第12話 願いの代償

 ジルは溜息を吐くと、ヒルデが立ったままであることに気づき、羽織っていたローブを脱いでその場に敷いた。


「……ま、座りなよ。ゆっくり話を聞いてやるからさぁ。俺様、時間はたっぷりあるし」

「そんな、ジルの服が汚れちゃうじゃない。悪いわ」


 ローブの上に座る事を躊躇っているヒルデの手を、ジルは強引にぐっと引っ張った。


「んなこと気にする必要なんか無いさ。ほら」


 ジルに促され、ヒルデは躊躇いながらもその場に座った。あまり動いては余計に汚してしまいそうで、できるだけ体重をかけないように、ガチガチに身動きせずにいるヒルデを見て、ジルはケラケラと笑った。


「お前さん、気にし過ぎだぜ? 俺様は服の一つや二つどうにでもできるわけだからな。現にこの学園の教師の制服にだって簡単に着替えて見せただろ?」


旧園舎でジルがいとも簡単に着替えてみせた事を思い出し、ヒルデはハッとした。


「そ、そっか。そうなのね。ありがとう、気を使ってくれて」

「で? お前さんの寿命っつったか? うーん……」


 ジルは顔を近づけてヒルデを覗き込んだ。

 黄金色の髪が揺れ、エメラルドグリーンの大きな瞳が長い睫毛で覆われている。瞬きをするとふさりと揺れ、風が起きそうな程に長い睫毛だ。


——女装したら絶世の美女と言ってもいいくらいの顔よね。


 ヒルデが見惚れていると、ジルはニッカリと無邪気な笑顔をその顔に浮かべたので、大して寿命は減っていないのだろうとホッとした。


「あと二十年くらいってとこだな」

「……そっか、二十年……え!? に、にじゅ……!? はぁああああ!?」


 素っ頓狂な声を張り上げて、ヒルデはギャグマンガさながらにサファイアブルーの瞳をひん剥いた。


「お前さん、折角の美人が台無しだぜ?」

「私の顔なんかどうだっていいわよっ!! 私……っていうか、エルメンヒルデは十七歳でしょ? ってことは、三十七歳で死んじゃうってこと!?」

「いや、そうとも限らねぇさ」


——なんだ、びっくりさせないでよね。心臓が止まるかと思ったじゃない。


ヒルデはジルが何か打開策を持っているのだろうと期待し、次の言葉を待った。ジルはへらへらと笑いながら両腕を頭の後ろで組んで、あっけらかんと言い放った。


「その前にまた聖なる力を使ったら、もっと縮まるだろうしな?」

「!!!!!!」


声にならない声を上げ、ヒルデは愕然とした。


「ちょっと!! どうにかならないの!?」

「そんなこと言われてもなぁ……」

「神様なんだから何とかしてよっ!」

「神っつったって万能じゃねぇし」

「一体私どうしたらいいのよぉ!」


 ヒルデは俯いて両手で顔を覆った。

 折角健康な身体を手に入れたというのに、寿命が短いのでは本末転倒である。

 現実世界では十八歳で短い生涯を終えたわけだが、もしも再び聖なる力を使おうものならば、エルメンヒルデとしての人生は、その時点で終える可能性だってあるのだ。


「まあ、寿命の件は諦めるとしてだ……」

「勝手にヒトの人生諦めないでくれるかしら!?」

「仕方ねぇだろー? どうにもならねぇもんはどうにもならねぇんだし。だから前も言った様に、今できる事を考えようぜ? な?」


 ジルはやれやれと肩を竦めた後、エメラルドグリーンの瞳を細めてふわりと微笑んだ。それは今まで見せていた無邪気な笑顔とは異なり、ヒルデを元気つけようと彼なりに一生懸命なつもりなのだろうと伺い知れた。


「……今できる事って?」


 ヒルデの問いかけに、ジルはふぅと小さくため息を吐いた。


「お前さん、念願の健康な身体を手に入れたのに、やりたい事は無いのか?」

「……平和に生きる?」

「そいつはやりたい事とは違うんじゃねぇか? もっとこう、夢だの願望だのさぁ。人間なんて煩悩の塊みたいなモンだろ? 皆こぞって神頼みに来るじゃねぇか」

「そんな事、突然言われても困るわ。私、考えた事なんか無いんだもの。普通はどんなことを願うものなのかしら」


ヒルデの質問に、ジルはきょとんとして人差し指を顎に当てた。


「そうだなぁ……金持ちになりたいだとか、誰かと恋仲になりたいだとか? 試験に合格したいだとか、健康になりたいだとか。誰かを殺して欲しいだなんてのもあったりするなぁ。そいつは分野が違うっつーの」

