第18話 芽那ちゃんとの出会い

 僕はジングウ島に来てから、スマホの目覚ましより早く起きるようになった。


 なぜなら――。


「せいちーん……お肉食べてぇ~。せいちーん、んー……」


 芽那ちゃんの寝言で目が覚めるからだ。

 夢を見ていると思われる日には、いつもこんな調子。

 決まって僕の夢を見ているのは、ちょっと恥ずかしいけど……嬉しい。


 僕は芽那ちゃんの安らかな寝顔を見ながら考える。


 彼女から伝わってくるのは、間違いなく好意だ。

 昔からその気配はしていたけど、再会してからは顕著。


 嬉しいけど気になる。

 どうして夢に見るほど僕のことを好きになってくれたんだろう、と。


 その気持ちは日に日に増していく。


 きっと過去にそのヒントはあるんだ。

 僕が芽那ちゃんと出会ったあの頃に。


 過去には良いことも悪いこともあったけど、思い出すと気持ちが落ち込む。

 なぜそうなるのかは自分でもわからないんだ。

 でも、そろそろ向き合わないといけない。


 僕は人の気持ちに気づかないフリはできないから。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 物心がついたとき、僕の前にいたのは一人の女性だった。


 髪も目も、僕と血の繋がりを感じる同じ黒。

 すごく長い髪は、いつだっていい匂いがした。

 黒いセーラー服がよく似合っていて、頭の良いことがひと目でわかる眼鏡をかけている。

 それこそが、僕のお姉ちゃん。

 羽黒 茜音はぐろ あかねだった。


「せいくん、お弁当全部食べられたんだ。えらいね」

「うんっ!」

「ほら、こっちおいで」


 お姉ちゃんは、なにかあればすぐに抱きしめてくれた。

 その温かみが僕は大好きだったんだ。


 本当は人の温かさを初めに知るのは、両親のはず。

 でも、僕らの両親はいない。


 僕が1歳、お姉ちゃんが11歳のときに相次いでいなくなったらしい。

 もちろん僕は父親の顔も、母親の顔も覚えていない。

 あとから考えると、これは蒸発されたんだなとわかった。


 だから僕らはすぐ、児童養護施設に入った。

 いい人ばかりだったけど、やっぱりお姉ちゃん以外には心を開けなかった。

 子どもながら、いや……子どもだから、些細なことが気になって打ち解けられなかったんだ。


 それで小学校に入っても家である施設にはあまり帰りたくなくて、授業が終わったらまっすぐ帰らずに、近くの公園で暇をつぶしていた。

 お姉ちゃんの授業が終わるまで、ただただ遊んでいる子たちを遠巻きに見ていた。


 一緒に遊びたかったけど、遠慮してしまった。

 なんで遠慮するなんてことを、小さいうちから覚えてしまったんだろうか。

 もっとワガママに、子どもらしくすればよかったのに。


 でも、まだその頃は寂しいとはあまり思わなかった。

 だってそれが普通、僕の日常だったから。


 そんなある日、小学校3年生に上がった頃。

 相変わらず公園で所在なげにしていると、見慣れない女の子がいたのだ。

 小さくて気弱そうで、僕と似た遠慮のオーラに包まれた子。


 隅っこのほうで、誰とも話さずに土をイジっている。

 身なりは綺麗で、いいところの子なんだろうなというのがひと目でわかった。


 一人で遊んでいる子はそれまでもいた。

 でも大抵はいなくなるか、しばらくして他の子と遊ぶようになる。


 じゃあ彼女はどうだったか。


 一向に誰とも関わる様子も見せず、ひたすら俯いて一人で遊んでいた。

 一人が好きならそれでいいと思ったけど、彼女からは寂しさのようなものを僕は感じた。


 だからって、すぐに喋りかける度胸なんてない。

 あれば一人になんてなっていないはずだ。


 そうして遠巻きに見るだけの日々を送って、数日が経ったとき。


 いつもと同じように公園にいたら、犬がどこからかやって来た。

 首輪はされておらず、野良犬のようだ。

 そんなものを見たのは初めてで、僕は驚いて声が出そうになった。


 犬が公園を闊歩すると、他の子どもたちは逃げ回った。

 中型犬ぐらいだけど、子どもからすると大きく見える。


 そして犬は、あの女の子のもとへも向かった。

 でも彼女は動じることなく土を……イジっていなかった。


 あれは動じていないんじゃなくて、恐怖で動けなくなっているんだ。


 でも、動けなくなっているのは僕も同じだった。

 足がすくんでしまって、一歩も前に進めない。


 犬は警戒心をむき出しにしながら、彼女に近づいていく。

 遠くだったけど、あの子の怯える顔がハッキリと見えてしまった。


 その瞬間、僕の中で何かが叫んだ。


 今、あの子を救えるのは僕しかない。

 そんなヒーローじみた衝動に突き動かされ、ガクガクと震えていた脚を律して立ち上がる。

 行動を起こせば、大怪我をして後悔するかも……なんて、あの頃の僕には考えられなかった。


 息を荒げながら前へ進み、途中で見つけた枝を手にした。


 そして歯を剥く犬の横顔に吠える。


「お、おい! やめろ……!!」


 僕の裏返りそうになった声を聞いて、犬は顔をこちらに向けた。

 近くで見た犬は、思っていたような狂犬とは違っていた。

