第23話 不穏の前兆

 大臣ガレスと別れたその後、結衣菜たちは別々の三部屋で休んでいた。


「それにしても、王子はしっかりしてるよね。チッタの方が子供に見えちゃうよぉ」

「チッタは幼馴染の中でも一番歳下だったから、嬉しいのかもしれないわね」

「そっかぁ。そういえば、ティリスとチッタと……ディランさんだっけ、はいつから知りあいなの?」

「……ティリス? 大丈夫?」


 ティリスは目を伏せて逡巡していた。心配そうなユイナに覗き込まれ、慌てて言葉を返す。


「そ、そうね……二人に出会ったのはとても幼いころ。私の母とディランの両親、チッタのお母さんがとても仲が良くて、それで小さい頃から一緒に遊んでいたの」

「へぇ、そうなんだ。あれ? でもチッタのお家って、ジェダン国……にあったよね? 燃えちゃったけど……」

「チッタのお母さんはディクライットの人なのよ。昔はチッタもディクライットに住んでいたの。ただ、お母さんが亡くなってからは父方の伯母であるメリルさんが引き取ってくれたから、ジェダンに住むことになったの」

「そうなんだ。あ、ねえティリス、チッタの……ううん、やっぱいいや! 忘れて!」


 何かを言いかけた結衣菜にティリスは首を傾げる。部屋の扉をノックする音が彼らの会話を中断させた。


「僕です。ティリスさん、少しいいですか?」


 アレンの声だった。


「今行きます。ユイナ、ちょっと行ってくるわね」


 結衣菜が頷いたのを見て、ティリスは扉を開ける。そこにはネグリジェに着替えたアレンが立っており、ティリスの姿を見とめると彼はにこっと笑った。

 アレンはまだ幼い。こんな子が一人で歩いたこともない城外に放り出されたのかと思うと恐怖を感じる。未だこの国の王への不信は消えないが、王子のためにもそういう素振りは出さない方がいいだろう、とティリスは思い、背筋を正す。


「王子、何かご用ですか?」

「あの、巻き込んでしまって……ごめんなさい」


 王子は俯いて落ち込んでいる。おそらくテーラが普通の状況ではないことを気にしているのだろう。彼の胸元のペンダントが、キラリと光った。ティリスは務めて優しい笑みを返す。


「……気にしないでください。私達は大丈夫ですよ。それより、早く陛下とお話ができるといいですね」

「ええ、ありがとうございます。僕、頑張ります。父上は……たった一人の肉親なんです。僕がなんとかしなければ……」


 使命感に突き動かされている彼を見て、ティリスは心配そうに眉を顰める。思い出したようにアレンが続ける。


「あ、そういえばですが……ディクライットの親書の件、この話が落ち着いたら責任を持って対処させていただきますので、安心してください」

「そうですか……! お気遣いありがとうございます」

「それでは僕はもう少しチッタさん達とお話をしてから寝ようと思います。ティリスさんもゆっくりおやすみ下さい」

「ええ、ありがとうございます。アレン様」


 王子が立ち去ろうとした時、彼はあっと声を上げて振り向いた。


「よくわからないんですけど、ロイドがティリスさんに例の件、わかりましたって言ってました。なんのことですかね?」


 首を傾げながら隣の部屋に入っていくアレンを見て、うまく伝わったみたいだ、とティリスは胸を撫で下ろす。夜のしんとした空気が辺りを包んだ。

 さぁ自分も戻ろう。そう思って後ろを振り向くと突然腹に鈍い痛みを感じた。顔を上げると見覚えのある顔がそこに立っていた。


「出されたお茶はいただくものですぞ。騎士養成学校では習いませんでしたかな?」

「そのナイフには毒が塗ってある。じきに効いてくるだろう」


 男はただ彼女を見下ろすだけだ。ぴりぴりと痺れるような感覚。普通の刺し傷では感じないような痛みが、全身を駆け巡る。ティリスが痛みに呻くと、男は笑い声をあげた。


「ディクライットの騎士も容易いもの。安心しろ、殺しはしない。邪魔にならないようしばらく休んでいてもらうだけだ」


 だんだんと視界がぼやけ、城の廊下に敷かれた絨毯の赤が近くに感じた。……だめ……だ、意識が……。視界が消えた。


***


 アレンがティリスに話があると言って戻ってきてから、ガクたちはしばらく談笑をして過ごしていた。アレンは旅の話に興味があるようで、深刻な現実を忘れようとするかのようにチッタの身振り手振りの活躍劇を楽しそうに聞いていた。

