第18話 死の森
その後のニクセリーヌの滞在期間は、とても短かった。アートス王の権力は彼の傲慢な態度により弱まっていたらしく、レミアの女王殺しの罪が冤罪だとわかった途端、ほかの臣下たちは手のひらを返すように彼女の側についた。
父王の悪事を見抜き自らの立場を投げ打ってまで真実を証明しようとしたジェフロワは、本来ならば父の罪を共に償わなければならないのだが、国家のために肉親に立ち向かったニクセリーヌ史上最も勇敢な男として再び王族に迎えられた。
結衣菜たち四人は晴れてニクセリーヌの女王となることが決まったレミアの計らいで、二晩の寝所と旅荷物の補給をしてもらい、再びテーラに向かう旅へと出発した。
「それにしても、父があの日……私を殺そうと楽しそうに話していたあの日……。父は誰と話していたのだろうか」
「彼の臣下には一人もそのような話を口頭でしたという記憶はないらしいものね……」
「なんにせよ、不安が残る。旅の方達、迷惑をかけて悪かった。私たちの国は私たちでどうにかする。君達も十分に注意して旅を続けてくれ。あと……ティリス。あの時は無理強いをして悪かった。君の主君への忠誠心は本物だ。胸を張っていい」
旅に出る前にジェフロワとレミアがしていた会話だ。最後の言葉は協力に頑なだったティリスへの気遣い、しかしその前の会話は一体なんなのだろうか。不吉な予感が、頭をよぎる。
ねぇ、と結衣菜は共に歩く三人に声をかけた。
「ジェフがたまたま王様の話を聞いちゃった夜ってさ、王様は誰と喋ってたんだろ」
「彼の臣下じゃないのか?」
そうじゃないみたいなの、と告げる結衣菜にティリスも眉をひそめた。
「城関係の者ではないということ?」
「うーん、わかんないや。でも少し気になってさ」
「そう細かいこと気にすんなよユイナ! みんな助かったんだし幸せだろ!」
そう楽天的な意見を述べる彼に結衣菜たち三人は顔を見合わた。
少し不穏な空気に怯えながらも、彼らは再び歩を進め始めたのだった。
***
ニクセリーヌを通過したことにより、ついにペペ山脈の迂回を達成した結衣菜たちであったが、陸路の厳しい東のペペ砂漠を避けるため、再び山脈の周りを南下していた。
ここまでの道のりはディクライットから出発して約十週間。かなりの時間が経ってしまったが、現地での食料調達や野宿にも慣れてきた頃である。ガクが料理上手というのはあまり良い食料が得られない旅道ではとても励みになっていた。
夜皆が寝てしまうと魔物に襲われる危険があるため、見張りを二人一組でつけることにしていたが、ティリスが毎夜施す魔除けの魔法陣によってその必要はあまりないようだった。
夜は歩みを進めることができないため、明け方早くに野宿場所から出発して今はお昼時。ちょうどお腹がすき始める頃である。
旅慣れていない結衣菜を気遣ってか三人は彼女をスイフトに乗せるが、結衣菜はスイフトの疲労が気になるため、ここ何日かはなるべく歩くようにしているのだった。
山脈の周りは水脈が多く、緑がとても豊かだ。優しく吹く風が揺らす草が擦れて心地いい音を奏で、困難な旅も幾分か素敵なものに思える。
「おいなんだあれ?」
チッタが指差した方向を見ると、そこには今までの森とは明らかに違う色をした木々が並んでいた。
「ひどい。木が全て枯れているわ。でも何故あの場所だけ……」
「木も病気になるのかなー」
チッタの疑問にティリスが説明している間、ガクはその森をじっと見つめていた。じとっとした雰囲気を纏った一帯はどう見ても何か良くないことが起きたのだと予感させる。
「なぁ、あそこに行ってみてもいいか」
『え?』
同時に疑問符を浮かべたティリスと結衣菜を見てチッタもうんうんと首を縦に振る。野生の本能か否か、彼は嫌悪感を露わにしていた。
「なんで? あそこなんかやな感じするぜー?」
「行かなきゃいけないような気がするんだ。頼む、付き合ってくれないか?」
チッタたちが納得するような理由を言わずとも真剣な表情を見せる彼に、皆は首を縦に振らないわけにはいかなかった。彼の美しい琥珀色の瞳が、少しだけ陰っているように見えた。
数十分歩くと、先ほどの枯れた森の端についた。近くで見ると樹々の状態はさらに悪いことがよくわかる。
チッタが構わず森の中に入ろうとすると、スイフトが嘶きその足を止めた。彼はどうやら森の中に入りたくないらしく、ガクの頭の上で寝ていたヴィティアも同様に少し唸り声をあげながら目を覚ました。
「スイフト達にはここで待っていてもらったほうがよさそうね。何かを感じているみたいだわ」
「ああ。……ヴィティア、スイフトのことを守っていてくれるか?」
話しかけたガクの言葉を理解してか否かヴィティアは「みゃ!」と一声鳴き、スイフトの頭の上に飛び移る。
ティリスがスイフトの手綱を近くにあったまだ生きている木にしっかりとくくりつけると、結衣菜たちは再び枯れた森の中へ足を踏み入れる、
森の中は不吉な雰囲気が漂っていた。彼ら四人が歩く足音だけが不気味に森の中に響く。
「なにかいる……」
彼が煙に包まれたかと思うと、金色の狼の姿に変身した。その〈なにか〉を警戒しているらしい。
「気をつけて。チッタが言った通り、森に入った時からずっと、何かにつけられてる……」
「何かって、何?」
ティリスが口を開こうとした刹那、彼女のすぐ隣を〈何か〉がとても素早く通り過ぎた。一瞬しかみえなかったせいか、真っ黒で影のようなものだったが、早すぎて形を捉えることはできなかった。ティリスの長い髪がその衝撃で宙に舞い、蒼から紫に変わった髪先の色がよく見えた。
今度は〈それ〉がガクの隣を通り過ぎると、その正体に気づいたらしいティリスが叫んだ。
「まずいわ、シュラッグシャッテンよ!」
「なにそれ!」
「影だ! 走るぞ!」
ガクの叫びでチッタが勢いよく駆け出し、私たちもそれを追うように走り出した。文字通り影と呼ばれたそれは結衣菜たちをまだ追っているらしい。
さわさわと言う木の葉を揺らす音がしだいにざわざわへと変化し、大きくなっていく。少しでも速度を落としたら迫り来るそれにきっと取り込まれてしまうだろう。
「どうしよう! にげられないよ!」
結衣菜の息はかなり上がっていた。まだなんとか走り続けてはいるが減速し始めている。追いつかれるのも時間の問題だった。
「お前たちは前を向いて走れ! ここは俺がなんとかする!」
ティリスは反対しようとしたが察したガクが押し通す。
「前だけ見てろよ!」
ガクの声を合図として、後方からとてつもなく明るい光が発せられた。見ていなくてもわかるそのあまりの眩しさに皆一斉に立ち止まり、振り返った。収まった光の中にいたのはガクただ一人で、追ってきていたはずのシュラッグシャッテンは忽然と消えていた。
「何したの! すげー! 魔法? かっこいー!」
はしゃいで喜ぶチッタにガクがそんな感じだよと言ってごまかしたが、いつもは美しい彼の瞳が一瞬、緋色に見えたように思って、結衣菜は首を傾げる。
「先を急ごう。どうやらシュラッグシャッテン以外にも魔物が潜んでいるらしい」
遠くから聞こえた獣の唸り声が、不安を掻き立てるように枯れた森に吸い込まれていった。
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