第16話 ジェシーの正体
未だティリスはジェシーを信用していないようだった。
一体どういう魔法なのか、ニクセリーヌの海の中は人間でも息が吸えるようになっており、結衣菜が考えたような心配は起こりえなかった。
美しい海の中に広がる街は幻想的な光景が広がっている。色とりどりの魚の群れが目の前を通り過ぎ、わぁっとはしゃぐ結衣菜とチッタにジェシーが微笑む。
まるでおとぎ話の中の世界だ。薄暗い海の中には太陽の光とは別に光るサンゴや均等に並ぶ光の玉が美しく、それを道標として人々も生活していた。
茶色いワカメや珊瑚の並木を抜けていると、何かの旋律が聞こえてきた。
懐かしくも美しい、そしてどこか哀しげな感情を含んだ旋律。彼らは立ち止まって歌に聞き入る。
「素敵な歌声ね……」
怪訝な顔をしていたティリスも水の中の光景には心を奪われたのか、穏やかな表情を見せていた。
「彼女の歌声だ」
この美しい歌声と人助けの件は何の関係があるのだろうか。問う間も無くジェシーは奥へと進んでいく。
今まで通ってきた街の中にはジェシー以外の人間も数多く生活していたが、この珊瑚の森にはニクセリーヌ族の人はおろか魚一匹も見当たらなかった。結衣菜が疑問を抱いた瞬間、また先ほどの歌声が聞こえた。
青藍の真珠牢と言われるだけある。青く輝く不思議な真珠で造られた大きな檻に、金色に輝く真珠の手枷につながれた腕。
その歌声の主は──。
海の色より明るく輝くエメラルドグリーンの髪に珊瑚色の瞳。その女性は、悲しそうにその音を紡いでいたのだった。
「綺麗な人……」
結衣菜の口から漏れた声に気づいたジェシーが口元に人差し指を当て静かにするよう促す。
「……誰なの?」
顔は遠くてよく見えないが、眉をひそめたようなその声色に五人は顔を見合わす。
「……ジェフロワでしょう? また来たの?」
「ジェフロワ?」
彼女の言葉をガクが復唱し、バツの悪い表情を浮かべた彼は謝りながら青藍の牢の前に進み出た。
「すまない……」
「ニクセリーヌの第一王子であるジェフロワ殿下がこんな罪人の牢に来るのはまずいんじゃないかしら?」
「レミア……私はただ、君のことを助けたくて……!」
「何も知らないくせにそんなこと言わないで頂戴……!」
彼の言葉を遮るような彼女の言葉は落ち着いているが怒りがこもっていた。
「……私は……」
「酷いことを言ってごめんなさい……でも、あなたにできることはないわ。……余計なことはしないで」
彼は目を伏せて俯き、また出直すよと言ってこちらを向く。
「状況はなんとなくわかった。俺としてはまだ君に協力して彼女を助けたい。だけどこのままじゃ……本当のことを全部、ちゃんと話してくれないか?」
一瞬戸惑いを見せたジェフロワは、もう一度姿勢を正して口を開いた。それは決意をした者の表情だった。
「分かった。ちゃんと説明する」
***
レミアのいる青藍の真珠牢から少し離れた場所。
「私の名はジェフロワ、ここニクセリーヌ王国の第一王子だ」
「お、王子?」
「やっぱり……普通の話ではなかったのですね」
「そういうことだ。嘘をついて悪かった」
「でも、どうして王子様だってことを隠さなきゃいけなかったの?」
「……私のやろうとしていることが今の王の立場を危うくすることだからだ」
「あの牢に囚われているレミアさんは、王族なのですね」
ティリスの言葉は突拍子のない憶測に聞こえたが、ジェフロワは肯定の意を示した。
「彼女は私の従姉弟に当たるんだ」
「でも、あの女の人がお姫様ならなんであんなとこに捕まってるのー?」
「本来この国は女王制だわ。現在この国の王は男王……ようするに正式な王位継承者ではないのよ。その息子であるジェフロワ王子もまた……。おそらくあの牢に囚われている彼女こそが……」
