俺と氷姫とカツサンド

 明けて月曜日のお昼休み。俺は校舎の屋上でフェンスごしの曇天を眺めつつ、購買の絶品サクサクカツサンドをぱくつきながら、初夏の風に吹かれていた。


 ノートの主は、わからなかった。級長の増田くんに聞いてみても、そういう話は出なかったとのことで、逆に申し訳ないと謝罪されてしまった。

 それじゃあ、誰かが個人的に? いったい……


『サクッ』


 思考を遮るように、カツサンドを咀嚼する口の中から小気味いいダンディボイスが鳴った。


 そう、あれから二日経っても擬音は聞こえている。最初は、このまま続いたら頭がおかしくなるんじゃないかと心配したけど、案外そうでもない。


 聞こえるのはほとんどが、頭痛の「ガンガン」とか太陽の「さんさん」のような実際には音がしない擬音語──正確には「擬態語」と呼ぶらしい──ばかりだし、そもそも漫画のそれと同じで、すべての事象に擬音が付くわけでもない。


 何より大御所声優さんを思わせるダンディな低音は、不思議なくらい耳心地が良い。もういっそ「後遺症」でなく、そういう「能力」が覚醒したと考えた方が前向きでいいかも知れない。


 名付けて【囁くダンディ擬声ボイス】──うん、悪くないんじゃないか。


『じーーーっ』


 そんな俺の厨二病もうそうを、今度は後方からの擬音が遮った。

 しかし振り向いてみても、立ち入り禁止の屋上に俺以外の気配はない。

 なのに『じーーーっ』は息継ぎもなく鳴り続けている。

 さすが大御所声優の肺活量……とか感心してもしょうがない。


 どうやら、それは屋上入り口の扉の方角から聞こえてくるようだ。

 よーく見ると、金属製の錆びついた扉には、細い隙間が空いている気がする。

 その辺を見詰めると、低音ボイスが『ぴたり』と囁いて『じーーーっ』は止まった。


「気のせいか」


 わざとらしく口に出しながら、俺は扉に背を向けて視線を曇天に戻す。

 それから十秒と経たずに、扉のきしむ微かな音に続いて『そろり、そろり』と忍び足の擬音が近付いてきた。


「屋上は、立ち入り禁止です」


 そして背後から冷たい声が掛けられ──ほぼ同時に、俺は無造作に振り向いていた。

 そこに背筋まっすぐに立つのは制服姿の女子。黒髪ロングをセンター分けにした、青フレームのメガネが似合う知的美少女だ。


「……!?」


 おそらく彼女の中では、急に声をかけられた俺が驚き慌てて振り向く想定だったのだろう。

 レンズの向こうの切れ長の目をいっぱいに見開いて、でも一瞬後には元通りの涼しげな眼差しを取り戻している。


 それと、これはきっと聞き間違いだと思うのだけど──俺が振り向いた瞬間、彼女の胸の辺りから微かに『キュン』と低音ボイスが囁いた──ような気がした。


 ──片瀬かたせ 紗瑛さえさん。うちのクラスの風紀委員。


 仕切り直すように黒髪を右の耳に掛けた彼女の仕草に、低音ボイスが『しゃらん』と謎の擬音を付けた。


「いやあ、屋上ここが好きなんだよね俺」

「好きだからという理由でルールが免除されたら、世の中めちゃくちゃになります」


 感情の希薄な冷たい声クールボイスで、俺の言い訳を一刀両断する。低音ボイスの『バッサリ』が追い打ちをかける。


 いつも圧倒的に正しくて、県の弁論大会で優勝経験もある彼女に、口先では誰も敵わない。次期風紀委員長も確実視され、硬質ソリッドな美貌も相まって、口さがない連中からは【氷姫】などと呼ばれ恐れられている。

 おかげで、どこからどう見ても完璧な美少女なのに、告白した命知らずはひとりもいないとか。


 そんな彼女は、なぜか俺のことを特に目のかたきにしていて、事あるごとに厳しいお小言を頂戴するのだ。たとえば……


・登校時間に余裕を持て(チャイム同着常習犯でごめん)

・授業中ボーッとするな(自分の世界にこもってごめん)

・背中を丸めて歩くな(……はい……ごめん)


 あとなんだっけ、宿題を忘れるような人はもっと大事なことも忘れてる、とか……


 思い返してたらちょっと凹んできた……。

 まあ、きっと嫌われてるのだろう。

 いつもなら早々に降参するけど、さっき聞こえた気がした『キュン』がどうにも引っかかっていた。


「……でも、人間たまには空を見上げる余裕を持ったほうがいいよ」


 なので今日は、勇気を振り絞って少しだけ口応えしてみることにする。


「片瀬さんも一緒にどう?」

「ばかなこと言わないで」


 隣の空間スペースを指さしながらのお誘いは、当然ながらクールに即却下だった。だけど同時に彼女の胸元から、低音ボイスが大きくはっきり鳴り響く。


『キュン!』


 ──えっ!?


