第8話 僕だけに見せる顔

 芽那ちゃんから逃げてきた僕は、大浴場に誰もいないことを確認して入った。

 電気もつけずに、隅っこのほうでコソコソとシャワーだけする。

 できるかぎり早く終わらせて、ここを出てしましたい。


 最後にサッと掃除だけ済ませて、急いで上がった。

 幸いにも誰とも出くわさなかったけど、このさきも同じようにいくかどうか不安だ。


 僕の寝間着は部屋にあったものを持ってきた。

 いたって普通のルームウェアだ。

 制服にしてもうそうだけど、島で唯一の男の僕に合わせたオーダーメイドということだろう。

 サイズなんて測ったこともないのに、不気味なぐらいにピッタリだ。


 お風呂から上がって帰ってくると、芽那ちゃんはベッドでゴロゴロしていた。

 お尻のラインが浮いてしまっている。

 パジャマ姿の女の子なんて見慣れていないから、視界に入るだけでどぎまぎしてしまう。


「おっかえり~! 早かったね、ちゃんと入れた?」

「うん、大丈夫だったよ」


 寝転んでいる芽那ちゃんを、ジロジロ見てはいけないと思いつつも見てしまう。


 パッと視線を上げると、彼女と目が合ってしまった。


「せいちんって本当にわかりやすいよね~、きゃははっ」

「しょ、しょうがないでしょ……女の子と一緒とか……慣れてないんだし」


 そう言うと、芽那ちゃんは声を出して笑うのをピタリとやめた。


 ふと見た彼女の顔は、どこか昔のような自信なさげな少女のものになる。


「ウチも……慣れてないんだけどなー……へへっ」


 目を逸らしながら、頰をゆっくりと赤らめている。

 少し自嘲気味に、口角を上げて。


 その表情に、僕は目が離せなくなってしまう。


 もしかしてこれが芽那ちゃんの――。


「てかそろそろ寝よ! ウチ、なんか疲れちゃったよ~」

「そ、そうだね!」


 慌てて電気を消し、互いのベッドで横になる。

 心臓がドクンドクンとうるさくて、とてもじゃないけど寝られない。


 するとなんだか視線を感じた僕は、芽那ちゃんのほうを向いた。

 暗い中でも、彼女の大きい目はハッキリと見える。


「ねぇねぇ、せいち~ん。そっち行っていい~?」

「いや……それはダメだよ」

「ちぇ~! もー、ケチ~」


 さっきのしおらしさはどこへやら。

 また快活ギャルに戻ってしまった。


「こうやって……せいちんがウチと話すのって、何年ぶりか覚えてる~?」

「えーっと……確か小3で会って、中1で引っ越しちゃったんだっけ。だから……4年ぶりぐらい?」

「そうだよ~。ママのお仕事がなかったら、もっと一緒にいられたのにね。でも、せいちんに会えたのもママのお仕事のお陰か~。なんか複雑ー」

「仕方ないよ、そればっかりは」


 芽那ちゃんが引っ越してしまうとき、さよならを言うことはできた。

 でもあのときの彼女の泣き叫ぶ顔を思い出すと、今でも胸がギュッと苦しくなる。


 だから今の芽那ちゃんの笑顔を見れば、そのときの記憶が少しずつ上書きされていくような気がした。


「そういえば、芽那ちゃんって……ジングウ島から来てたんだね」

「うん! 外に出て、また帰ってきたって感じ~」


 昔、芽那ちゃんにどこから来たのかと聞いたときは、単に遠い島だと聞かされていた。

 その島こそがジングウ島だったとは。


「あのさー、ウチがいなくて寂しかった~?」

「……えっ」

「ねぇねぇどうなの~? 教えてよ~」


 芽那ちゃんはニコニコとしながら問いかけてくる。

 少し恥ずかしい気持ちが膨らむけど、ここは素直に話そう。


「正直……寂しかったよ、結構ね。お姉ちゃん以外じゃ、話す人もいなかったしさ」

「……そっか。そうなんだ。寂しかったんだ。……じゃ、これからはい~っぱいお話しようね!」

「うん、ありがとう……」


 僕が寂しがっていたのを喜んでいるというより、たぶん気を遣われているんだと思う。

 こういうところは昔と変わってない。


「あ~、眠くなってきたぁー……」

「寝ていいんだよ? 明日も早いし」

「えー、でもなぁ~……せいちんとー……おはあぁ……」

「……あれ、寝ちゃった?」


 話をしている途中で、芽那ちゃんは溶けるような声を出して眠ってしまった。

 その寝顔はとても幸せそうなもので、かつて僕が彼女をおぶったときに見せた表情と瓜二つだ。


「……おやすみ、芽那ちゃん」


 懐かしさに包まれながら、僕も異郷の地での一日を終えたのであった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 翌日から早速、授業が始まる。

