第5話 こどもは夜に街を
ディクライットの街は雪が降り積もり、雪化粧に包まれた街に蝋燭に火を灯した街灯が光り、静かな景色が広がっていた。
街並みは結衣菜が住んでいた日本のそれとは違い、どちらかというと西洋の古い街のようだった。
道はところどころ石畳が見えていて、雪がなければ綺麗に舗装されているようだ。一歩歩くごとに白い氷の結晶たちが踏みしめられ、心地いい音が街に響く。
元の世界も冬だったので、結衣菜はブーツを履いていた。けれど到底雪の降るのが当たり前ではない地域に住んでいた彼女が滑らないように歩くのは至難の業だ。ここに来るまでに何度もチッタが転びかけた彼女の体を支えた。
「なぁティリス、俺お腹空いちゃったー」
とぼけた声。チッタは先刻からずっとお腹が空いたと騒いでいるいい加減聞き飽きただろうその文句にティリスは慣れているのか「街に着いてからね」と流していたが、ようやく別の言葉を返した。
「……そうね、母さんのところに戻る前に、グレープレングスで、食事でも取りましょうか。あ、その前に、少し城に寄ってもいいかしら。先に誰かに言付けを頼まないと……」
「お城? お城があるの?」
「そうだぜ! でっかいんだよ! ほら、あれ!」
聞き慣れない言葉に反応した結衣菜に、なぜかチッタが半ば興奮したような様子で、前方を指差した。
「あ、あれが……? すごい……」
街に隠れておおよその大きさは把握ができないが、そこには高くそびえ立つ塔が三つ連なっていた。白いレンガのようなものでできている塔の姿は雪が舞う灰色の空の中でも白く銀色に煌く。
最も高くそびえる塔のその頂きには、どこか厳かな印象を帯びた赤い下地に煌びやかな金色の装飾がなされた大きな旗が、この国の統治を表すように風にはためいていた。おそらくこのディクライット国の国旗なのだろう。
「ふふ……私、あのお城で騎士として仕えているの。そうだ、一度外装だけでも見たらどうかしら?」
「そうね、丁度用事があるのでしょう? ティリスちゃん」
エリルの言葉にティリスは頷く。どこかで待たせるよりその方が都合が良いと考えた様子だった。結衣菜は目を輝かせる。
「やった! お城みれるんだ!」
おとぎ話の中でしか聞いたことのないお城という響きに、そういう状況ではないながらも思わずはしゃいでしまう。自分でも不思議だが、この世界に興味がある。それは紛れもない事実だった。
その様子を見てティリスは優しく微笑んだ。
「ええ。チッタも、それでいい?」
「うん! 俺も昔遠くから見てただけだしな!」
「じゃあ、いきましょうか」
舞い続ける雪の中、結衣菜達は城へと続くなだらかな石造りの坂を、ゆっくりと登って行く。
城の全体が見えるまでに、どれほど歩いただろうか。
これまでの話から察するにチッタは昔、この街に住んでいたことがあるようだ。
ティリスとチッタは幼馴染の間柄らしい。道中仲良さげに話をしていた。
比較的広く歩きやすい中央道のような道を進んで行くと、噴水がある広場が横目に現れ、さらにそこを突っ切って進んで行くと突然あたりがひらけ、目の前に大きな城が現れた。
噴水は雪が降っているというのに凍りもせず、美しい水が綺麗な放物線を描いていたが、それもこの世界の魔法の一種なのだろうか。と結衣菜は考えながら通り過ぎた。
旗の立つ塔の真下にある巨大な建物が城の本体らしく、所々美しい装飾がなされたモニュメントや布などで飾り付けられている。
「すっげぇ……久しぶりに見るとおっきいなー!」
「相変わらず荘厳ね……」
結衣菜とチッタの歓声が上がり、エリルも感慨深くつぶやく。ティリスは待っていてと声をかける。
「うん! 待ってる!」
チッタが元気良く返事をし、ティリスがスペディ――ティリスの馬のような生き物だ――のスイフトを引き連れて歩いていく。閉鎖的に開いた城の門の前に威圧的に立っている鎧に身を包んだ騎士二人に話しかけに行った。
遠くからはよく見えないが少し話し込んでいるようで、たまにこちらを振り返り指示をしたりもしている。
「ねぇ、ティリスさんってここのお城で騎士? っていうのをやってるの? かっこいいよね」
