第11話 教えてくださいジル先生

 現実世界で、私の唯一の居場所だった神社の手水舎の隅。


 見上げると、いつも生き生きとした葉を揺らす大イチョウのご神木が、そこには在った。

 そのご神木には『銀月 ぎんげつ』という名前が付けられていて、側に立てられている立札には、その名の由来となった物語が書かれていた。


 昔そこには れいと云う名の少女が住んでいた。身寄りがなく、貧しかった莉は、友達は疎か、優しくしてくれる者など誰一人いない、寂しい娘だった。

 身体がやつれる程に仕事をおしつけられていた彼女は、それでも毎日の様に大イチョウの元を訪れていた。

 莉にとって、大イチョウの側だけが唯一の居場所であったからだ。


 そんな莉に、大イチョウが恋をした。


 人の姿を借りて莉に優しく囁き、莉もまた大イチョウを慕っていた。

 だが、大イチョウは木の精であるが故に、その場から離れる事ができなかった。自らの脚で莉に会いに行く事すら出来ないのだ。


 長く生きた大イチョウには神力が宿り、愛し合う者の願いを一つだけ叶える事ができる。莉が望めば、大イチョウは人間となり、自由を手に入れる事ができるのだ。

 二人は約束を取り交わした。莉が年頃となった時、大イチョウは願いを叶え、人間となり、婚姻を結ぶ事を。


 そしてその時が来た。大イチョウは美しい娘へと成長した莉に問いかけた。


『お前の願いを一つだけ叶えよう』


大イチョウは、莉が当然自分を人にしてくれるよう願ってくれると思っていた。


 だが、莉の願いはそうでは無かった。


『泉を……沸かせて欲しいのです』


 その年、村は大干ばつに見舞われていた。莉が泣く泣く大イチョウに願ったのは、村を救う事だったのだ。


『その願い、確かに受け取った』


 大イチョウが悲し気にそう言うと、莉の側に勢いよく泉が沸いた。

 その水の勢いは激しく、乾ききった川へと流れ、田畑を潤し、その水面に銀色の月を鮮やかに映し出した。


 しかし、それ以来大イチョウは二度と言葉を発することが無くなった。


 神力を使い尽くしてしまったのだ。


 大イチョウが沸かせた泉は、銀色の月を映す泉という『銀月泉』と名付けられ、大イチョウには『銀月』と名付けられた。

 手水舎の水はその時の泉であると言われている。


 私はその物語が大好きだった。莉と自分を重ねて考えていたのだろう。私の名前の一文字にも『莉』という字があったから尚更だ。


「私にも、話しかけてくれたらいいのに……」


大イチョウの木の幹に触れながら、何度かそう呟いた事を今でも覚えている。



◇◇◇◇



「お嬢様! エルメンヒルデお嬢様っ!」


 侍女にゆさゆさと身体を揺さぶられて、ヒルデはハッとして瞳を開いた。


「全くもう、突然学園に行きたいだなんて仰るものですからお供したというのに、馬車の中で熟睡されるのですから困りますよ!」


 呆れた様にため息を吐き、侍女が馬車のドアを開けた。車内に眩い光が差し込み、ヒルデは思わず顔を顰めたが、入り込んできた風が頬を撫でつけたおかげで、垂らしていたヨダレの存在に気づき、慌ててハンカチで拭い去った。


「学園の敷地内には部外者である私共は入れませんので、こちらでお待ちしております。用事が済んだらお早くお戻りくださいませ」


 ヒルデの我儘にこうして付き合わされている侍女の名は、フローラ・ケーラー。

 ヒルデより4歳程年上の彼女は、実に優秀であり、ヒルデの意味不明な行動にも落ち着いて対応する為、公爵からも一目置かれている存在である。


「はーい。付き合って貰っちゃって悪いわね」


 フローラと御者をその場に残し、ヒルデは一人で学園の門を通過し、奥へ奥へと足を踏み入れた。ジルが破壊した園舎の修復は完了している様子で、それでも休園が続いている訳は、シンボルたる巨大水晶を失った後始末に苦慮しているが故だろう。


 園舎の横を通り過ぎ、ヒルデは更に歩いて裏手に広がる森の方へと進んで行った。柔らかな木漏れ日が降り注ぐ清々しい森で、学園の生徒達のクラブ活動にも大きく貢献している場所だ。

 とはいえ、クラブ活動に参加する前に休園となってしまった為、ヒルデがこの森に足を踏み入れるのはまだなのだが……。


 森を抜けると、太陽の光をチラチラと反射させる美しい泉が姿を現した。

 そう、そこはヒルデが聖なる力をヒロインから横取りした泉なのである。

 あろうことか、学園に入学前であるにも関わらず、草木も眠る月夜の晩に勝手に侵入したというわけだ。


 明るい陽射しの中でここへ来る事が初めてであったヒルデは、辺りを見渡した後、感嘆の声を上げて見上げた。


 新緑色の沢山の葉が揺れるイチョウの木がそこに在り、ヒルデは現実世界で通っていた神社を思い出して感動したのだ。


「うわあ……この世界のイチョウも立派ね」


 風が吹き、揺れる葉がさわさわと心地の良い音を発した。ヒルデは暫く見惚れた後、思い出した様に声を放った。


「ジル! ジルヴァ・メイデンハイアー! いるんでしょう!?」


ヒルデの問いかけに、さわさわと大イチョウの葉が音を発した。


「なんだ? でっけぇ声だなぁ。俺様、耳は良い方なんだが」


 大イチョウの木の裏からひょっこりと顔を出すと、ジルは屈託のない笑みを浮かべた。黄金色の長髪がふわりと揺れる。女性の様な綺麗な顔立ちだというのに、相変わらずそれには似合わない口調と無邪気さである。


