第9話 どす黒い液体

 爽やかな朝の日差しの下で、ヒルデは優雅に朝食を摂っていた。使用人達の手により邸宅の中庭にセッティングされた白いテーブルには、レースのあしらわれたクロスが敷かれ、一輪挿しには生き生きとした生花が飾られている。


 フルーツを口に運びながら、朝露に濡れた花々を見つめ、ヒルデはこの幸せが永遠に続く事を願いながら、しっかりと噛みしめた。


「学園が休園となってしまい、残念でございますね」


メイドの一人が言った言葉に、ヒルデの瞳からホロリと涙が零れ落ちた。


——そう、あれは昨日の事。


 レオンハーレンの挑発に乗ったジルは、自信満々で巨大水晶に片手を翳した。


 その途端、学園のシンボルたるその立派な水晶は眩い程の光を発し、ビシリとひび割れ、粉々に砕け散ったのである。


 水晶の破片は園舎へと弾丸の如く弾け飛び、窓を次々と打ち砕いた。

 幸いにして生徒達は教師の咄嗟の判断による魔法障壁により守られており、負傷者こそ無かったものの、園舎は大ダメージを被った為、修復が完了するまで休園ということになったのである。


——ジルの大馬鹿者っ!! 学園のシンボルを破壊しちゃうだなんて。きっと今頃闇市で裏取引された学園の品々は大暴落しているわね……。


 ヒルデは溜息を吐いて朝食のフルーツを頬張り、「美味しい~!」と、それはそれは幸せそうに声を放った。

 現実世界では見た事のないフルーツだが、そもそも満足に食べる事すら出来なかった彼女にとって、異世界のフルーツの名などどうでもいい事である。つまりは現実世界のあの味に似ているだとかいう風に、当てはめる事が出来る知識が無いのだ。


 なんとも不憫この上ない。


 ヒルデはふとテーブルの上に飾られている一輪挿しの花を見つめた。淡いピンク色のカーネーションの花は、静かな朝食を彩るに適している。

 現実世界での彼女の母親が、花を愛する人であった為、つたな い思い出を頼りにすが る様に植物辞典を眺めていた。空腹を癒す為に草花の匂いを嗅ぎまくり、お陰様で花と香りの知識には事欠かない。


——確かカーネーションって食べられるのよね?


 残念ながら、考える事はくだらない。


「お嬢様。アルフレート・バーダー様がお見えです」


メイドの言葉に、ヒルデは思いきり顔をしか めた。


「どうして? 学園は休園なのに」

「制服をお召しではございませんでしたので、学園に向かう為に迎えに来たというわけでは無さそうですが」

「うーん……」


ヒルデは少し考えた後、パッと腹部を押さえつけた。


「お腹痛いから、会うのを止めるわ」

「……お嬢様。先ほどから幸せそうにフルーツをお召し上がりでは?」


ヒルデの専属メイド達は、流石公爵家に仕えるエリート達だ。つまりはしっかり者である。

 だが、涙目になってヒルデは早口で食い下がった。


「だって、考えてもみたら学園に行かなくていいってことは、攻略対象達やヒロインとも顔を合わせずに済むって事でしょう!? これぞ私が求めていた平和じゃない!? その平和を邪魔されたくなんかないのよっ!!」

「はい。仰っている意味は全く以て理解できませんが、お客様をお待たせするような無礼を働いては、上級貴族として公爵様はお許しにならないかと存じます」


——公爵(お父様)の怒りを買って、勘当なんてことになったら、それこそ、この平和は二度と訪れなくなってしまうわ!!


「分かりましたー、行きますー」

「結構でございます」


 ぶー垂れながらもヒルデは自室へと戻り、簡単に身なりを整えた後、客間へと向かった。

 邸宅の廊下を歩きながらふと考える。


 新入生基礎能力測定の後のイベントは何だっただろうか。

 暫くはキャラクターのステータス上げの為に学園に通うわけだが、魔力測定時に類まれなる才能を見せたアマリアは、レオンハーレンの目に留まり、新入生ながらも生徒会委員に抜擢されるはずだ。

 今回はジルのせいで魔力測定ができなくなった訳だが、いずれなんらかの方法で測定することになるだろうし、その時にはストーリー通りの展開になるはずだ。

 タイミングが遅くなったというだけで、ストーリーが変更となった訳では無いと言えるだろう。


「お待たせしてしまってごめんなさい。アルフレートさん」


 客室の扉を開け、ヒルデは公爵令嬢らしく優雅にお辞儀をした。

 高く結い上げた銀髪はサファイアがあしらわれた髪留めで飾り立てられ、浅葱色のドレスは豪華過ぎず、気品があり、悪役令嬢というキャラクターにはとてもではないが見えない程に清楚な様子であった。


「やあ、ヒルデ。昨日は驚いたね。怪我なんかしていないかい?」


アルフレートは席を立ってヒルデを出迎えると、申し訳なさそうに言った。


——どの口が言ってるんだか。

 この人、あの後私をほっぽってここぞとばかりにアマリアを連れて避難したのよね。

 そういえば、学園ボヤ騒ぎイベントの時も、この人はエルメンヒルデには目もくれず、アマリアだけを助けに向かったんだったっけ。

 ヒロインとしては嬉しい限りだろうけれど、悪役の私としては頭に来て当然ではないかしら?


「私の事なんか、どうでもいいんじゃなくて?」


ヒルデの言葉に、アルフレートは慌てて首を左右に振った。


「まさか! どうしてそう思うんだい!? 俺はヒルデの幼馴染なのに」

「アマリアさんとも幼馴染でしょう? こんなところで油売ってないで、さっさとアマリアさんのところに行ったらいいのに」


——お願いだから私の平和を邪魔しないでくれないかしら!? あんたと関わって得な事なんて何一つ無いのよっ!