 思わず、擬音の発生源を凝視してしまう。

 しかしそこは柔らかな曲線を描く白いブラウスの胸元であり、冷静に考えると凝視はだいぶ危険行為──そう気付いた時には、俺の視線を遮るように彼女の両腕が胸前で交差していた。


「……どこ……見てるの……?」


 そのドスの効いた低音ボイスは、擬音ではなく片瀬さんが発したものだった。

 下を向いて表情は見えないが、怒りで耳まで真っ赤に染まっているようだ。

 まずいとてもまずい。


「いや違うんだ! 思ったより大きかったから驚いて……」


 慌てて口走った言葉の意味はもちろん「擬音の大きさ」についてだけど、擬音それが聞こえない彼女に伝わるわけもなく、きっと別の意味・・・・で彼女の耳に届いたことだろう。

 片瀬さんの華奢な肩が、小刻みに震えているのが見えた。


 ──ああ、口応えなんてするもんじゃなかった。


 失礼な行為と発言をしてしまったのは事実だから、ここは潔く謝るべきだろう。

「ありがとう」と「ごめんなさい」の気持ちだけは、迷わず言葉に出して相手に伝える。それだけは譲れない、俺の信条だ。


「言い訳はしない。嫌な気持ちにさせてしまったなら、俺が悪い。ごめんなさい。ほんと、いつも片瀬さんのこと怒らせてばかりで……」


『キュン!』


 ええ……? そこで鳴る……? 


「…………わかりました。反省してるようだから、許してあげます。でも、もし今後わたし以外の子に同じことしたら、絶対に許さないから」


 とにかく許してもらえたことに、内心で胸をなでおろす。

 しかし同時に俺は、彼女の言葉に引っかかりを感じていた。

 これまでなら、聞き流していたかも知れない。けど彼女が「わたし以外の子に」と口にしたとき、その胸元から『ドキドキ、ドキドキ』と低音ボイスが聞こえていた。


 到底ありえない、仮定の話だ。だけどもしも、彼女の胸から鳴りまくる『キュン』がそのままそういう・・・・意味で、つまり彼女が俺にキュンとしている──好意を抱いてくれているということだとすれば。


 ……それなら彼女の言葉は……そもそも本当に怒っていたのか……いやでもさすがに……


「またボーッとして。わたしの話、聞いてるの?」


 考えてもわからない。ならいっそ試してみよう。


「聞いてるよ。わかってる、他の子には絶対しないと誓います」


 ひと呼吸して、言葉を続ける。


「そういう目で見るのは、


 片瀬さんは満足げにうなずいてから、ようやく言葉の意味を理解したらしい。


「なっなななにを言ってるの! そういう意味じゃないから!」


『キュキュキュキュギュゥーーンッ!!』


 否定の言葉を掻き消すように、改造車のエンジン音じみた迫真の低音ボイスが響き渡っていた。


「そっそっそんな揚げ足なんか取って、もうっ、本気で怒ったから!」


 ヤンキーも震え上がるという氷姫の言葉はしかし、もはやなんの説得力もない。


「ほんとに怒ってるなら、片瀬さん」


 ──俺は、冷静に指摘する。


「どうしてそんなに、口元がニヤけてるの?」


『ハッ!?』


 驚きの擬音と共に、慌てて彼女は口元を両手で覆う。勢い余った指先に弾かれたメガネが、曇天に『ひゅるるるる』と放物線を描き、俺の足元に落ちた。


「……俺、片瀬さんに嫌われてると思ってたよ」


 青いスクエアフレームのメガネを、拾い上げる。

 片瀬さんは口元だけじゃなく顔を両手で覆って、しゃがみ込んでいた。……あれ……? なんだろう、この既視感……。


『……カチリ……』


 その低音ボイスは俺の頭の中から響いた。

 歯車が、噛み合うような擬音。


 ──同時に、記憶が鮮やかに蘇る。

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2024年11月30日 17:15

きみの胸からキュンがきこえる クサバノカゲ @kusaba

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