第13話 性質の悪い王子
見渡す限り、どこまでも本の背表紙がずらりと並んでいる。見上げると高い天井の方までも続く本棚にも、隙間なくびっしりと本が詰まっており、広い室内全体に書物特有のインクの匂いと、古い紙の匂いが漂っている。
ここはハイリガークリスタル学園内にある王立図書館である。ジルの言う通り学園が再開され、修復された巨大水晶での魔力測定も無事に終えた。
ヒルデはストーリー通り、中の上程度の魔力量であり、アマリアについてもヒルデよりも少しばかり高い程度の数値だった。
恐らくジルが水晶に手を加えたのだろう。
もしも彼女の潜在的な能力が明らかとなれば、聖なる力を授けるストーリー展開へとなりかねない。しかし、ヒロインに授ける予定の力はヒルデが横取りしてしまった為、今更アマリアの潜在能力を公にするわけにはいかないのだ。
——恩に着るわ、ジル!
魔力測定時、感謝の眼差しを向けるヒルデの視線に気づき、ジルが長い睫毛を揺らしてウインクしたので、周囲にいた生徒達は、『麗しの先生が私(僕)にウインクした!?』と、各々勘違いをし、ときめいたのは言うまでもない。
さて、ヒルデがこの図書館を訪れたのは、他でもない。
攻略対象の一人であるレオンハーレン・キルシュライト。彼との婚約を破棄する方法を見つける為である。
ヒルデの住む公爵邸の書斎にも数多くの書籍が保有されているわけだが、王立図書館の比ではなく、そもそも王族についての決まり事を記した様な重要な書物は、個人所有を認められていない。
——攻略対象と婚約関係にあるだなんて、死亡フラグもいいところだわ! 私は誰とも結婚なんかせずに、健康で平和な人生を送るのよっ!
とはいえ、レオンハーレンはこの国の第一王子だ。ヒルデの方から婚約を破棄することなど簡単に出来はしない。だからこそ穏便に済ませる方法が無いかを探しに来たというわけだ。
圧倒される程の物量を前に、ヒルデはゴクリと息を呑み尻込みしたが、いやいやここで帰るわけにはいかないと己を振るい立たせ、颯爽と足を踏み入れた。
が、勢い余って階段を踏み外し、よろけた拍子に側を歩いていた者にぶつかり、その人が持っていた山の様な本を崩し、机にかけていた者の頭にゴチンと当たるという不運に早速見舞われたわけである。
「ごめんあそばせっ!!」
慌てて謝ったものの、ヒルデは頭を負傷した者の顔を見て、魂が抜ける思いをした。
それは、レオンハーレン・キルシュライトその人だったのである。
彼はアッシュブルーの髪の頭を擦りながら、不愉快そうに顔を上げ、ヒルデを見つめた。
「ひいいいいい!!」
——詰んだわ……!
青ざめているヒルデを見つめ、レオンハーレンは、ふっと僅かに笑みを浮かべた。
どんな時でも営業スマイルを忘れない、高難易度攻略対象の鑑である。
「ヒルデか。そなたがこのような場所を訪れるとはな」
——その言葉、貴方にそっくりそのまま返したいくらいだわっ!
「え……ええ。ちょっと」
「調べものか何かか?」
「そうね。ホホホホ!」
「ならば手伝おう。私はこれでも頻繁にここに来ているのでな。ある程度本の場所も把握しているぞ。何についての本だ?」
——『あんたとの婚約破棄の方法を調べに来ました』だなんて言えるわけないじゃないっ!
「えーと、その……植物図鑑を!」
「ほう? 公爵家の令嬢が植物に興味があるとは意外だな」
——庶民臭くて悪かったわね!?
ヒルデは心の中で悪態をついたものの、植物に興味がある事は前世の趣味だ。レオンハーレンは疎か、父である公爵ですら知り得ない事だろう。
レオンハーレンの側には案の定ベルーノが控えており、コホンとした咳払いに、ヒルデはドキリとし、慌ててレオンハーレンにフォローを入れた。
「あ、それより殿下。その、頭は大丈夫かしら?」
——しまった! この言い方だと怪我の事より内部の事を示している様なものだわっ! 不敬だってベルーノに切り捨てられる!? いや、昔の武士じゃないんだからそんな簡単に人を切ったりなんかしないわよね? でもかなりマズイ気がするわっ!!
