第20話 星屑の髪を持つ者

「それじゃあ、俺の種族について」


 頷く結衣菜たちにガクが再び口を開いた。


「まず、一番大事なことを話しておこうと思う」

「大事なこと?」

「俺、自分の種族について、ほとんど知らないんだ」

「どういうことなの?」


 代わりに結衣菜が尋ねると彼が説明するのは少し難しいんだけど……と右手で頭を押さえた。癖なのだろう。彼は何かを考えているとき、決まってこの仕草をする。


「ちょうど九年くらいまえまでかな。記憶がないんだ……俺がアシッドの村に来る前の記憶が」

「ん? ガクって、そんなにおじいちゃんだっけ?」


 キョトンとするチッタにそういうことじゃなくてな、と彼が少し表情を緩めた。


「誰かに記憶を消されているんだ。誰かは分からないし、とにかくその記憶もない。だから俺は、俺自身の親の顔も、どこで生まれて、本当にガクという名前なのかも、わからない。自分のことはほとんど知らないんだ」


 そんな……と声を漏らすティリスに、彼はでも、と続けた。


「記憶がなくてもわかることはあったよ。周りの人とは違うということ。他の人たちから疎まれているということ。村人の視線が、それを教えてくれた。子供たちだけは違ったけど。でも村人だけならまだしも俺を知らないはずの行商人ですらまるで憎んでいるような目で見るんだ。まぁなんとなく予想はついたけど。なぁティリス?」


 結衣菜は彼の話を聞きながらアシッドの村での彼を思い出していた。罵声を浴びせられたり、村長の孫娘を攫った犯人だと決めつけられたり。どこか不可解なその待遇に、結衣菜は疑問を抱いていたのだ。


「ごめんなさい。私……知っていたの」


目を伏せて口を開いたティリスに、チッタが首を傾げる。


「何を?」

「星屑より賜りし髪を持ち、精霊の力を操りし人々……」

「それは何?」

「詩よ。幼いころ、よく母さんが旋律に乗せて歌ってくれたの。星屑のように美しく輝く銀色の髪を持つ種族の伝説……。クワィアンチャーという種族の詩。おそらくそれがガクの……」


 彼の瞳はいつのまにかいつもの美しい琥珀色に戻っていた。


「……その詩には続きがあるの。創成より伝わりし神秘の血脈。精霊の加護を受けしその力は全てを破壊し、癒しの旋律を奏でる。木々は彼らに囁いている。風は彼らを呼んでいる。海は彼らを待っている。万物に宿りし精霊は、絶えず彼らを見守っている。生と死の両端を持った彼らはその魂によって力を定める。悪しきは滅び正しきは道を作る。どうか精霊の加護を……。ごめんなさい、ここまでしか覚えていないのだけれど」

「そうか、そんな詩が……」

「なあなあ、よくわかんないけど、どうしてそれでガクがいじめられなきゃいけないの?」


 チッタの疑問は結衣菜も知りたかったものだ。ティリスは目を伏せる。長いまつ毛が美しい瞳に影を落とした。


「……差別よ」

「サベツ?」

「特定の人たちを蔑んだりすること。チッタが言うとおり、いじめるって言うのに近いわね」

「何それ! そんなのひどいじゃん!  ガクは何にも悪いことしてないのに!」


 彼女は顔を背けた。しばらくの沈黙が続き、絞り出すように言葉を発す。


「……私は、騎士団に入る前、騎士になる人たちを養成する学校に、通っていたの。ディクライットの城内にあるその学校は武術を教えるところでもあったけど、同時にほかのことも教えていたわ。たとえば周辺諸国との関係。……ガクの種族であるクワィアンチャー族は、ディクライットから西北、リセーヌという川があるのだけれど、そこにその種族だけのシェーンルグドという王国を築いていたの。元々は今私たちが向かっているテーラの近くに暮らしていた種族だと聞いているわ。シェーンルグドは建国してからと言うもの、その強大な精霊の力で周辺諸国を侵攻していた。けれどある事件によって周りの国に滅ぼされてしまったの。そしてクワィアンチャー族の人は全て……」


 ここで彼女は一瞬口をつぐみ、ガクを見つめた。けれど彼は続けて、と先を促す。


「……全て、殺されてしまったの。女性も、子供も。かつて彼らが周辺の国々を支配するためにやってきたように。シェーンルグドは周りの国からとても憎まれていたわ。そしてその意識は国が滅びてから二十年以上もたった今でも続いている。騎士団では銀色の髪を持つ種族の人々は残酷で、とても恐ろしい、と教えられたわ。私の母はシェーン教という宗教の教徒だったから別だったけれど、学校以外の家庭でも、そう教えることは多かったみたい。だからきっと、アシッドの人たちはあなたに、あんな……」

「あれはいいんだ。これでしょうがないことだって、ちゃんとわかった。俺の種族の人たちがそれだけの業を背負うことをしたんだ。……それだけだよ。俺が個人的に嫌われているより、ずっといいや」


