第8話 俺様に喧嘩を売るとはいい度胸だ
ひりひりと痛む頬に、穏やかな風が当たり、優しく痛みを和らげた。
神社の境内は細やかに整備されており、ゴミは疎か葉の一枚さえ落ちていない。チョロチョロと流れる手水舎の水の音が耳に心地よく、そのすぐ側で蹲る私の傷付いた心と身体を癒してくれている。
ご神木は随分と大きなイチョウの木で、独特の形をした緑色の葉が空を覆い尽くさんばかりに茂っていて、見上げる私を慰めるかのようにゆらゆらと葉を揺らしていた。
父の暴力に晒された後、私が逃げ込むのは決まってこの神社だった。
ただでさえ人口の少ない田舎町に、ひっそりと存在するそこへは、来訪者もない。自分を思う存分憐れむにはもってこいの場所だ。
やせ細った体躯をバカにする者も居ない。咳き込んでも眉を寄せる者も居ない。
スマートフォンを取り出し、私は夢中になって画面を覗き込んだ。そこには唯一の心の拠り所となった乙女ゲームが映し出されていた。
ヒロインを労わり、愛し、慈しむ攻略対象達。彼等の様な人達は、現実世界の私の周りには存在しない。
——現実なんか捨てて、このゲームの世界に入れたらいいのに……。
毎日の様にそう願っていた。叶うはずのない馬鹿げた願いであると分かっていても、願わずには居られない程に、私には何も無かったのだ。
「生きるって、辛いなぁ……」
ため息交じりに呟いたその言葉に反応するかのように、大イチョウが緑色の葉を揺らした。
秋には辺り一帯を黄金色に染め、それはそれは見事な風景と化す。雄の木らしく、銀杏の実をつける事が無いため、悪臭を放つ事もない。
その頃になると、毎年小さいながらも境内でお祭りが開催され、普段は人気の無い神社が、その時ばかりは人々で賑わう場となる。
けれど私は、青々とした葉を広げた生命力の満ち溢れている様な今の大イチョウが大好きだった。恐らくそれは、単純にこの場所を独占できるからという理由なのかもしれないけれど。
毎日の様に神社に通っては、手水舎の横に座り、大イチョウの木の下で乙女ゲームをする私は、どう贔屓目に見ても危ない奴であったに違いない。それでもここには、私を傷つける人が誰も居ないので、居心地が良かった。
頭ではただ現実逃避をしているだけだと分かってはいても、あまりにも辛い現実に向き合う程の力を、私は何一つ持ってはいなかったのだから。
しかし、ある年。その大イチョウの木は落雷により幹が真っ二つに割れ、折れた枝が御社殿の一部を破壊してしまった為、修復工事を行うとして、暫くの間立ち入り禁止となってしまった。
私は、工事が終わる日を今か今かと待ちわびて、施工完了日が公になっているにも関わらず毎日そこを訪れては、立ち入り禁止の囲いの外から寂しげに大イチョウを見つめていた。
そんなある日のことだ。台風の影響で、ただでさえ弱っていた大イチョウは大ダメージを受け、このままでは倒れ、御社殿に多大な被害が及ぶとして切られてしまうこととなったのだ。
拠り所を失った私の身体は病にも侵され、病院から出る事が出来なくなった。
病室でぼんやりと過ごす毎日の中、ふと『飛梅伝説』を思い浮かべた。左遷される主を追って、梅の木が飛んで行ったという話だ。
私は大イチョウの主では無いけれど、友人として、もう一度会う事ができたらいいと願わずにはいられなかった。逞しく、生き生きとした強い生命力を持つ大イチョウならば、どこかに新芽を芽吹かせているのではと、心の底から期待し、願っていたのだ。
◇◇◇◇
ハイリガークリスタル学園新入生基礎能力測定は順調に進んでいた。ヒルデは三科目目となる馬術については同じ
そして四日目となる今日は、精神的能力の測定である、魔力測定である。
ゲームのストーリー上、アマリアはここで類まれなる魔力量があるという判定を受け、周囲に一目置かれる存在となり、この国の第一王子であるレオンハーレンや、その護衛であるベルーノの目に留まる事となるわけだ。
それに引き換えヒルデはというと中の上程度の魔力量であり、アマリアに負けた悔しさで嫉妬の炎を燃やし、ありとあらゆる嫌がらせ行為に及ぶという、意地汚さを発揮するのだ。
——アマリアには存分にヒロインらしさをアピールして貰って、私の影は薄くひっそりと誰の目にも留まらない状態ならベストね! 色々と失敗続きだったけれど、ここで名誉挽回といかなきゃ!
