第14話 深影に潜む者
青空の下、気持ちのいい風が吹く草原を、四人と一頭、そして一匹が歩いていく。彼らの距離は付かず離れず、時折一人が一匹となって走り出す様は、彼らが出発してから変わらない光景だ。一行はアシッドの村を出発して東の砂漠にある遺跡を目指す前にまず、東のペペ山脈を越えた先にあるテーラを目指していた。しかし、ディクライット領とテーラを隔てるぺぺ山脈を迂回するには北の水中都市、ニクセリーヌという場所を通らなければならないという。
「で、そのニクセリーヌってとこに行くにはどっちにいけばいいのー?」
チッタがぴょんと跳ねた前髪を揺らし、ティリスが地図を見ながら現在位置に指を指す。
「ニクセリーヌはここから北に直進……なのだけれど途中に深影の森があるから、そこを通らなければならないわね」
「深影の森って、恐ろしい魔物が出るっていう、あの……?」
ガクの声が少しくぐもる。ティリスは地図を折りたたむと腰につけた道具入れに仕舞い込む。
「ええ、私もどんな魔物なのかは知らないのだけれど。まあこの四人なら特に問題はないでしょう。騎士団では深影の森の魔物を討伐するような案件は聞いていないし……」
あまり心配してなさそうな彼女にうーん、と呻いたガクが心配そうに眉を寄せた。
「村のやつらが怖がって誰も通らないような場所なんだけど、大丈夫かなあ」
「どんな魔物なんだろ……」
未だ不安そうなガクの心配が結衣菜に伝搬する。お構いなしのチッタはいつも通りだ。
「どんなのが出てきても倒せばいーだろ! ユイナも戦えるしな!」
にかっと笑う彼に結衣菜とガクは顔を見合わせる。尚もぬぐえない不安の中、彼らは深影の森へと足を踏み入れたのだった。
***
陽を遮る深い森の木々。その葉が風で揺れるザワザワという音は何かがいそうな雰囲気を醸し出している。深影の森という名がぴったりのそこは松明を付けていても薄暗い。松明をつけるほどではないが、転ばないように慎重に進んでいく。
「足元、気を付けてね」
おぼつかない足取りで進んでいる結衣菜をガクが声をかけたその時、輪っかのように飛び出した根が彼女の左足を捕らえた。悲鳴を上げ転びかけた彼女をチッタが支える。
「気をつけろよー!」
「あ、ありがとうチッタ……」
そういって結衣菜はまたよろけながら歩き出す。今のところ特段魔物が出ると言うわけではなかったが、複雑に絡み合う木の根を避けながら懸命に歩を進めるため、荷物を運ぶスイフトがとても歩きにくいようで、中々速度は上がらなかった。しばらく歩いた時、ティリスが不思議そうに足を止めた。木の葉を踏み締める音が響く。
「変ね。鳥の声がしなくなったわ」
「ほんとだー! あと何か臭い!」
「気のせいだと思いたいけど……例の魔物じゃ……」
二人の反応に訝しげに目を細めるティリスの後ろで、何か大きくて黒いものが蠢いた。
「ティリス! 後ろ!」
振り返ったティリスは凍りついた。木の葉を踏み締める音は聞こえない。それが木を伝って移動していたからだ。姿を現したのは巨大な蜘蛛だった。それは地面に降りるとじりじりとティリスに近づいてくる。
「ティリス! 剣! 何やってんだ!」
チッタが声をかけてようやくハッとした彼女が、剣を引き抜く。いつもとは様子が違うティリスは顔面蒼白していた。
「あいつ、蜘蛛ダメなんだよ!」
チッタが彼女の腕を引き、間一髪のところで蜘蛛の一撃を免れ、後ろにあった大木がもろく崩れた。
「あれは何なの?」
「スピィンネと言う魔物だ! でもあいつらは群れで動く魔物のはず……」
「ということは……」
肩に冷たく、ネバネバとした感触。結衣菜はこの世界に来て最も気持ちの悪い悪寒が身体中を駆け巡ったのを感じた。ねっとりと肩に張り付いたそれは上から落ちてきているようで──。
「上だ!」
ティリスの悲鳴が聞こえた。一体、二体……十……数えきれないほどの数のスピィンネが糸を伝って降りてきている。ティリスは半ばパニックに陥っていた。
「あんな数、とても敵わないわ」
「泣き言言うなよティリス!」
白い煙が上がったかと思うとチッタは狼姿に変身し、ガクは村を出るときに持ってきた槍で応戦しているが、その長さのためにスピィンネ達が吐く糸が絡まり、思うように動けなくなっている。
この前のストーレンの時よりは戦えるが、スピィンネの固い甲羅には全く効き目がなく、じりじりと追い詰められた四人の背中がくっつく。
スイフトが怯えたように鳴き、ヴィティアが唸りながら火を吹くと、スピィンネたちの一部が僅かに後退した。
「……エーフビィ・メラフ!」
結衣菜はその一瞬を見逃さなかった。彼らのその動きは弱点だ。手から溢れる炎が熱を持って放出された。予想通り蜘蛛たちは悲鳴を上げながら後退していく。
「エーフビィ・メラフ!」
さらに大きな炎が燃え盛る。運よく吹いた風により炎の竜巻のようなものが巻き起こり、怯えたスピィンネ達は後ろを向いて逃げていった。
結衣菜は胸を撫で下ろす。ティリスが何かを言おうとする前に、チッタの叫び声が飛んだ。
「安心するのはまだ早いよ! もっとやばいことになった!」
炎に弱いのは蜘蛛だけではなかった。森に生える木々に燃え移った炎は、みるみるうちにその仲間を増やしていく。焦げ臭さと耐えられない熱さが四人を包み込む。
「ユイナ! 水の魔法!」
「使えない! 呪文を知らないもの!」
「エーフビィ・ヴァッサーよユイナ!」
ティリスも呪文を唱え発動させるが、彼女の生み出す少量の水では足りず、炎の勢いは強まるばかりだ。
「エーフビィ・ヴァッサー!」
初めて使う魔法だ。微量の水が出たが、それでは燃え盛る炎を止めることはできない。
その時、紅蓮の炎に包まれた森の中に人影が動いた。結衣菜はその悠然と動く姿に目を奪われていたが、不意に我に帰る。あんなところにいたら助からない。燃え盛る炎の中、その人影はまるで安全な場所へ動物たちを誘導しているように見えた。そうだ、みんなはと辺りを見回すと、ガクの姿が見当たらない。煙に隠れてしまったのだろうか。
「……ガク?」
先ほどの場所に結衣菜が再び目線を戻すと先ほどのあの人影は消えていた。あれは一体なんなのだろうか。魔物の一種だろうか、と考えていた刹那、彼女は頭に冷たいものを感じて上を見上げる。
「雨だ! 助かったぞ!」
木々の葉の隙間からポツポツと雫が滴り落ちる。初めは少量だったそれはやがて滝のような雨になり、燃え広がっていた炎は侵食を止め、そして徐々に鎮火していった。ティリスが安堵の声を漏らす。
「スピィンネが追いかけて来ないうちに早く森を抜けよう。出口はもうすぐだ」
降り注ぐ雨に濡れながら笑った彼の服の端が少し焦げているのが見えた。きっと火に引っ掛けたのだろう。他の二人は彼がいなかったことには気づいていないらしく、結衣菜は気のせいだと思うことにしたのだった。
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