第6話 健康がお友達

 午前中の基礎能力測定を終え、ヒルデは一人昼食を取っていた。木漏れ日の下、中庭のガゼボで……という乙女ゲー特融の可愛らしい場所であれば良いのだが、残念ながら外はざんざん降りの雨であり、登園初日から事件を起こした悪女として名が知れ渡っている為、居場所のないヒルデは、取り壊される予定である旧園舎の隅でパンに食らいついていた。


——この世界に来ても独りぼっちは変わらないなぁ……。でも、身体が丈夫な分ずっといいわ。上手い事ヒロインや攻略対象達を敬遠しながら静かに学園生活を全うして、卒業したら健康で平和な生活を送るのよ! それだというのにアルフレートに助けられてダンスを踊っちゃうだなんてっ! あれは絶対アマリアの心象を悪くしたに違いないわ。ライバル意識を持たれたくなんかないのにっ!

……まあ、助かったけれども。


 と、溜息をついてヒルデは爽やかスマイルを浮かべるアルフレートを思い浮かべた。


——それに、まさか謝ってくれるだなんて思いもしなかったし。アルフレートは基本的に人当たりの良いキャラクターだから、攻略対象と悪役っていう立場じゃなければ友達になれたかもしれないわ。


 尤も、私には友達なんか出来た事無いんだけれど……。


「お前さん、なんでこんなところで一人寂しく飯食ってんだ?」

「うひゃあっ!!」


 突然ひょっこりと現れたジルに悲鳴を上げると、ヒルデははずみで落としてしまったパンを拾い上げ、「三秒ルールだわ」と言って再びパクついた。当然ながら取り壊し予定の建物である為、綺麗とはいえない。


「でっけぇ声だなぁ、おい……つーか、食い意地張ってんなぁ」

「食べ物は粗末にしたらいけないのよ!? 大体、口からこうして味わいながら栄養を摂取できるってことがどれほど幸せな事か!」

「ふーん? お前さん、ひょっとして前世は植物か?」

「違うわよっ!」


全否定しながらヒルデは埃のついたパンをゴクンと飲み込んだ。栄養以外も摂取してしまっていることに、残念ながら気づいていない。


「で、何しに来たのよ。ベルーノが来た途端自分だけさっさとどこかに行っちゃったくせに」


 不機嫌そうに唇を尖らせて文句を言うと、ジルはエメラルドグリーンの瞳をパチパチと瞬いた。


「……だって、俺様は立場上まだあいつらと顔を合わせる訳にはいかねーし」


 ジルの言葉に、ふとヒルデは考えた。


 彼がこの世界の『神』という存在であれば、登場シーンはヒロインに聖なる力を授けるシーンのみであるはず。となれば、まだ攻略対象達と顔を合わせる様なストーリー展開にはならないというのは確かだ。


「隠れなきゃいけないものなの?」

「そういう訳でもないんだが、面倒事になるのは確かだろ? 俺様、どう見たってここの生徒には見えないだろうしなぁ」


 ジルの服装はといえば、いかにも『私は神です!』と言わんばかりに神々しい純白のローブを纏っている。


「その恰好だけでもどうにかならないのかしら?」

「あー……なるな? 得意だし」

「得意?」


 ジルが素早くその場で身を翻した。その瞬間、身にまとっていた純白のローブが、藍色の生地に銀糸の刺繍が施された、この学園の教師たちが纏うコートへと変わった。


「凄いわ! けど、どうして先生の恰好なのよ」

「いや、俺様は流石にお前さんと同年代には見えないだろ? 一番目立たない恰好といえばこれかなって」


 苦笑いを浮かべるジルの細い眉を見つめ、ヒルデはクスリと小さく笑った。確かにジルは大人びている。キャラクターの設定上年齢という概念は無いものの、見た目的には二十代前半といったところだろうか。


「顔や年齢とか見た目は変えられないの?」

「そりゃあ無理だなぁ。羽根を生やすくらいならできるけどよ」

「逆に目立ってどうするのよ! でも、そう……残念だわ」


ヒルデの言葉にジルは小首を傾げた。柔らかそうな黄金色の髪がふわりと揺れる。


「ん? どういうこった?」


小首を傾げたジルに、ヒルデは少し恥ずかしそうに唇を窄めた。


「一緒にここに通えたら楽しいかなって思ったのよ」

「うーん、そいつは楽しそうだが無理だろうなぁ。俺様はどう頑張ったって、この世界の『神』っていうキャラクター設定なわけだし、お前さんが逆立ちしたところで悪役は悪役ってのと同じこった」

「……どう足掻いてもストーリー通りにしかならないのかしら」


 呟く様に寂しげにヒルデは言葉を吐いた。

 悪役として生まれてしまった以上、その運命から抜け出す事はできない。それはつまり、光があれば影が存在するように、暗黙のルールなのだろう。アマリアというヒロインが存在するならば、エルメンヒルデという悪役が存在しなければならないのだ。


