第4話 蒼髪の女騎士
それがチラチラと舞い始めたのは、結衣菜達が歩き始めて二刻ほど経った後のことだった。白いかけらが手に当たり、冷たさと僅かな水が残る。
「雪?」
「ええ、雪よ。ジェダンを抜けたわね。ディクライットはだいぶ積もってるはずだわ」
「そうなの……」
チッタたちの家があったジェダンは、全く雪なんて降っていなかった。黄色の草原もいつのまにか無くなり、見渡す限り白一色だ。
彼らが歩いている道はよく人が通るのかところどころ土が見えているが、それも降り続ける雪で薄らと白く染まっている。
「どうしたユイナ、雪嫌いなのー?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど、突然降り出したから……」
エリルはうーん、と少し唸る。
「ディクライットとジェダンの国境線は魔法できっちり引かれているの。旅人や行商人がわかりやすいようにね」
「どうしてそんなこと……」
「……ジェダンは危ない国だから」
そう呟いたエリルの瞳は何処か遠い所を見ているような気がして、結衣菜は俯いた。
「エリルさん……」
結衣菜は彼らの心情を思う。住む場所を失い、他国に逃げている途中だというのに別の世界から来たなど信じられないようなことを言う自分の面倒も見てくれている。その迷惑は小さなものではないだろう。
彼らをせめて元気付けることはできないだろうか。果たして自分にはそんなことができるのだろうか……。
思案に耽っていた彼女を不意に現実に引き戻す声が上がった。
「ユイナ、危ない!」
勢い良くチッタ手を引っ張られ、半ば倒れるようになった結衣菜の肩にギリギリぶつからないところを、何か黒く大きい生き物が突進するかのように越えて行った。
「エグラバーだ!ユイナは下がってろ!」
チッタが叫び、黄金の毛並みを持つ狼の姿に変化したかと思うと、エグラバーと呼ばれた大きな黒いクマのような姿をした生き物に対峙する。白く小さな狼に変身したエリルもチッタの隣に並んだ。
エグラバーが大きな咆哮を上げた。そのままチッタに向かって突進して行くが、彼は向かってきたエグラバーの横にするりと入り込むとその腹の部分に噛み付いた。恐らく急所だろう。
けたたましい叫び声を上げながらそれは彼を振りほどこうと体を大きく揺らし、続けて白い狼が飛びかかる。一度腕に噛み付いた彼女だったが、すぐに振りほどかれた。
エリルの悲鳴が上がると、一瞬動揺したチッタの好きをにエグラバーは見逃さなかった。それは勢い良く立ち上がると彼の体を勢い良く地面に打ちつける。
「チッタ!」
周りの狼達を蹴散らしたエグラバーは、あろうことか、結衣菜めがけて勢いよく駆け出した。
「逃げろユイナ!」
動けない。……腰が抜けてしまっている。足にも力が入らないのだ。
もうだめだ……!
半ば諦めかけたその時、突然の馬の嘶きとともに、結衣菜の視界は大きな黒い影に遮られた。
馬のような生き物にまたがったその人が何かを振り上げると同時にけたたましい獣の鳴き声が響き渡る。
今まで猛攻を払っていた大きな熊の姿は断末魔ともお前らその叫び声がおさまると共に黒い霧のように変化しそして、消えた。
「あなた達、大丈夫?」
凛とした通る声。声の主は薄い青色の毛並み――先ほど結衣菜の視界を遮った馬のような生き物からゆっくりと降り立った。
まっすぐ結衣菜に手を差し伸べたのは少女だった。鎧を纏い、右手には何か文字のようなものを刻まれた剣を手にした彼女は、明らかに戦闘経験を積んだ者だ。
剣には鮮血が付着していたが、それも先程のエグラバーのように黒い煙へと変化し、そして消えた。
じっとこちらを見つめる瞳はエメラルドのようにな鮮やかな緑色で、高い位置で一つに結えられ、蒼く伸びた髪の先は少し紫色がかっているように見えた。
このような人を美しいというのだろう。結衣菜はその美貌にただ、目を奪われていた。
彼女は少し怪訝そうにこちらを見る。その時ようやく、結衣菜は先ほどからずっと差し伸べられていた手に気がついたのだった。
「ご、ごめんなさい!」
「立てるみたいね、よかった……。こんなところでエグラバーに出くわすなんて……運が悪いわねあなた達……」
立ち上がった結衣菜を見て安堵すると、彼女は何やらつぶやきながら、結衣菜の後方に目線をやると、その大きな目が少し見開かれた。先に声を上げたのはチッタだ。
「ティリス……? ティリスじゃないか!」
「チッタ? ……エリルさんも……どうして」
「ティリスちゃんこそ、ここはディクライットの外れでしょう、こんなところまで見回り?」
どうやら彼らは知り合いだったらしく、エリルは突然の再会にたいしてか、首を傾げていた。
「私は……」
ティリスと呼ばれた彼女は少し目を伏せる。長いまつ毛が影を落とす。
「ティリス、何があったかわかんないけど……俺たち、お家燃やされちゃったんだ。それでディクライットに行ってフィリスおばさんにたすけてもらおって言ってたんだけど……」
「……ああ、ついに国防軍が。わかった、私が手配するわ」
「仕事は? 大丈夫なの?」
「ええ、この見回りは自主的なものなので……大丈夫です。もうすぐ日が落ちるわ。魔物も活発になるでしょう」
メリルは少しティリスのことを気にかけているようだった。結衣菜は彼らが話す魔物という不気味な言葉に悪寒を覚えながら、先ほどのクマのような生き物が消えた場所を見つめている。
「この子は?」
「この子は…ユイナちゃんっていうの。話すと長くなるのだけれど…」
怪訝な顔のティリスにそのまま説明を始めそうなエリルの言葉を遮って、チッタが未だ遠くに見える街を指差す。
「詳しいことは着いてからにしよーぜっ! 俺お腹減っちゃったー」
「そうね……じゃあ行きましょうか」
ティリスは慣れた手つきで再び馬のような生き物に跨るとゆっくりと進み始める。
結衣菜たちがティリスの案内でディクライットという国に辿り着くことになったのはその日の陽が沈んだ後なのであった。
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