘に生きたっていい。お前さんの人生は、お前さんのものなんだからな」


 ヒルデの心の奥からじわりと熱さが伝わり、瞬く間に広がって体中を包み込むような感覚に陥った。


——ああ、私……ずっと誰かにそう言って貰いたかったんだわ……。他人に流されてばかりの人生なんかじゃなく、私は、私の生き方をしてもいいのね。


 コホン、と。レオンハーレンが咳払いをし、ベルーノが剣の柄に手を掛けながら声を放った。


「殿下の婚約者に不用意に触れぬ様願います。教師といえど不敬です」


 騒がしかった廊下が一変し、張り詰めた空気へと変わった。

 ジルはパッと両手を上げて下がり、ヒルデは名残惜しそうにその手を見つめた。


「そいつぁすまなかったな。それじゃあ、邪魔者は退散するぜ。後は若い者同士で楽しくやってくれ」


 ヒラヒラと手を振って、ジルは何食わぬ顔をしながら去って行き、レオンハーレンはその後ろ姿を、仇敵を見るかのような目で見つめていた。


 この日から、運命の歯車が急速に悪役令嬢ヒルデの断罪へと動き出したのである。

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