昔の武士も簡単に人を切り捨てたりはしない。
青ざめたヒルデに、レオンハーレンは驚いた様に紺碧の瞳を瞬いた。が、直ぐにふっと笑い、口元を綻ばせた。長い睫毛が揺れ、見惚れる程の美男子である。
「マトモであることを願おう」
彼が立ち上がると、側に控えていたベルーノもついて行こうとし、それを手で制して護衛を断った。
ヒルデを信用しているという証拠なのだが、肝心の本人は全く気づきもせずに、自分の発言に対する後悔の沼にハマっていた。
レオンハーレンが手を差し伸べたので、ヒルデは不思議そうにその手を見つめた後、何かくれるのだろうかと出した手を優しく掴まれて、顔を真っ赤にした。
紳士的にエスコートをする彼の様子は、流石乙女ゲームに登場する高難易度攻略キャラである。
——うう……。手汗がやばいわ。手を振りほどいたらダメかしら? 駄目よね……。
「植物についての本であれば、東側の棚にあるはずだ。ふむ、案内が出来るということは、恐らく私の頭はマトモであろうな」
レオンハーレンの冗談に笑う気にもなれず、ヒルデは引き攣った笑みのまま彼の案内に従った。
——全く、何処から見ても恐ろしい程に完璧な王子様で、こうして目の前に居たところで恋心どころか恐怖心しか芽生えないわよ。
隣に居るだけで神々し過ぎて灰になりそうなのに、彼と結婚だなんて私には絶対に無理だわ。このフラグは早いうちにへし折らないと、何かしら不敬を働いてイコール断罪、即ち死よ!
「ところで、ベルーノから聞いたのだが。そなたは聖なる力を使えるというのは真か?」
「ぎゃふんっ!」
ヒルデは強張った顔をレオンハーレンに向けながら、「な、なんのことかしら!?」と、すっとぼけてみせた。
勿論、全く以て無駄な悪あがきである。
レオンハーレンはくすくすと笑うと、「そなたは面白いな」と言って周囲にチラリと視線を向けた。
「強力な力をを得たならば、人は誰かにその力を見せつけたくなるものだろう?」
「滅相も無いわ! 目立たず謙虚に慎ましく健康に生きる事が私のモットーですものっ!」
——冗談じゃないわよ! 私は聖なる力を使ったら寿命が縮むんだからっ! 自分の寿命を縮めてまで他人に自慢する人なんか居ないでしょ!?
「殿下、お願いですからどうかこの事は……」
「案ずるな、ベルーノには口止めをしておいた。周囲に広まれば面倒な事になるのは明らかだからな。とはいえ……」
レオンハーレンはそっとヒルデに顔を近づけ、耳元で囁いた。ふわりと柑橘系の香りがヒルデを包み込む。
「そなたが私の婚約者で助かった。新入生基礎能力測定の結果を見たが、なかなかに優秀であるそうではないか。他の者であれば実に厄介な事になっていただろうからな」
ヒルデは顔を真っ赤にしてレオンハーレンから離れ、あわあわと涙目になりながら取り乱した。
——このひと、私が男性に免疫無いってのに何なの!? 女誑しも大概にしなさいよね!?
女誑しも何も、婚約者相手に内緒話をしただけである。
レオンハーレンの言う『厄介な事』とは、正にヒルデが恐れている『断罪』のことだ。
つまりは、しきたりを無視してヒルデが勝手に聖なる力を手に入れたという事は明らかであり、本来であればそれを咎める必要があるわけだが、不問とする代わりに婚約者として必ずや学園でトップの成績を収めよという圧力なのだ。
そんな圧力をかけられた事すら気づかない程に、ヒルデはパニクっており、レオンハーレンに囁かれた耳を押えて、ただただ火照った顔を鎮めるのに必死であった。
——この人といると身体に悪いわ! 聖なる力を使わなくても寿命が縮んでしまうんじゃないかしら!? そんなのご免よっ!
ヒルデは数歩後ずさり、レオンハーレンの側から更に離れた。
「どうした、ヒルデ。植物図鑑を探しに来たのだろう? そちらではないが」
「そ、その! 用事を思い出しましたのっ! 殿下、ご親切にして頂いたところを申し訳ないのですが、私、こちらで失礼致しますわ!」
そう言って一目散に逃げるヒルデの背を見送りながら、レオンハーレンは小さく呟いた。
「少々脅しが過ぎたか?」
この王子、優しそうに見せかけて実はとんでもない性格の持ち主である。
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