 ヒルデの言葉を聞いて、アルフレートは傷ついた様にルビーの様な瞳を瞬いた。


「ひょっとして、アマリアにヤキモチを妬いているの? そりゃあ、確かに俺はイケメンだし、二人と共通の幼馴染だから、妬くのも無理はないことなんだろうけれど」


——…………はぁぁあああ!?


「俺を取り合って喧嘩するような真似だけは止めてよね? 悲しいからさ」


 ヒルデは脳内でアルフレートを撲殺した。


「何でもいいけれど、用事があって来たんじゃないのかしら? 私、暇ではないのだけれど」


 ヒルデは先ほどまでの清楚さはどこへやら、貧乏ゆすりをしながら舌打ちし、その辺のチンピラの様な態度を取った。

 鼻を鳴らした後にクッと飲み干した紅茶が、酒と見間違える程の柄の悪さである。


「この間の剣術測定の日。ヒルデは俺を助けてくれただろう? そのお礼をと思ってさ」

「ダンスの時に助けて貰ったじゃない。おあいこでしょ? お礼なんて要らないわ」


——早く帰れ、赤毛猿っ!


「それじゃあ、俺の気が済まない。これを君にと思って持ってきたんだ」


 アルフレートは小さな小箱をヒルデの前に差し出した。紫色の箱に、黄色のリボンが結ばれており、アルフレートの手の平に納まる程度の大きさだ。


 現実世界に於いても、エルメンヒルデとしてこの世界で生きる事となった後も、家族以外の者からこうしてプレゼントをされた事など一度もない為、どうしていいのか分からずに、ヒルデは暫くその小箱を見つめていた。


「その、受け取ってくれると嬉しいんだけど」

「あ、そ……そう、ね。有難う」


アルフレートが促して、ヒルデはそっと小箱を受け取った。落とさない様に、慎重に膝の上に乗せ、感激して潤んだサファイアブルーの瞳をアルフレートへと向けた。


「開けてもいいのかしら?」

「う、うん。勿論!」


 それは純粋無垢な少女が宝箱を開ける様にキラキラと輝く表情であり、アルフレートはそんなヒルデの様子を見つめながら、ドキドキと高鳴る心臓に戸惑った。


 黄色のリボンをするりと解くと、慎重に小箱の蓋を開けた。中には小瓶が入っており、洒落ている瓶のデザインとは異なり、どす黒い液体が揺れていた。


 輝いていたヒルデの表情は一気に曇った。


 瓶のデザイン的には香水か何かだろうか? それにしては色が毒々しい。アルフレートとしては香水を購入したはずだが、実は腐っていたというオチだろうか。それとも単なる嫌がらせだろうか。


 様々な思いを巡らせた後、ヒルデは本人に聞くのが一番であるという答えに到達した。


「ねぇ、アルフレートさん。これは何かしら?」

「香りを嗅いでみると分かるさ。きっと気に入るはずだよ」


 自信満々にそう宣ったアルフレートは、笑顔を向けている。人を騙そうという顔には見えない。

 だが、このどす黒い液体はどうみてもヤバイやつだ。

 ヒルデは何度かアルフレートの顔とどす黒い液体とに視線を行ったり来たりさせた後、意を決して瓶を開け、匂いを嗅いでみた。


「くっさ!!」


ツンとした刺激臭に、ヒルデは思わずそう叫んだ。まるで靴の中で数日間程汗と共に熟成された靴下の匂いである。


——図ったわね!? 信用した私が馬鹿だったわっ!! 嫌がらせにまんまと引っかかったんですものっ!


 涙目でアルフレートを睨みつけると、アルフレートは笑顔のまま嬉しそうに頷いた。


「気付け薬さ。効くだろう?」

「……は?」

「ほら、ダンスの能力測定の時に『ステップを忘れた』なんて言っていただろう? だから気付け薬として持ち歩くといいんじゃないかと思ってね」


——うら若き乙女が、異臭を放つどす黒い液体を持ち歩けと!? しかも薬ということは飲めとでも言うの!?


「ほ……ホホホホ! 有難う、アルフレートさん」


ヒルデは引き攣った笑みを浮かべながら、お茶のお供にと出されたサンドイッチの隣にトン! とその小瓶を置いてアルフレートへと差し出した。


「それならアルフレートさんもお召し上がりになった方がいいんじゃないかしら? 物忘れどころか脳みそが緩んでいらっしゃる様ですし!?」


いくら頭に来たとはいえ、とんでもない暴挙である。

 いつの間にか素で悪役令嬢らしい行動を取ったヒルデに、アルフレートは戸惑った様子もなくケロリとした調子で小瓶を受け取った。


——普通物忘れや作業効率を上げる香りといえばローズマリーでしょうがっ! この赤毛猿、やっぱり私を馬鹿にしてるんだわっ!


 ヒルデは香りに煩い娘だった。


 アルフレートはあろうことか、嬉しそうに小瓶の蓋を開けると、そのどす黒い液体をサンドイッチに数滴垂らした。


——は!? 何食べ物を粗末にしてるのよ!? この赤毛猿!!


「実は俺、大好物なんだ!」


 アルフレートはそう言うと、美味しそうにどす黒い液体のかかったサンドイッチを頬張った。


——ん!? 本当に食べられるものなの!?


唖然とするヒルデの前で、アルフレートはあっという間にサンドイッチを平らげて、満足気に微笑んだ。


「これ、最高級のバルサミコ酢だよ。気付け薬にもいいけれど、食べても美味しいからね!」


——バルサミコ酢って何かしら……?


 悲しい事に、現実世界で極貧生活を送っていたヒルデには見た事も聞いた事も無い名前なのであった。

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