「ええと、その……」


ヒルデは悲し気に眉を寄せると、言いづらそうにもじもじとした。


「なんだ? トイレならその辺でしなよ」

「わざわざトイレの為にここに来るはずないでしょ!?」


 頬を膨らませていきり立つヒルデに、ジルはケラケラと笑うと、どっかりと腰を下ろした。ヒルデも座りたかったが、ドレスを汚す訳にはいかないと恨めしそうに地面を見つめた。


「で? 何しに来たんだ? ピクニックか?」


 ジルは無遠慮にゴロリとその場に寝そべりながらそう言った。


「ジルに会いに来たのよ。聞きたい事があって」

「へーえ? わざわざ休園の日にご苦労なこったなぁ」

「貴方が巨大水晶を破壊するから休園になっちゃったんじゃないっ!」


ヒルデの言葉に、ジルはパチクリとエメラルドグリーンの瞳を瞬いた。


「うん? だって、お前さん。魔力測定なんかしちまったら、聖なる力を授かったってことがバレちまうじゃんか」

「……あっ!!」


すぅっと青ざめたヒルデを他所に、ジルはペラペラとしゃべり続けた。


「だから俺様がわざわざ骨折って、教師になってまで大事な水晶を破壊したんじゃねぇか。お陰で他の連中からわんわん言われたが、けしかけたのはレオンハーレンの奴だからあまり強く言えねぇ様でな。まぁ、それを狙ったわけなんだが、あの時のレオンハーレンの面ったら無かったよな!? 俺様爆笑しちまったぜ!?」

「ちょっと待って、それじゃあジルは私の為に巨大水晶を破壊してくれたって事なの!?」

「いいや? どっちかっていうと面白いからだな」


ケロリとして答えたジルに、ヒルデは大きな溜息を吐いた。


 ジルの思惑はどうであれ、救われたのは確かだ。

 もしもあの場で、ヒルデの中の聖なる力の存在が明らかとなろうものなら、誤魔化す為の術が無かった。

 学園中が大騒ぎとなり、査問委員会による徹底的な尋問が開始された事だろう。

 とはいえベルーノに治癒魔法を使ってしまった今、ヒルデが聖なる力を授かった事実が、レオンハーレンの耳に入るのも時間の問題だろう。

 そうなれば悪役として浄化されるという未来は無いにしても、不正を働いた罪による断罪は免れないだろう。

 本来、聖なる力は、ハイリガークリスタル学園で優秀な成績を収め、学園長や王族の許可を受けた者だけが授かるものだからだ。


「それで? お前さんの聞きたいことって何だ?」


 ジルはつまらなそうに大あくびをすると、エメラルドグリーンの瞳でヒルデを見つめた。ヒルデは言いづらそうに唇を窄め、暫く俯いた後、ボソボソと小さな声で話し始めた。


「えーと、私の寿命。どのくらい減っちゃったのかなぁって思って……。アルフレートだけじゃなく、ベルーノにまで聖なる力を使っちゃったの。ごっそり減ってたりして……?」


 ジルは驚いた様にパッと起き上がり、ヒルデを見つめた。


「ベルーノって、あの黒髪の騎士か? あいつは死ぬ様な目に遭う間抜けじゃ無さそうだが」

「頭突きしちゃったのよ!」


 ヒルデの言葉に、ジルはエメラルドグリーンの瞳を大きく見開いて、パチパチと瞬きをした。


「……そんなに嫌いだったのか?」

「そうじゃなくて! ちょっと、その、事故ったというか……偶々ぶつかったというか……」

「うーん。死なねぇなら放っとけば良かったじゃんか」

「そしたら私が死ぬ可能性があるでしょう!? 怪我をさせたのは私なんだものっ!」


ジルは不思議そうに眉を片方下げ、小首を傾げた。


「待て待て、何でお前さんが死ぬんだ!?」

「悪役なんだもの、何が災いして未来に不幸があるか分からないじゃないっ! そんなの嫌っ! もう、何をしても殺されちゃう気がして怖くて仕方がないのよっ!!」


 怯えた様に身体を震わせるヒルデを、ジルは悲し気に見つめた。


 風が吹き、ヒルデの銀髪とジルの黄金の髪をふわりと揺らす。

 二人が映り込んだ泉の水面が揺れ、揺らめく姿が、この世界に居る事自体が幻想なのであると訴えているかの様だった。

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