第3話 輝く月の下
時と場所はかわり、結衣菜が異世界に飛ばされる少し前の夜のこと。
白銀に染まるディクライット城で、一対の男女が青白く光る月を眺めていた。
「ねぇディラン、明後日がちょうど満月になりそうね」
蒼く美しい髪を一つにまとめた少女は月光に照らされる城の塀に手をついたまま、隣に佇む青年に語りかけた。
「ああ……」
気のない返事に、少女は眉を寄せる。
「婚姻の儀の当日が満月なのよ? 素敵じゃない?」
嬉しそうにそう語る少女の表情とは裏腹に、青年の瞳はどこか遠いところを見つめている。少女がどこを見ているのかと訝しげに見つめてみても、彼の視線の先にはなにもなかった。眼前にはただ広く、雪に装飾された城下町が広がっているだけだ。
見ているところに何かあるのかと屋上の塀からすこし身を乗り出して覗き込んだ少女を、青年は慌てた様子で腕を引っ張った。
「あぶなっかしいんだから……」
少し眉を寄せ、拗ねたような声を出す青年を見て少女は微笑む。さらに拗ねたような声が続いたが、少し微笑んだ彼の左の頬には笑窪が浮かんでいた。
「なにへんなかおしてるの」
そんな青年の声に、少女は昔のことを思い出していた。あの頃の彼は可愛かった。もう一人、よく一緒に遊んでいた赤髪の少年は、今は元気にしているだろうか。気がついた時には薄く微笑んでいた。記憶の中の光景は、大切な思い出のひとつだ。
「……思い出し笑い?」
「何故分かったの?」
「僕も……思い出してたから」
彼の瞳は、どこか遠くを見つめていた。彼が何を思い出していたのかはわからない。けれど、それが自分と同じものであればいいなと思う。
「そっか……でも、昔はこんなこと思いつきもしなかったよね」
ティリスは彼に怒られない程度に塀に寄りかかる。ちらちらと降る雪が顔に当たって溶けていく。
「もう明後日なのにね……」
おそらく何か違うことを考えている青年に、少女は微笑みかけた。
彼は未だ何も返さず、彼女は不安そうにその顔を覗き込んだ。
「ねぇディラン。……ほんとに、結婚するのが私で良かったの?」
そんなことを言うつもりはなかった。気がついたら口をついて出ていたのだ。
ほんの少しの不安。けれどそれは形となって青年に向けられていた。
「……なんでそんなこと聞くの?」
「……」
青年は少し目を伏せ、少女は返す言葉を持っていなかった。
幼馴染である彼らがいままで過ごしてきた長く幸せな時間を疑うのには、あまりに安直なやりとりだと感じたからだ。
きっと傷つけてしまっただろう。そんな考えに取り憑かれた少女はしばらくの沈黙を破ることができずにいた。
口を開いたのは青年の方だった。
「婚姻の儀で着る衣装。……できたんでしょ?」
「え? そうなの、すごいのよ! とても素敵なの! きっと見たら驚くわ!」
昼間に受け取った衣装の美しさに興奮が戻ってきた彼女を見て、青年は微笑んだ。
「あはは……ティリス嬉しそう」
少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから、彼は屋上の塀に寄りかかる。いつのまにか沈黙は解け、しばらくの間、彼らはたわいのない話を続けていた。
ふと会話が途切れていた。なにか話題を見つけようと少女は彼の方を振り向いて硬直する。
彼の瞳から、一筋の涙が流れていたのだ。
「ディ、ディラン、どうしたの、大丈夫? どこか痛いの? なにかあったの?」
思いがけない涙。それに焦って口数が多くなる。
「なんでもないよ、ごめんね……」
彼の表情はそれが事実ではないと示していたが、詮索を避けるように目を合わせようとはしなかった。
「……本当?」
「本当だよ。心配させてごめん」
青年はそれまでの寡黙さを崩したようにへにゃりと笑った。同じくらいの年齢の男性にしては少し細い指が少女の頬をなぞった。
「……さっきの、私でいいのってやつ。大好きだから。ティリスじゃなきゃダメだから僕……だからさ、心配しないで?」
腰に回った腕を引く。それは紛れもない恋人たちの仕草で、少女も彼の首に腕を回す。
「……分かってる。私こそ嫌なこと聞いてごめんね。変だったわ」
「いいんだ、ティリス……愛してる」
青年の綺麗な蒼い瞳は彼女をまっすぐ見つめていた。細い指が少女の髪を撫で、唇が近づきそして……触れる。
青白く輝く月だけが、二人を照らしていた。
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