「努力したって無駄なのね……」

「そうでもねぇさ。お前さんの努力が功を奏して、聖なる力はアマリアではなくお前さんのものになった訳だしな。つまりは、頑張れば何とかなるってことだろ?」

「努力は才能に勝るって言いたいの?」

「ああ、『駑馬十駕どばじゅうが』ってやつだな」

「なにそれ、難しい言葉ね」


ヒルデが片眉を吊り上げてジルを見つめると、ジルはニッカリと笑みを向けた。


「鈍い馬だって、十日も走りゃあ優秀な馬の一日分にはなるってもんだ。お前さんだってやる気になれば何だってできるだろうさ」


 ジルの言葉を聞き、ヒルデは胸の内から熱を感じた。

——悪役だからという風に諦めるのではなく、私も頑張ればアマリアに近づく事ができる……? 今の私は健康な身体を手に入れたんだもの、努力することができるわ。


「……そうね、頑張ってみるわ」


 ヒルデは意思を込めてその言葉を吐いた。


「シンデレラの様に、ただ逆境に耐えて待っているだけじゃ幸運は訪れないもの」


ヒルデの言葉に、ジルはふっと笑った。


「お前さんは王子を迎えに行くシンデレラになりそうだな。その方が今風じゃねぇか?」

「私に王子様は必要ないけれど、自分の手で幸運をつかみ取りに行くっていう意味ならそうね」


サファイアブルーの瞳を細め、ヒルデはぎゅっと拳を握り締めた。


「有難う、ジル。貴方は私を勇気づける天才ね!」

「『天才』だなんて、初めて言われたぜ……」

「貴方は一体何者なの? どう見ても西洋風の世界観設定なのに、難しい言葉を知ってるし、そのくせシンデレラの物語まで知っているなんて」


ヒルデの質問に、ジルはニッと笑って見せた。彼は笑うとその整った顔を惜しげもなくくしゃりとさせるので、あどけなく見える。


「俺様、長生きだから物知りなんだ」

「へぇ? それはこのゲームの設定上そうだってことなのかしら? 一体何歳なの?」

「お? 俺様に興味があるのか?」

「そ、そんなんじゃないけれど!」


 ジルは機嫌良さげにへらへらと笑いながら、長く緩やかな黄金色の髪をふわりと後ろへと追いやり、ヒルデの直ぐ隣へと腰かけた。肩が触れる程の距離で、ジルの体温が伝わり、ヒルデは何となく気まずく思って距離を取って座り直した。

 ジルは距離を置かれた事に寂しげに片眉を下げ、負けじとヒルデの側へと座り直した。今度は完全に肩が触れている。ヒルデはさりげなく咳払いをしながら避けたが、ジルは更にヒルデの側に座り直した。


 暫くそうしてにじりにじりと二人で動いているうちに、ヒルデのもう片方の肩がコツンと壁に当たった。ジルは満面の笑みを向けると、両腕を広げてヒルデに抱き着いた。


「うぎゃあああああっ!! 何すんのよっ!? 止めてったらっ!!」

「お前さん、揶揄うの面白いんだもんよ」


「兎に角!」と、ヒルデは動揺を隠す為に叫びながら立ち上がった。


「私、もっと頑張ってみるわ! そして平和で健康に生きるのよっ!」

「それはまあ、結構なこった」


 ジルは女性の様な美しい顔を僅かに顰め、ヒルデを見上げた。


「でもよ、健康はもう手に入れてるわけだしなぁ。もっと欲張っても良いんじゃねぇの?」

「欲張るって、何を?」


ジルがニッと笑って「人生の楽しみをさ! 折角なんだからめいっぱい楽しめばいいじゃねぇか」と言った。

 ヒルデの脳裏に過去の自分の生活が思い浮かんだ。ことあるごとに殴りつける恐ろしい父親の存在。熱湯を掛けられ火傷を負った背中——。


 思わず後ずさり、旧園舎の壁に背をつけて身を小さくした。


「楽しみなんか要らないわ。平和で、健康に生きられるならそれで充分なの!」


怯えた様子のヒルデを見つめ、ジルは眉を寄せた。


「お前さん、欲がねぇというか何というか……。エルメンヒルデになる前は、一体どんな生活を送っていたんだ?」

「……大した生活じゃないわ」


——そう、大したことなんかない。紛争中の地域に生まれた人達は、平和な日本で生まれた私なんかが想像もできない程の苦難に遭っているんだもの。それに比べたら、私なんか……。


 テレビのコマーシャルで募金や支援の映像が流れる度、彼女はやるせない思いをしていた。


——可哀想な人達を救おうとする正義の味方は、私には目を向けてくれない。どんなにか飢えて、父の暴力に晒されて痛みを味わっていたのだとしても。


「だって私は、『大丈夫』だから」


 悲痛に満ちたヒルデのその声が、ジルの心を強く揺さぶった。まるで世の中の絶望を味わったかのような声色だった。自分はたった一人なのだ、全てから見捨てられ、誰の目にも留まることのないちっぽけな存在なのだとでも言っているかのような、あまりにも悲しい声だったのだ。


「お前さんさ……」

「そろそろ行かないと。午後の基礎能力測定に遅れるわけにはいかないもの。ジルも帰ったら? 私なんかと関わったって、ろくなことがないわよ」


——そうよ、私はラッキーだわ。今度はこうして健康な身体に生まれ変わる事が出来たのだから。


 ヒルデが胸を張り教室へと向かう後ろ姿を、ジルはエメラルドグリーンの瞳を細めて悲し気に見送った。

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