ティリスの言葉にガクがなるほど、と項垂れ、ジェフが頷いた。
「レミアが何か罪を犯してあの真珠牢に囚われているならいいんだ。彼女は先の女王、彼女の母を殺した罪であそこに囚われている。親殺しはニクセリーヌでは重罪、しかし彼女はやっていない。私は幼い頃彼女の母が私の父、現王アートスの臣下によって毒殺されるところを見ているんだ」
「じゃあ、今の王様が悪いってことー?」
ジェフの瞳は悲しみに濡れていたが、彼はきちんと頷いた。彼の尾びれが寄る辺なく海底の砂を撫でる。
「で、でも、なんで自分のお父さんが悪いとわかっているのにお父さんをかばわないでレミアさんを助けようとしているの? 家族なんでしょ?」
「私の父、だからこそだよ。自分の父が犯した罪の責任は自分で果たす。……それに、もう父ではないかもしれない」
「……と言うと?」
「一週間ほど前のことだ。父は毎日夜にアンドレシア城の庭を散歩するのだが。俺はその時たまたまその場所を通りがかったんだ。父は誰かと話していた。来週、ついにジェフロワを……私を、殺すと。意気揚々と、楽しそうにね。あんなに嬉しそうな父の声は初めて聞いたよ」
重力のない水の中に彼の涙が溢れて、水に溶け込んで消えた。
「ごめんなさい。あたし……」
いいんだ、とジェフロワはつぶやいて何かを振り切るように首を振る。
「とにかく、父は変わってしまった。今の父は私が知っているような父ではない。……死霊でも取り憑いたとでも考えれば少しは気が楽だが、そういう訳でもないだろう。国王が相手となればいくら俺が王子でも国民の協力は見込めない。だから君たち旅人に、お願いしたいんだ」
合点がいった様子のガクを見て、言いにくいことを絞り出すように再びティリスが口を開いた。
「……申し上げにくいことですが。そういう事情であれば尚更、私はあなたに協力することができません。私は、隣国ディクライットの騎士団員。王に仕える身なのです」
そうなのか……とジェフロワが残念そうに俯くと突然、チッタが声を荒げた。
「おかしいよ! なんで目の前で困ってるのに助けちゃいけないんだよ!」
胸倉を掴まれたティリスが目を背ける。チッタの深いアメジスト色の瞳は彼女を真っ直ぐ睨みつけていた。
「ちょっとチッタ! やめなよ!」
焦って割り込んだ結衣菜を見て手を離したチッタは、ティリスに背を向ける。
「チッタ、私だって協力したいわ。でも、陛下は私の主君であり、恩人でもあるの。騎士団員という立場上、他国への無作為な介入は国際問題になりかねない。騎士団全体の陛下への忠誠が疑われるようなことは出来るだけ、避けたいのよ……」
チッタは答えない。相当腹が立っているようで、いじけた子供のように完全に座り込んでしまっている。
「……ま、まぁ、二人も、ここで喧嘩をしていても仕方がないよ。俺はまだジェシー……あっごめんジェフロワだったね。とにかく彼を助けたい。理由がなんであれ、濡れ衣で囚われている人を黙って見過ごすことはできないよ」
ガクの自分にとっては他人ごとではないと言わんばかりの言葉にティリスが困ったように大きなため息をつき、そして言った。
「……そう、幸運なことを思い出したわ。私たちはこの国ではよそ者という認識はされているけれど、まだディクライットの人間だということまで知られていないわね」
ティリスはマントに付けていた騎士団の紋章を外し、道具袋にしまうとガクにウインクをした。疑問符を浮かべ顔を見合わせた三人を見て、ガクがはにかんだ。
「ティリスも、協力してくれるってさ」
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