第9話 温かすぎる敗北

 対戦する前でも芽那ちゃんの表情は変わらない。

 ニコニコ、というかニヤニヤしている。


 モニターに目をやると、相手として彼女の名前が表示された。

 Tierティアは3。


 このTier、戦い続ければ変動するようで、僕のTierは3から1になっていた。

 芽那ちゃんは実力としてTier3なのか、あるいはタイマンをこれまでしていなくてTier3なのかわからない。

 でも彼女の落ち着きのある表情を見ると、どうも後者な気がするのだ。


 芽那ちゃんはスマホに触れ、武器を呼び出す。


「『Ordnanceオードナンス』」


 光が溢れ、次に晴れた頃には彼女の手に武器が握られていた。


 そのシルエットに、僕は目を見開く。


「それって……牛刀ぎゅうとう、だよね?」

「おっ、よくわかったねぇー! おっきいお肉をカットするのに便利なんだっ」


 芽那ちゃんは牛刀を持った手を捻り、その刀身を煌めかせる。

 先端が尖っていて細長いのがこの包丁の特徴だ。

 以前に料理人が使っている動画を観たことがあり、そのおかげでわかった。


 しかし、福里さんのチェンソーにしても、芽那ちゃんの牛刀にしても。

 武器、といっていいのか悩むものばかりだ。


 もっとも、枝なんて使っている僕が言えたタチじゃないんだけど。


 妙に身近な武器に背中をゾクゾクとさせながらも、立ち位置につく。


 そしてカウントダウンのアナウンスが始まった。


「『Readyレディ ,Steadyステディ, Goゴー』」


 ブザーが鳴り響き、試合の開始を告げる。


 どう出てくるのかと思って観察するも、芽那ちゃんはまったく動かない。

 ただ僕のほうを見て微笑んでいるだけだ。


「……こないの?」

「せいちんからきてよ。ウチ、受け身なの知ってるでしょ~?」


 魂胆はわからないものの、明らかに誘っている。

 周囲に目を配るが、罠らしきものは見当たらなかった。


「じゃあこっちから……!」


 僕は枝を短めに持ち、彼女のいる方向へ駆ける。


 まだ芽那ちゃんは動かない。


 向こうからのアクションを知るためにも、まずは腹部を枝で斬り裂きにいく。


「ハァッ!」

「きゃははっ」


 ギリギリのところで避けられた。

 しかも笑いまで見せる余裕っぷり。


 この瞬発力、動体視力、そして胆力。

 やっぱり彼女の実力はTier3じゃない。


 すぐさま僕は二撃目を首の近くへ持っていく。


「当たらないよ~!」


 これも寸前のところで身を翻される。


 避けてばかりで攻撃をしてこない。

 まるで福里さんと最初に戦ったときの僕じゃないか。


 僕は枝の持ち方を変える。

 今度は斬り込むのではなく、突き刺すつもりだ。


 頃合いを見ていると、芽那ちゃんが話しかけてくる。


「避けられてばっかでイライラするよね~?」

「いいや。でも……芽那ちゃんがどう動くのかは気になる」

「きゃははっ……そっかぁ。もうすぐ見せてあげるから楽しみにしてて」


 口角を大きく上げ、僕に向けて手を差し出してくる。

 彼女の真意はまだ掴めない。


 呼吸を整え、地面を蹴って前進する。

 縮まる距離、芽那ちゃんは未だに不動。


 待ち構える彼女の腹部を枝が貫通し、僕の手に突き刺した感触が伝わる。

 いくら枝といえど、ここまですれば致命的なものになるはずだ。


「とった……!」


 モニターのゲージを確認すると60%を削っていた。

 このまま横にでも引き裂くことができれば、きっと削りきれる。


「ウチもとった~っ」

「っ……!?」


 芽那ちゃんの大きな手がやってきて、片手が僕の肩を掴む。

 とはいえその力は弱く、押しのけるのは容易い。


 しかし――。


「それっ」

「んんっ!?」


 なんと彼女は僕を自身の身体へ引き寄せて、抱いてきたのだ。

 巨大な胸に顔が埋まり、その服に張り付くようにしてできた谷間しか見えない。


「め、芽那ちゃん!? なにやってんの!! 今、試合中だから……!」

「そうだよ~? 試合中だからしてるんじゃ~んっ」

「えぇっ?」


 ひたすらに柔らかい感触が顔に襲ってくる。

 唇も自然に体操着越しの胸に当たってしまい、顔がどんどん熱くなってくる。


 まずい、早く動かないと!