 体育が『タイマンオンライン』になっている以外は、島の外とカリキュラムの違いは見られない。


 ただそれも表面上のもので、教科書はやっぱり見たこともないデザインのもの。

 この島で独自に作られているのだろう。


 教科書に記載されている内容も普通のものが多いけど、日本史や生物の教科書の内容はこの島独自の要素も見られた。


 たとえば日本史なら、この島の起源が書かれている。

 今から約60年前には京蓮寺さんによって発見され、ロボットを使って整備され始めたらしい。

 60年も前にロボットがいたなんて考えられないけど、もっと色々とありえないことを知っている手前、疑うこともない。


 そして50年前に人間の単一生殖実験に成功。

 その被験者の女性たちを集めたのが始まりのようだ。

 以来、この島は単一生殖によって生まれた人々だけで構成されるようになったそう。

 つまり芽那ちゃんのお母さんなんかも同じわけだ。


 入植した目的には「安心して暮らせる社会の設立」とだけ書かれている。

 女性だけだから、ということなのだろうか。

 じゃあ僕はなぜ……と何度繰り返したかわからない疑問にまたもやぶち当たる。

 どうも目的は別にある気がした。


 タイマンオンラインの授業になると、僕の席の周りにギャルたちが集まる。

 みんな鼻息を荒くしながら、まずは観客席に招待するように言ってくるのだ。


 そして彼女らと一緒に移動し、その観客席の中からタイマン相手を順に選んでいく。

 くじ引きアプリで番号を引き、当選した子を呼び出すのだ。


「えーっと……次は13番の人」

「フンッ、アタシみたいね」


 福里さんが入場し、僕の前に立ちはだかる。

 眉間にシワを寄せながら仁王立ちするさまからは、強者の風格が漂う。


 そして――。


「んもぉおおおおお!! なんで勝てないのよぉおおお!!」


 またもや僕に負けた彼女は、地団駄を踏んでいた。

 実はこれで5回目。

 タイマンには回数の制限がないという欠陥ルールがあるため、何度でも同じ相手が回ってくるのだ。


 タイマンはする前に要求を言い合うのが決まりだけど、僕は毎回「こちらの言うことをきく」にしている。

 こうして大雑把に条件を出し、戦っている最中に決めるのだ。


 なんとこの負けた相手への要求は、被らせてはいけない決まりになっている。

 つまり最初に僕は福里さんに「友だちになって」と言ったが、もう同じ要求はできないのだ。


 だから僕は「お昼のおかず交換して」や「荷物一つ持って」など、要求を考えては福里さんを始めとしたみんなに命じていた。


「ムカつくムカつくー!! アンタ、なんかズルしてない!?」

「してないよ」

「これだけやっても勝てないし、ってか誰もアンタに勝ててないじゃん!」


 僕が負ければ「好き放題」されてしまうのだ。

 負けられるはずがない。


「ハァ……で、今日は何すればいいわけ?」

「うーんと、そうだなぁ……」


 無難なものばかり要求していることもあり、率直に言うとネタ切れを起こしている。

 僕はあくまでもちょっとした罰ゲームのつもりで、嫌がるようなことをさせたくはない。


 しかし途切れることなく挑まれるタイマン。

 アイデアだけが減り続けていく。


 考え込んでいると、誰かが近づいてくるのを感じた。


愛凪らなちゃんさ~、まだ勝てないんだー? きゃははっ」


 芽那ちゃんはそう笑いながら、僕を一瞥する。 


「芽那……。なーに言ってんだか! アンタは勝ち負けどころか、羽黒にタイマンすらしかけてないでしょうが! いっつも、せいちんせいちん言ってるクセにさぁ?」


 そう福里さんが不満をぶつけると、芽那ちゃんは手を口に当てて妖しく微笑む。


「だってぇ~ウチ、せいちんの攻略法……知ってるんだもーん。いつでも倒せるんだから、焦る必要なんかないの~」

「フンッ、どうせ……でまかせでしょ? いっつもサボってるアンタが、どうやって勝つってんのよ」

「じゃあ……試してみよっか」


 視線を僕へ向ける芽那ちゃん。

 クラスのみんなもこちらを注目している。


 ゆっくりとこちらへ近づいてきた。


「ってことでー……タイマンしよっか。もし、せいちんが負けたら……身も心もぜーんぶウチのモノね。どんなに恥ずかしいことでも……してもらうから」


 冗談を言っているような感じじゃない。

 本気で僕と戦うつもりのようだ。


「相手が芽那ちゃんでも……加減しないよ」

「きゃははっ……望むところっ」


 こうして僕は、初めて芽那ちゃんとタイマンを繰り広げることになったのだった。


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