第19話 緋色に揺れる瞳
少し歩くと森の奥の方には開けた場所があるように見えてくる。人間姿で歩いていたチッタが何かにつまずいて転ぶ。彼は自分がつまずいたものを見て再び叫び声をあげた。
「うわ! なんだよお!」
「チッタ、どうしたの」
チッタの方を見た結衣菜も叫び声を上げた。大量の動物の死骸。中にはまだ息のあるものもあるようだが何十、何百だろうか、ウサギやリス、スペディなどが無残にも倒れていた。
「酷い。……どうして、こんな」
胸を痛めたように目を伏せるティリスにチッタがさすがに変だよね、と返す。
「スイフトは置いてきて正解だったみたいだわ。大丈夫かしら」
と、ティリスが言ったその時、ガクがおかしいよ……と呟いたのが聞こえた。
「そうだね、こんなの……」
「違う、違うんだ。この森は本当はこんなんじゃ……」
私の言葉を遮ったガクは頭を抑えながらどこかフラつきながら歩き出し、異様な緊迫感を醸し出していた。
「ガク、大丈夫? 具合がよくないみたいだけれど……」
様子がおかしい彼を心配しながらも結衣菜たちは仕方なくついていくことにしたのだった。
***
ふらつきながら先に進むガクを気遣いながら、一行は死にゆく森の中を歩き続けていた。
「ガク、大丈夫かな……」
そうティリスに話しかけると彼女は少し瞳を揺らした。
「分からないわ。ただ、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
その時、チッタが叫ぶ声が聞こえた。
「向こう、向こうはダメだよ行っちゃダメ! ガク!」
ガクの手を引き一生懸命に道を引き返そうと言うが、上手くいかない。
不穏な雰囲気が辺りに立ち込め、尚も止めようとするチッタに、ガクが一言離してくれと返し、その強情そうな瞳にチッタは諦めたのか、掴んだ腕を離す。
「ガク、お願い。説明して。急について来いなんて……」
彼はティリスの言葉にもあとでちゃんと話す、と言ったきり何も返さずに歩き続けていた。
先に何が待ち受けるのかわからない不安が一行の歩みを早める、とその時急に開けた場所に出た。
まるで木々が生えることを避けているかのように、そこは土と岩でできた広場のようになっており、その全体はクレーターのように窪んでいた。
しかし真ん中には周りの木々が生えている場所と同じぐらいの高さまで土が盛られており、まるで元々そこに何かがあったかのようにその姿を現していた。
「なんだろう……」
「湖の跡地ね。枯れてしまっているけれど……」
「あ、待って!」
ゆっくりと湖の跡の窪地に降りていくガクとチッタを慌てて追いかけて、結衣菜とティリスもそこに降りてゆく。
窪地の中は地面が斜めになっているため、とても歩きにくかった。ガクは土の周りを一周するつもりなのかまたゆっくりと進んでいく。ちょうど半周ほど回ったところだろうか、そこには岩のようなものが転がっていた。興味深そうに目を丸くするチッタが突こうと手を伸ばした、その時。
──それは目を開けた。
文字通り、岩に張り付く八つの目。そのおぞましさに結衣菜は思わず一歩後退り、ティリスが剣を引き抜いて前に出た。
「こんな魔物、見たことないわ……」
剣を構える彼女の声が、心なしか震えているように聞こえた。彼女の横にはいつの間にかオオカミ姿に変身したチッタが毛を逆立たせている。
二人ともこの魔物がいつどんな攻撃を仕掛けてくるのかということに集中しており、結衣菜も赤い魔法石が光るロッドを手に構えた。その時、後方で何かが地面に落ちる音が聞こえた。
「ガク!」
チッタが叫ぶ。どうやらガクが突然膝をついたらしく、彼は苦しそうに頭を抱えていた。駆け寄ろうとするティリスにガクは手で制止した。
「俺は大丈夫。それより、来るぞ!」
対峙する魔物の目がさらに見開かれた瞬間、予想外の場所からその攻撃は始まった。
地面から突然深緑色の太いツルのようなものが生え、襲い掛かってきたのだ。