 誰かを脅かそうとしているのではなく、自分を守るために牙を剥いていた。

 そんな気がした。


 犬はゆっくりと背を向け、公園の雑木の奥へと消えていった。


 そこで緊張感が吹き飛び、僕は地面にへたり込む。


 すると、怯えていた女の子が身体についた砂を払って近づいてきた。


「あ、ありがとう……大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 綺麗な子だった。

 お姫様というかお嬢様というか、そんな感じの。

 同じ人間じゃないような気さえしてしまった。


 ようやく話せるキッカケができたと、僕は立ち上がる。


「いっつもこの辺にいるよね?」

「う、うん。このあいだ引っ越してきて……それで、ママがおうちに帰ってくるまで……ここにいるの」

「……そうなんだ。どこから引っ越してきたの?」

「し、島から来たの。遠い島から……」

「へぇ……すごいね!」


 別にすごいことでもないのに、話せたのが嬉しくてそんな言葉が出てしまった。


 すると女の子の顔が暗くなる。


「も、もうすぐ……学校、始まるから……あんまり来れなくなるかも」

「学校……ってもしかして、『花代はなよ小学校』?」

「う、うん……そこだと思う」

「そうなんだ! 僕と一緒だね!!」

「そ、そうなの? えへへ……」


 その子は僕と同じ学校に転入してくるらしく、とてもワクワクしてしまった。

 少し話をしただけで、なんだか性格が合いそうだと感じたからだと思う。


 僕は持っていた枝で地面に名前を書く。


「えーっと、僕の名前はねー……はーぐーろ、せーいーしょーう。っていうんだー! 漢字はねー、難しくて書けないよ、へへっ」


 下手くそなひらがなを指し、抜けた前歯を見せて笑う。

 すると、女の子も鏡のようにして笑い返してくれた。

 そのとき、僕は今まで感じたことのないドキドキを味わったのを覚えている。


「じゃ、じゃあ……せいちん、だね!」

「せいちんー? なにそれ、はははっ!」


 僕の名前は青霄せいしょうといって、漢字にせよひらがなにせよ難しかったのか、彼女はそんな変わった呼び方をしてきた。

 でもそれは友だちになれた証みたいで、僕にとってはとても嬉しかったのだ。


「せいちん、その枝……貸してくれる? う、ウチも書きたい……」

「うん、いいよ! はい」

「ありがとうっ」


 彼女は枝を受け取り、僕の隣に名前を書いていく。


「ウチは……なしま、めな……っていうの! か、漢字も書けるよ……よいしょ、よいしょ……」

「……おぉ~! 漢字書けるんだ! すごい!」


 僕とは違って、上手に漢字で名前まで書き上げた。


 書き終わった彼女は、僕を見上げて言う。


「よ、よろしくね……せいちんっ!」

「うん! いっぱい遊ぼうね、芽那ちゃん!!」


 その言葉に、とびきりの笑顔を返してくれた。


 それが僕と芽那ちゃんとの出会いだった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……ちーん、せいちーん! せいちんってば!!」

「……ハッ!?」


 芽那ちゃんに呼ばれて、僕は回顧から戻ってくる。


 彼女は自分のベッドから下り、僕の座っているベッドのほうまで来ていた。

 僕の顔の真ん前に顔があって、ビックリして後退りする。


「……おっと!!」

「そんなにビックリしなくたっていいじゃーん?」


 不服そうに口を尖らせ、顔を離す芽那ちゃん。

 自分のベッドに戻り、彼女も腰を下ろす。


「なんか起きたらさ~、せいちんがウチの顔見てて……あぁ、ウチのこと大好きなんだっ! って感動してたら、なーんか声かけても上の空で。大丈夫ぅ?」

「……ごめんごめん! ちょっと……寝ぼけてたみたい」

「本当~? なんかあったらすぐに言ってよー?」

「うん、ありがとね」


 そう言うと、芽那ちゃんは微笑む。


 そうだ、この顔だ。

 僕が小さいときから心を掴まれた顔だ。


 ベッドを直す彼女を見ながら、僕は話しかける。


「……芽那ちゃん」

「んー?」

「こ、これらも……いっぱい遊ぼうね」

「きゃははっ、どうしたの? 改まって~。そんなの当たり前だよっ! ウチはせいちんと、い~っぱい遊んで、い~っぱいラブラブするんだもーんっ!」


 彼女から僕に向けられる愛は重い。

 メガトン級に。

 でも僕だって、自分の中における芽那ちゃんの存在は大きい。

 かつて彼女がいなくなったとき、抜け殻のようになってしまったぐらいには。


 だからもう、離ればなれになんか絶対になりたくない。

 この笑顔を見られない日なんて、僕にはいらないんだ。


 あの頃から僕はあまり変わっていない。

 でも、その変わっていない部分を好きなってくれたんだとしたら。


 僕がすべきことは、そこを活かして伸ばし続けることだ。


 きっとできる。

 昔の僕ができて、今の僕にできないことなんてないはずだから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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