「神様も大変なのね。それ、全部叶えてあげるの?」


ジルは美しい顔を顰めて考え込む様に唸り声を上げた。


「まあ、代償ってのは必要だけれどな。お前さんだって、聖なる力を手に入れた代償として、使う時には寿命を削ってるわけだろう? 金持ちになりたいって願いなら、その代償として『努力』を貰ったり、『自由』を貰ったりだとか、人によって支払う代償はまちまちさ。勿論、ヒロインのアマリアの場合は、元々がパネェ量の魔力の持ち主だから、代償はそこから支払われるんで、寿命が減らないってワケなんだが」


 ヒルデは今更ながらにアマリアを羨ましく思った。『代償』を支払う為の潜在能力は、生まれた時にある程度決まるのだと言われた気がしたからだ。そればっかりは努力ではどうしようもないことだ。


「代償が支払われなかったら?」

「そしたら、願いが叶うはずなんかないな」

「なにそれ。結局自分次第ってことじゃない」

「そりゃそうさ。俺様の人生じゃねぇわけだし。そいつの人生だろう?」


 ヒルデは現実世界で通っていた神社の、大イチョウの物語を思い出した。

 大イチョウが愛する娘、莉の願いを叶えた時、一体何を代償としたのだろうか。神力を使い果たし、言葉を発する事すらできなくなったわけだから、自らの神力を代償にしたということなのだろうか。

 それならば莉は何の代償も無しに願いを叶えて貰った事になる。ジルの言う事に当てはめるとするならば、莉もまた代償を支払ったはずなのだ。


 とはいえ、大イチョウにつけられた名前の、由来となる物語の事だ。作り話である可能性だって否定はできない。

 尤も、この世界そのものが作り話である以上、全てを常識に当てはめて考える事など不可能なのだが。


「私のやりたいこと。今すぐは思いつかないけれど、考えてみるわ」

「そうそう、命は有効利用しないとな」


ジルの言葉にヒルデはムッとして頬を膨らませたが、へらへらと悪気無く笑うジルに怒っても仕方がないと思い、泉の方へと視線を向けた。


 天気が良く、気持ちのいいピクニック日和だ。小鳥たちのさえずりや、泉の岸に波打つ水の音、大イチョウの葉が風に撫でられて揺れる音が聞こえ、ヒルデは現実世界のいつもの神社にでも居る様な気分になった。


「ここは、良いところね」

「俺様の住処だしな。まあ、そもそも俺様は学園の敷地外には出られねぇから、他を知らねぇけど」

「え!? そうなの!?」


 驚いてヒルデはジルを見つめた。

 だが、ジルは特に不自由にも思っていないのか、自分の運命を受け入れているのか、光り輝く泉に視線を向けたまま気持ちよさそうに穏やかな風を受け、黄金色の髪を揺らしていた。

 どんなにか寿命が長く健康な身体であろうとも、自由が無ければ何の意味も無い。

 ヒルデはジルを不憫に思うと共に、彼の突発的な行動に納得が出来た。

 同じことの繰り返しである毎日に、ヒルデという転生者が現れて変化をもたらせば、興味が沸くのも当然の事だからだ。


「……また、こうして来てもいい?」

「勿論構わねぇが……。数日後には学園も始まるぜ? そしたらイヤでも毎日登園することになるんじゃねーの?」

「え? でも、水晶は壊れたままでしょう!?」


驚いてジルを見つめると、彼はゴロリと寝そべりながら「いんや」とつまらなそうに言葉を吐いた。


「巨大水晶は、お前さんの聖なる力が探知できない様に手を加えて直しておくさ。いつまでもストーリーが進まずにいると、下手したら学園生活をすっ飛ばしてエンディングなんてことになりかねないからな」


——いきなりエンディング……!?


 ヒルデはごくりと息を呑んだ。それはつまり、突然何か良からぬ災害が起こって、ヒルデの断罪イベントが強制的に開始される恐れがあるという訳だ。


「そんなの嫌っ!!」

「だろ? だからどうせなら学園生活を楽しめよ。折角健康な身体を手に入れたんだろう? 攻略対象達から逃げるのもいいが、恋愛したっていいんじゃねーの?」

「私に恋愛はハードルが高いわ。でも、学園生活を楽しむということには同意よ」


——寿命は短くなっちゃったけど、その分太く楽しんで生きてやるわ! 友達を作るっていうのもいいわね。恋愛なんかどうだっていいし!


 乙女ゲームプレイヤーとしてあるまじき行為である。


「ジルは誰かに恋したりしないの?」

「……ん?」


 ジルは少し驚いた様に瞳を見開いた後、寂しげに俯き、輝く泉の水面へと視線を向けた。


「なんで、そんなこと聞くんだ?」

「だって、私にやたらと恋愛を勧めてくるじゃない。それならジルだって人を好きになったりするのかなぁって」


 大イチョウの物語の様に、神様であるジルも人間に恋をするなんてことがあるのかもしれないと、ヒルデはただ単純な好奇心で問いかけた。


「人間を好きになんて、ならねぇよ」


 黄金色の髪に隠れジルの顔が見えなかったものの、僅かに声が震えたのをヒルデは感じた。


 ヒルデは聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、それ以上ジルに問いかける事をしなかった。

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