突然の一撃でチッタは弾き飛ばされ、なんとか攻撃を逃れたティリスも、体勢を崩したようだった。
ツルは炎魔法があまり得意じゃないらしく、結衣菜をめがけてくるということはなかったが、いくら魔法がツルを焼き、ティリスの剣が切り裂いても傷付いた場所からまた同じものが生えてくる。それは鞭のようにしなり、依然として結衣菜たちを叩き潰そうとしていた。
ガクは相当頭痛が酷いのかツルの攻撃を避けるので精一杯のようだったが、避けきれなかった一撃が彼の腹に直撃した。嗚咽の声とともに彼の体が地面に叩きつけられる。
気を取られたティリスがツルに足を絡められる。逆さまに吊り下げられた彼女の体が宙に浮き、もう一本のツルが彼女の右腕に巻きつき、剣を奪い取ろうと締め付ける。キリキリと締め付けるそれにティリスは苦しそうに顔を歪めた。右手からは力が抜け、ついに剣は地面に落ちてしまった。武器を失った彼女の姿はぐったりとしていて、息も荒くなっている。
結衣菜は必死に攻撃をしかけるが自分に迫ってくるそれを追い払うのに精一杯で、とても彼女を助けられるほどの余裕がない。
次の瞬間、今度はチッタが尻尾を掴まれたらしく、「尻尾はやだー!」という声とともに吊り下げられる。ティリスとは違い彼はツルに噛みつき、とても暴れている。
方法を逡巡する結衣菜が辺りを伺うと、ガクが槍を片手に先程の八つ目の岩に近づいているのが見えた。ティリスは意識を失い、ガクが優先だと判断したのか、彼女を地面に放り出した木のツルがガクめがけて伸びた。その瞬間、ガクが岩の目に向かって真っ直ぐに槍を突き刺した。
耳をつんざくような悲鳴。ガラスが割れたような音と言った方が正しいそれは確かに魔物の悲鳴であった。一本のツルが倒れ、一瞬全てのツルの動きが止まる。隙をついてツルから逃げ出したチッタが勢いよく岩に突進し、二つの目が潰れる。
残りのツルがガクとチッタを止めようと一斉にそちらに向かったその時、見覚えのある剣先がそれを阻んだ。
透き通るような蒼が空に舞う。その剣の先にいたティリスは結衣菜にウィンクを飛ばした。気を失ったのはどうやら演技だったらしい。ガクとチッタは残りの目を潰そうとするがその目は岩で閉ざされ、簡単にはいかない。
「エーフビィ・ヴァッサー!」
結衣菜の手のひらからほとばしる水が岩にじわじわと染み込んでいき、やがてそれがひび割れに変わってゆく。ティリスの掛け声でガクとチッタが全ての目を潰した。再び聞き難い悲鳴をあげたそれは倒れ、地面に落ちた八つのツルも黒い煙となり跡形もなく消えてしまった。
「終わった……」
「大丈夫か?」
「俺は大丈夫。それより、ティリスが……」
ティリスの腕はどうやらツルと交戦した時に切れてしまったらしく、鮮血が腕を伝っていた。
「大丈夫、これくらいなら止血をすれば……」
「傷、見せて」
ガクの意外な声掛けに戸惑いながらも彼女が右腕を差し出すと彼は傷口に手をかざし、何か小さな声でつぶやいた。彼の周りが暖かい色の光に包まれ、重力に逆らうように彼の長い髪や衣服がはためいた。
どこか懐かしい色の光。それが収まると、ティリスの傷が跡形もなく消えていた。
「あ、ありがとう……」
困惑の表情を浮かべながらもお礼を言うティリスに少しそっけなくどういたしまして、と返した彼の瞳はふたたび、いつものそれとは違う緋色に見えたのだった。
「ね、ねぇ、何したの! 魔法じゃないよな! な?」
興味津々に声をかけるチッタを見て、先ほどまで傷があった場所をさすりながらティリスも口を開く。彼女の目は何かを決心したかのように真っ直ぐ彼の姿を見据えていた。
「私もそろそろ説明が欲しいわ、ガク。星屑の髪を持つ種族である、あなたの」
「ああ、わかった」
答えた彼の緋色に染まった瞳が、また少し揺れていた。
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