「そうだよ! あいつすごいんだよ! すごい強いの! 俺は勝てないやー」
チッタの興奮をみてエリルがふふっと笑った。
「彼女はお母さんのフィリスに続いて次期剣聖っていう噂もあるのよ」
「剣聖……剣が強い人のことだよね……すごいんだね……」
「うん……あっ帰ってきた! どおだった?」
ティリスはスペディを置いたまま戻ってきて頷いた。
「ひとまず城に入る許しは得たわ。お家等の詳しい話は中でしましょう」
再び城に向かっていくティリスの後に続いて、結衣菜たちはディクライットの城門をくぐり抜けたのであった。
***
ディクライット城は思っていた以上に立派なものだった。
煌びやかというわけではないが重厚なレンガが積み重なってできた壁に広がる石畳、そしてその上には金色の糸で装飾が施された赤い絨毯が道に沿って伸びていた。所々のドアには木彫りや銀や金の装飾品が飾ってあり、花や草も生けて置いてあった。
城の重たい扉を開け入ったその先には二本の大きな螺旋階段が二階へと続いており、そのさらに上の三階には玉座の間があるのだが、そこに行くためには特殊な魔法を唱えなければいけないという。
感嘆する結衣菜とチッタを見てティリスが微笑る。城門から距離のある部屋に結衣菜達を案内してくれた。
「それじゃあ、ここで少し待っていてくれるかしら? 私は用事を済ませてく……」
ティリスが言い終わる前に、大きな音を立てて部屋の扉が勢い良く開く。息を切らせて現れたのは、可愛らしい桜色の髪の毛をした男の子だった。
「ティリスさんっ! 大変なんです! すぐに来てくだ……さい……その方々は……?」
チッタよりも幼い彼のその目は、結衣菜たちを見て動揺を隠しきれないようだった。
「この人達は私の知り合い、後で説明するわ。それよりエイン、そんなに急いで、何があったの?」
冷静に返したティリスの言葉に、エインと呼ばれた少年は気付いたように答えた。
「そうです、また例の盗賊団が! バルダが! 南の噴水広場です、すぐに来てください!」
「懲りないのね……わかった、案内して! あっチッタ達はここで待っていて、動いちゃダメよ!」
言い聞かすように彼女はそう言い、ティリスは少年に連れられ、走って部屋を出て行ってしまった。
何が起きたのかよくわかってない結衣菜は目を白黒させながらエリルとチッタの顔を交互に見る。部屋の扉が閉まり切るかというその時、チッタがするりと扉を潜り抜けて飛び出た。
「……チッタ! 危ないからやめなさい!」
「待ってチッタ!」
エリルもチッタを追いかけて飛び出し、さらにそれを追いかけて結衣菜も閉まった扉の開けると駆け出した。城の使用人達が走っていく彼らを不思議そうに振り返って見ていた。
***
城門を出て、蛇行して行く通りを下っていく。城の外に出た瞬間にチッタとエリルは狼姿になり走って行ったが、狼たちの脚力に勝つような速さでは走れない結衣菜は取り残されてしまった。
夜のディクライットには降り積もる雪と蝋燭の灯りだけが光り、少し不気味な雰囲気を醸し出している。
噴水はさっき城に行くまでにあがってきた道の途中にあった。そこに行けばチッタ達に会えるだろうと、結衣菜は足を踏みだした。
すると突然、全身に強い衝撃を感じて、結衣菜は尻餅をついた。驚いて顔を上げると、そこにはボサボサな紫色の髪の毛をした男が立っていた。首元には青く目立つストールのような物が巻きついている。
「よう、お嬢ちゃん前を見て歩けな」
「ご、ごめんなさいっ!」
男の声は言葉こそ柔らかいが、怒りを帯びていた。結衣菜は咄嗟にそう叫んで立ち上がり、男から逃げ出そうとすると、そのがっしりした手に、腕を掴まれる。
結衣菜の額に冷たい汗が走る。
「どこに行こうって言うんだい? 嬢ちゃん。……一ついいことを教えてあげようじゃないか。こどもは夜に街を出歩かない方がいいんだよ。そう、大盗賊バルダ様と呼ばれ恐れられる、俺のような悪党がいるからな」
そう名乗ったバルダという男は薄気味悪く笑い、しんしんと降る白い雪に、彼の口から覗く金歯が、嫌な光を放っていたのだった。
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