 ディクライットで盗賊退治をしたというのはガクも初めて聞いた話で、得意げに語るチッタに「話を大きくしすぎなんじゃないか?」と冗談交じりに突っ込みを入れたりしていたのだった。ロイドはあまり口を開かずじっと何かを考えているようで、それに気づいたチッタが口を開いた。


「ねーね、ロイドさん! そのキラキラしてるのってなぁに? 綺麗だね!」


 ロイドの胸元で光るペンダントを指差し笑顔で聞くチッタにロイドが少し引き気味に答えた。


「これはアレン様から頂いたものです。アレン様が初めて城下町に出られた時にたまたま見つけた魔宝石屋で……」

「僕が選んだんです! 僕の物とお揃いなんですよ!」


 とても嬉しそうに自分の首にかけたそれを見せると、ロイドは少し恥ずかしそうに俯く。


「二人はとても仲良しなんだね」

「な、仲良しだなんておこがましい……! 私はアレン様にお仕えする身。アレン様はお優しいのです……」


 俺の言葉に焦って弁解するロイドに、アレンは「仲良しではないのですか?」と返す。さらに困っているロイドを見て、チッタとアレンはくすくすと笑い合う。そろそろ寝ますと言うアレンが別れを告げ、扉を開いた。ロイドはアレンが扉を潜ると、二人に声をかける。


「お二人とも。気をつけてください。……なんだか嫌な予感がします」

「わかった!」


 即答で元気よく返事をするチッタに、ロイドは初めて微笑み、扉が閉められた。その瞬間から先ほどよりもさらにはしゃぎだしたチッタに、ほとほと呆れてきた頃、ガクは先ほどからずっと感じていた違和感をチッタに告げた。


「なんだかさっきからずっと頭が痛いんだよね」

「どっかにぶつけたー?」


 置いてあった綺麗に装飾された木箱を振って遊ぶのをやめてこちらを覗き込むチッタにぶつけてないよ、と俺は返した。少し気持ち悪いから風に当たってくると彼に告げ部屋を出ると、そこには大臣が立っていた。


「ガクさん? どうしました?」


 あまり具合がよくないことを伝えると彼はそれならいいものがあります、と小さな瓶を取り出した。


「最近、ここらでよくない風邪が流行っているのですよ。その症状によく効く薬ですので、どうぞお飲みください」

「ありがとうございます」

「いいんですよ。ゆっくりおやすみ下さい。……それでは」


 応接間で髪色のことを言われたときは恐ろしい人かと思ったがそんなことはないな、と俺は小瓶を開け中の液体を一気に飲み干した。こんな物で効くのだろうか。そう思いながら廊下を歩いていると、突然めまいがして景色が回った。頭を強く打ち意識が朦朧とする。目の前の絨毯に赤黒い何かが染みついているのが見えた。嫌な予感が頭をよぎり、身体中の力が抜け上手く手足を動かせない。どうにかしないとともがく彼の頭の上で声が聞こえた。


「人がいいのか馬鹿なのか全く分からんもんだな。昔からクワィアンチャーの奴らの傲慢さには我慢ならぬ物があってな。あの騎士は生かしておいてやるがお前はそうはいかない。王子を殺した後でたっぷりと可愛がってやるさ。覚悟しておけ」


 蔑むような口調の言葉が耳に残り、その瞬間頭に強い衝撃を感じ、視界が真っ白になった。

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