 そう言って彼は笑った。笑う状況なんかじゃないはずだ。結衣菜は服の裾を強く掴んだ。


「ティリスだって、怖かったら、彼らと同じように接してくれたっていい。チッタも、ユイナも……」


 ガクがその先を続けようとしたとき、ティリスが叫んだ。


「私は! 私たちは! そんな風にあなたを見たことは……ないわ。勘違いだけはしないでほしいの。確かにあなたに出会った時はとても驚いたわ。滅びたはずの種族だもの。正直に言うと、恐怖もあった。一緒に旅をするとなって、不安も。でも、あなたは恐ろしい人でも何でもない、むしろとっても優しい人だってことは、ここにいる三人はきっと……いえ、必ずわかっているはずだわ。だから、だから……」


 その言葉の続きは分かっていた。今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうな彼女の肩に手をかけガクが謝る。


「ごめん、もう言わない」


 不思議そうに二人を見つめるチッタに、変なことは言わないで、と結衣菜は願う。結衣菜もティリスと同じ気持ちなのだ。不意にガクが泉のほうを向いた。森の中をかける風が彼の星屑色の髪を揺らした。


「……俺が自分の種族について知っていることはティリスよりも少ない。たぶん、赤の他人の誰かよりも。ただ、精霊はいるし、力を貸してくれるっていうのは分かる。……この泉をどうにかしなくちゃいけないことも。だから、この場所に来たんだ」

「どうにかするって、どうやって?」

「大丈夫、この場所から少し離れていて」


 彼の指示通り湖の跡地から少し離れた結衣菜たちはただ彼のすることを見守っていた。湖の真ん中に盛られた土に上った彼はちょうどその真ん中あたりでそこに膝をついた。ガクは地面の一部を手で覆うようにするとティリスの傷を治した時の様に、何かを呟いているようだった。

 光が彼の手の先から漏れた。様々な色が入り乱れた美しい光。

 波紋の様に広がったそれを受けた木々が一斉に、その枝に葉を芽吹かせた。


「信じられない。死んでいた木を生き返らせるなんて……」


 ティリスが感嘆の声を紡ぐその間にも彼らの足元には草や花がその姿をのぞかせていた。まるで時間を凝縮したようにすべてのものが信じられない速さで成長していく。

 湖にも水が湧き出し、あっという間に窪地はその水でいっぱいになってしまった。先ほど彼が光を出した場所には、巨大な木が成長を続けていた。まるで樹齢何千年とでも言いそうなほど大きな木。ガクはその木の広がりに合わせてゆっくりと土の上を歩いていた。見上げてもてっぺんがわからないほどに成長したその木は風にそよいでいた。


「見て、道よ」


 湖には、巨大な樹の場所に続く透明な橋のようなものがかかっていた。日の光に当たって煌めくそれはとても美しい。成長を止めた木々がざわめくその森は心地よい空気を出していた。

 橋に気づいて湖を渡る彼の足元には魚が泳ぎ、彼の耳元では小鳥が鳴く。草むらからは数時間前に倒れていたシカやリスたちが顔を出し、蝶が歓喜を表すかのように舞っていた。

 彼の銀色の髪が、星屑の色に煌いた。

 あまりに幻想的すぎるその姿に、結衣菜たちは見惚れていた。

 彼の足の先が、湖を渡ってこちら側の岸にたどり着き、柔らかな草が喜びを見せた。


「ここは精霊たちが集まる、精霊の森。精霊たちは、戻ったよ……もうだいじょ……」


 続けようとした彼が気を失い、それをチッタが受け止める。チッタはよいしょと彼を担いだ。


「ここを出ましょう。この森はもうきっと大丈夫よ」


 そうして彼らは、精霊の泉を後にしたのだった。


***



 不思議と、道中に魔物はいなかった。

 チッタとティリスの二人がかりでガクを運んだ彼らだったが、彼を森の外に待たせていたスイフトに乗せると、ヴィティアが心配そうに彼の頬にすり寄った。ガクがヴィティアを抱き寄せ、頭が痛いや、と言って笑った。「よくなるまで休んだほうがいい」と気遣うティリスに、彼は素直に頷いた。

 精霊の森は彼らが踏み入れた時とは反対に心なしかほかの森よりも生き生きしているように見えた。巨大な守りの樹は遠く離れたここからでもわかるほど大きくて、立派だった。

 この森は何のためにあるのだろう。ガクに聞きたいことはまだたくさんあったけれど、目覚めてからでいいと思った。時間は山ほどある。だってあたしたちは仲間だもの。そう思って結衣菜は歩みを続けていく。

 スイフトに乗って目を閉じる前の彼が小さく呟く。


「ありがとう」


 きっとここまで彼を運んだことではないだろう。何に対しての感謝なのか、今の結衣菜はなんとなく、わかる気がした。

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