第3話 狼の暴走
勇者の適性試験を終えて三日ほどが経っても、カイナの憂鬱な気分は晴れることはなかった。
彼は勇者候補になれなかったばかりか、元の世界に戻る方法も分からず、途方に暮れていたのである。
元の世界に戻るには、おそらく女神メルトにもう一度出逢い、お願いをするしかないのだろうが、その女神様にお目通りするにはどうしたらいいのか分からない。
賢人ケロンにも尋ねてみたが、芳しい答えは返ってこなかった。
「女神に謁見するのは難しいでしょうね。彼女は普段、神域から我々の世界を見守ってくださっていると聞いております。それこそ、生死の境を彷徨わないと神域には到達できないでしょう」
だが、カイナは『永遠の命』を得てしまったため、生死の境を彷徨うことがまず出来ないのである。
その『永遠の命』以外に取り立てて戦闘に役立つわけでもないカイナを馬鹿にする住人――主に子どもたち――もいた。
「あっ、落第勇者のカイナだ!」
「勇者失格~!」
カイナはそんな心無い言葉に凹んでしまったが、そんなカイナを励ましてくれたのはケロンだけではない。
「コラッ、アンタたち! イレギュラーを馬鹿にすると女神様の天罰が下るわよ!」
怒鳴って子どもたちを追い払ってくれたのは、パン屋の娘エイミーだ。
カイナがパンを買いに行った時に仲良くなった女の子である。
「カイナ、気にしなくていいからね」
「ありがとう、エイミー……」
カイナとエイミーは並んで広場の噴水池のふちに座る。
あの勇者の適性試験に使われた池だ。
ここにいるとつらい思い出が蘇るが、他に座って話せる場所もない。
「はい、これあげる」
エイミーは手に抱えていた紙袋から、パンを取り出してカイナに差し出した。
「えっ、こんなのもらっちゃ悪いよ」
「いいのよ。最初から、カイナに味見してほしかったの」
どうやら、エイミーの店の新作らしく、彼女の店では見たことのないパンだった。
一口かじると、外はカリカリに焼けているが、中身はしっとりとしている。
カイナは夢中でむさぼるように食べた。
「うん、エイミーの家のパンはいつ食べても美味しいな」
「ありがとう。きっと、そういうことだと思うのよ」
「何が?」
キョトンとして視線を上げると、エイミーの視線とぶつかる。
「私の役割がパンを焼いてお客さんに喜んでもらうことだとしたら、カイナも何かの役割があるんだと思うの。だって、女神様がわざわざ、あなたを連れてきてくれたんでしょ?」
エイミーの言葉に、「イレギュラーは存在するだけで世界の危機を減らす」と女神メルトが言っていたことを思い出した。
「だから、ね。勇者の適性がなくても気にしなくていいの。勇者になれないなら、パンを焼く勉強でもして、私と一緒にパン屋さんでもやればいいわ」
「え?」
「あ、ううん、今のは忘れて」
エイミーは顔を赤らめて、手を顔の前でブンブン振った。
「……本当にありがとう、エイミー。僕、この街で何かの役に立ちたい。何か自分にできることはないか、探してみるよ」
「その意気よ! 私も手伝うからね」
こうして、カイナは『はじまりの街』スタルトにとどまって、自分がこの街に何か貢献できるものはないか探し始めたのである。
そんな日々を過ごしていた、ある日のこと。
勇者候補のひとりが、スタルトに戻ってきた。
しかも、手ぶらではない。
魔物を捕獲して、街に連れて帰ってきたのである。
「ケロン先生、ご無沙汰しております」
「やあ、君ですか。ずいぶん久しいですね」
ケロンは勇者候補と親しげに挨拶を交わした。
「先生は、このモンスター、ご存知ですか?」
捕獲され、手足を縄で縛られた大型の狼がグルル……と唸り声をあげている。
「ブリザードウルフですね。雪山地帯に生息していて、吹雪に紛れて襲ってくる」
「さすが先生、お詳しい!」
「これを捕まえてくるのは大変だったでしょう。殺せばよかったのに、なぜわざわざ?」
ケロンの疑問に、勇者候補はニヤリと笑った。
「実は、モンスターの生態を詳しく調べて、意のままに操れないか研究してるんです」
「魔物を操って、効率よく魔族を倒せないか、ということですか? しかし、それはモンスターテイマーの得意技では?」
通常、魔物を使役するのは『モンスターテイマー』と呼ばれる職業の人間が持つスキルである。
この勇者候補のパーティーには、鞭を持った女性がいるので、おそらくは彼女がその役割を担っているのだと思われた。
しかし、勇者候補は首を横に振る。
「テイマーの話では、捕獲されたばかりのモンスターは気が立っていましてね。今のままでは逆に味方である我々が襲われてしまう。どこかで時間を置いて大人しくさせたいんですが、いい場所はないですか?」
「そうですねえ……」
勇者候補とケロンが話している間にも、縄で縛られたブリザードウルフはジタバタと暴れていた。
そして、なんと暴れているうちに縄が緩んできたのである。
それに気付いたものは誰もいなかった。
「ヴルルルルァァァァッ!」
狼が口を開き、クツワを噛み切る。
勇者候補とケロンがそれに驚く間もなく、ブリザードウルフは脱走した。
「やべぇ! おい、アイツを止めろ!」
勇者候補がテイマーに命令するが、女性が鞭を振るってももう届かない距離まで狼は駆けていた。
街のあちこちで悲鳴が上がる。
こうして、『はじまりの街』スタルトは大混乱に陥ったのであった。
〈続く〉
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