 このままじゃ、あの牛刀で突き刺されて負ける。


 でも、身体に力が入らない。

 まるで僕の本能が離れたくないって言ってるみたいだ。


「せいちん、もしかしてこれで刺されると思ってる~?」

「……え?」

「こんなの使わなくたって大丈夫~! ぽーいっ!」


 なんと芽那ちゃんは牛刀を放棄し、空いたその手で僕をさらに抱き寄せてきたのだ。


 おそらく前代未聞のできごとに、観客席も騒然とする。

 中でも福里さんの声はよく聞こえてきた。


「芽那のヤツ……一体何考えてんの!? あれでどうやって勝てるってんのよ……バカ言って――」


 文句を言っていた彼女の声が止まる。


 何ごとかと思い、芽那ちゃんの胸の中から顔を出して福里さんのほうを見た。

 彼女はモニターを見て、目を丸くしているようだ。

 僕もそちらを見る。


 すると――。


「げ、ゲージが……ちょっとずつ減ってる!?」


 なんと微塵もダメージを与えられていないはずなのに、僕のゲージがジワジワと減っていたのだ。

 現在95%。


 牛刀は地面に捨てられ、両手は僕の背中。

 やっぱり思い当たるものがない。


「どこ見てるのせいち~ん? こっちでしょ~?」

「んぐぶぅっ!?」


 また胸に埋められ、温かい感触に包まれる。

 そして彼女は手で頭まで撫でてきた。


「よしよーし、そのままにしててね~」


 優しく頭を撫でられながら、僕は気づく。


「まさか……」


 チラッとモニターを見てみれば、92%になっていた。

 また3%削られている。


 やっぱりそうだ。


 僕は……おっぱいでダメージを受けている。


「そんなバカな……」


 正確にいえば、胸に埋まって息がしづらくなっていること。

 そして強く抱きしめられていることがダメージとして計算されているようだ。


 胸を別にして考えるとわかりやすい。

 つまりは窒息させられ、関節技を決められているようなものなのだから。


 しかし、わかっていても離れられない。

 女体の魅力からは逃れられないのだ。


「きゃははっ、ゆーっくりゲージがなくなっちゃってるねぇ? 逃げなきゃいけないのに、おっぱいが大好きだから動けないよねぇ?」

「くっ……!!」


 芽那ちゃんは最初からこれを狙っていたんだ。

 彼女がまったく動かなかったのは、動く必要がなかったから。

 僕が近づいたときに抱きしめ、そして胸の中で殺す。

 蜘蛛の巣のように、僕は絡め取られてしまったのだ。


 彼女は僕の顔に触れ、そのまま観客席に向ける。


「ほら、せいちん……みんなに見られちゃってるよ~? おっぱいに甘えちゃってるの、女の子たちに見られて……恥ずかしいねぇ、きゃははっ」

「こんなのっ……ううっ!」


 どれだけ煽られようと、身体が言うことを聞かない。

 観客のギャルたちは僕の醜態を、頬を染めてじっくりと見ている。


 芽那ちゃんの胸に顔をピッタリとくっつけながら、福里さんとも目が合ってしまう。


「は、羽黒……嘘だよね? おっぱいになんかに……負けないよね?」

「福里さんっ……くっ!」


 手を口に当て、失望したようなその表情が僕の胸に突き刺さる。


「ねぇ、せいちんもギュッとしてよ~! そんな枝、捨てちゃってさ」

「で、でも……」

「二人一緒にギュってしたほうが、もっと気持ちいいと思うよ~?」


 ダメだ、それだけは。

 この枝を手放すってことは、プレイヤーがコントローラーを置くことと同じ。

 その時点で試合に負けたことを認めるようなものだ。


 いくら芽那ちゃんの誘惑があっても。

 それだけは……。

 それだけは……!


「『Gameゲーム setセット matchマッチ』」

「……あぇ?」


 試合終了のアナウンス、そして目を覚ますようにブザーが轟く。

 ぽかーんとした僕は、マヌケな声を出してしまった。


 我に返ってガバっと胸から離れると、モニターに目をやる。


「ま、負けた……?」


 ゲージは綺麗に0まで削り取られていた。


 僕は唖然とし、表情が固まってしまう。


 するとまた芽那ちゃんに抱き寄せられた。


「あーあ、負けちゃった~。でもしょうがいないよ~! せいちんはよく頑張ったってー。よしよーしっ」

「ぼ、僕は……」


 怯えながら彼女の顔を見上げると、その目は鈍く光っていた。


「それじゃ……ウチのモノになろっか、せいちん」


 芽那ちゃんの胸の中で優しく撫でられる。


 僕はその日、今までで一番温かい敗北を喫した。


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