魔力測定は学園の中庭に置かれている巨大な水晶に触れる事で行われる。
余談だが、その水晶とは学園名にもある通りシンボルとなっており、制服にも刺繍され、学園手帳や様々な小物にも記されている、正に『ハイリガークリスタル学園ブランド』なのである。
学園に通う事のできない下級貴族や平民達からは、学園の持ち物を持つ生徒を羨望の眼差しで見つめ、少しでもあやかりたいと、闇市では学園の印がついた品は高値で取引されている。
教師の制服もまた同様に、ロングコートの背には水晶の刺繍が施されており、学園支給の筆記用具や鞄等、全てに記されているのだ。
魔力測定を行う教師達が巨大水晶の前へと厳かに赴いた。彼等は他の職員達よりも高い位を持っており、それは当然ながら学園外での地位も高く、政と兼務している者も多い。つまりはこの王国に於いて魔力がどれほどに重要であるかを意味しているとも言えるだろう。
そのため、彼等が羽織る教師用ロングコートには、王国の色である瑠璃色のラインがあしらわれている。艶やかに輝く糸で、丁寧に刺繍された瑠璃色のラインは目を引き、学園全体から憧れの視線を向けられる対象なのだ。
ふと、ヒルデは教師の中に顔見知りが居る事に気づいて青ざめた。
黄金色の髪にエメラルドグリーンの瞳。一見女性かと見間違える程の美しい顔立ちの男。ジルヴァ・メイデンハイアーその人である。
ジルはニッカリと無邪気な笑みを浮かべると、ヒルデに向かってひらひらと手を振った。
ジルの麗しい見た目は目立つことこの上ない。ただでさえ、魔力の高い憧れの対象として注目を浴びているというのに、そんな行動を取ったものだから、周囲の生徒達は『あの美しい教師は一体誰に向かって手を振っているのだろう』と、キョロキョロと視線を巡らせ、ざわついた。
ヒルデも負けじと誤魔化す様にキョロキョロと視線を泳がせてシカトを決め込む。
——私は関係ありませんよ~……。
「静粛に!」
教師の一人が声を上げ、生徒達は慌てて口を閉じ、ピシリと姿勢を正した。
「やれやれ、今年の新入生は烏合の衆か?」
悪態をつきながら入場してきたのは、レオンハーレン・キルシュライト。この国の第一王子である。彼もまたジルに負けず劣らず、アッシュブルーの髪をサラサラと靡かせながら、その麗しさを存分に披露しており、生徒達は一瞬のうちに口を閉じた。
レオンハーレンが身に付けている制服には、王族の紋章がつけられている。つまり彼が王族であることは一目瞭然であるというわけだ。
「殿下、模範生としてお越し頂き恐縮です」
教師の一人が恭しく頭を下げ、レオンハーレンは困った様にため息を洩らした。
「ここは学園内だ。私のことも一生徒として扱って貰わねば困る」
——いや、それ無理でしょ。不敬があったら投獄される可能性だってあるわけだもの。一番近づきたくないキャラクターだわ。
「そんじゃ、お言葉に甘えて」
その言葉を放ったのはジルだった。
ジルは両腕を組んで高慢な態度でレオンハーレンを見つめており、レオンハーレンは不思議そうに小首を傾げた。
「この学園の教員の顔は全て把握しているつもりであったが、初めて目にするな」
「欠員が出たんでな。臨時で雇って貰ったんだ。俺様、魔力量パネェし?」
——そりゃあ、神様なんだから『魔力量パネェ』でしょうよ!?
ヒルデはハラハラしながら二人の様子を見守った。
ジルは大あくびをした後に思いきりクシャミをし、垂れて来た鼻水を瑠璃色のラインが入ったコートの袖で拭い、へらへらと笑った。折角の端麗な顔立ちも地位も台無しである。
「……品性は保たれた方が良いと思うが?」
レオンハーレンが差し出したハンカチを受け取ると、ジルは鼻水をかんでそのまま返そうとしたので、当然ながら「遠慮する」と言って受け取らなかった。
一連のやりとりを青ざめながら見つめていた教師達が、慌ててジルを咎めた。
「ジルヴァ先生。殿下に無礼を働くのはお止めください」
「そうですよ。不慣れであるとはいえ、学園の教師としての威厳をお持ちください。しかも我々は全ての教師の代表となるべき存在なのですよ!」
他の教師に窘められ、ジルは唇を尖らせながらつまらなそうに下がった。が、レオンハーレンに「待て」と引き留められて振り返ると、すっと巨大水晶指さして、「そなた、その『パネェ魔力量』とやらを皆の前で披露してみてはどうか?」と提案された。
どちらが先かは兎も角として、模範生として呼ばれたレオンハーレンに、ジルは喧嘩を売られたわけである。
新入生達がどよめき、教師達もオロオロとする中、ジルは「ああ、いいぜ?」と、あっけらかんと宣った。
ヒルデは泡を吹いて倒れそうになりながら、『私は関係無い。私は関係無い。私は関係無い』と、心の中で呪文の様に呟いた。
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