第21話 テーラの王子

 精霊の森を出てから一週間ほど経ったある日の朝、野宿の場から少し離れた森の一角。ガクはアシッドの村を出るときにもらった剣を携えて歩いていた。

 ──そんなもの使わずに僕らの力を借りればいいのに。

 囁くのはガクにだけ聞こえる声だ。それは精霊、と呼ばれるもので、気まぐれに彼に話しかけてくる。


「それで毎回倒れていたら元も子もないじゃないか」


 精霊達に悪態をついた彼に声をかける者がいた。


「ガク、早いわね」


 ティリスだ。いつもは高い位置で一つに結わえている長く美しい髪。下ろしたままの姿に起きたばかりの表情がうかがえる。まだ少し眠そうだ。


「二人は? まだ起きてない?」

「いつも通り」

「やっぱりか」


 二人は仲間のことを考えて笑いあう。チッタとユイナは朝がそんなに強いわけではないらしい。一番遅いのはいつもチッタだ。

 交代で見張りをする必要がないと判断した日はいつも四人同時に眠るのだが、大抵初めに目を覚ますのはティリスかガクで、まれにユイナが一番乗りで景色を眺めていたりする。そういう時彼女は決まって元の世界を思い出しちゃって、と悲しそうに言うのだった。

 ユイナの辛さはどんな程度だろうか、とガクは考える。自分たちが住んでいる以外の別の世界なんて考えたこともなく、とても想像ができるものではない。きっと彼女には大事な家族もいるのだろう。


「……家族か」


 頭の中で考えたことがそのまま声に出てしまっていたらしく、ティリスが怪訝な顔でガクを見つめていた。


「ぼんやりして、どうしたの?」

「なんでもないよ」


 尚も疑問がありそうな彼女だったが追求するのはやめたのかさて、と言葉を続けた。


「体調がだいぶ良くなったから剣の扱い方を教えてくれだなんて、驚いたわ」

「いいだろ、俺だって多少はみんなの力になりたいんだ」

「あら、料理をしてくれるだけでも十分力になっているわよ。私がつくるのじゃ、チッタは不服そうだから」


 そう冗談めかして笑う彼女につられ、ガクも微笑んだ。


「さあ、始めましょうか」


***


 その日俺たちはやっとの目的地であるテーラが見渡せる高台に来ていた。


「一番乗りー!」


 寝癖がひどいチッタが一番高い地点へと駆け上る。ついついつられて走るユイナを見ながらガクはスイフトの手綱を引いていた。

 頭に乗っかっていたヴィティアがバランスを崩し、ガクの視界がなくなったところで隣からティリスの笑い声が聞こえた。

 体制を立て直せず暴れるヴィティアを肩に降ろすと、頂上に辿り着く少し手前でチッタと少し困ったような顔をしている結衣菜が立ち止まっているのが見えた。

 彼らはこちらを振り返り、手をこまねいている。スイフトに合わせてしばらく経ってから追いついた彼らはやっとその事情を理解した。

 一人の少年が、こちらに背を向けて地にうずくまっていたのだ。

 歳はいくつほどだろうか、背丈からするにまだ十歳前後の彼は、震えていた。皆がどうしたものか、と思案しているうちに、チッタが近づいた。


「君、どうしたの?」


 びくっと肩を振るわせ、反応した彼がこちらに振り向く。その表情は怯え切っているように見えた。何か言葉を返すと思いきや、不意に、彼は手に持っていた剣を振り上げた。突然のことに反応しきれなかったチッタに向かってそれが振り下ろされる。

 聞いたことのない金属音が響いた。チッタの前に立ちはだかったティリスが自らの剣で少年のそれを弾き飛ばしたのだ。呆然と崩れ落ちた少年を慌ててガクが助け起こした。

 細く今にも折れてしまいそうな腕。弾き飛ばされた剣は地面に突き刺さっており、それを慣れた手つきで引き抜き眺めたティリスがこちらに近づいた。彼女は胸に手を当てて礼をする。


「無礼を失礼いたしました。私は隣国ディクライットのアウステイゲン騎士団の者です。この剣はテーラの王家に伝わるもの。あなたはテーラ王国の王族の方ですね?」


 少年は顔を背けた。顔についていた泥とともに血の跡も見える。ずっと放浪していたのだろうか、よく見ると服もボロボロで、ところどころ破れている。ティリスが再び口を開こうとしたその時、少年の呟く声が聞こえた。


「……僕は」


 ティリスは彼の声をよく聴こうとしゃがみ込む。少年は今にも泣きそうな表情で、服の裾を掴んでいた。


「僕は、テーラの王子だったんです……」

「だったって、どういうこと?」


 口を挟んだのは結衣菜だった。その言葉に再び黙り込んだ彼だったが、ぽつりぽつりと話し始めた。

 彼はテーラ王国の第一王子でアレンという名前だということ。彼の父である国王が国民を理不尽に殺し、さらには隣国トルマリンに戦争まで仕掛けようとしているということ。それに王子が意見をしたがために国を追放されてしまったということ。

 テーラの王はとても温厚な人だったはず、というティリスの言葉に、彼はついに泣き出してしまった。ぼろぼろと零れ落ちる彼の涙が彼を支えていたガクの腕に伝ってゆく。


「父上は、きっと何か悪いものに憑かれているんだと思います。僕が、僕が何とかしなければ……!」


 嗚咽と共にその言葉を吐き出し泣きじゃくる彼の背中を、ガクはゆっくりと優しくさすった。困り果てた俺たちが顔を見合わせていると、少し遠くからよく通る声が聞こえた。


「アレン様! ご無事でしたかアレン様! ああよかった!」


 端正な顔立ちに腰に差した剣。安心したような表情で王子に駆け寄った彼はつづけた。彼はまるでアレンの親のようだ。


「ぼろぼろじゃあないですかアレン様……ああでもよかった、本当によかった……」

「探しに来てくれたんだねロイド。ありがとう」

「当たり前ですよアレン様……」


 感動の再会か、いまだに状況がさほど呑み込めていない結衣菜たちにようやく「あなた方は?」とロイドが質問を投げかけて、これまでの経緯をティリスが説明した。


「なるほど、では我が国に用があって。しかし残念ながら今テーラは……」


 深刻な面持ちで目を伏せるロイドにアレンが手を取って懇願する。


「お願いですロイド、僕を陛下に、父上の元に……。僕らの国に行かなければ……」

「ですがアレン様。城は危険です」

「どうしても父上と会って話がしたいのです」


 アレンはロイドの手を握って離さない。その頑固そうな瞳に、ロイドは負けたようだった。


「旅人さんたちは、どういたしましょうか? おそらく、今のテーラでは……」

「俺たちも一緒に行く! 俺、アレンの力になりたい!」


 三人は言ってしまった……と言う顔をしていたが、表情を明るくして深々とお辞儀をした王子を見て、考えを改めようと言えるものはいなかった。

 大変なことになっている、というテーラの国は変わらず眼下に広がっている。しかし先ほどまでは普通の国のように見えていたそれが不気味な色を帯びたと、ガクは感じていたのだった。

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