第47話 涙
「ちょっと待ってください……」
ポレットが、こめかみに人差し指をあてて難しい顔をした。大会場の高い窓から差し込んだ夕日が、彼女の黄色いドレスを赤褐色に染め上げている。
「混乱してきたので、整理させてください。えっと、ルミナ様の件っていうのは、ディアンのトリックとは関係ないんですよね?」
「そうよ」「そうだよ」
私とアステル殿下が同時に頷くと、ポレットは「うーむ」と唸って推論を続けた。
「……ディアンとは関係なく、代理人の女性フローレンスの正体は、犯罪組織の一員ルミナだった。ナシーム様も犯罪組織の一員で……」
「たぶんナシームは、ルミナが雇った旅芸人かなにかだと思う」
とアステル殿下が口を挟んだ。
「ルミナはナシームを置いて自分だけ逃げようとしていたからね。トカゲの尻尾切りさ。同じ組織に所属している人間に対してならもう少し人間らしい扱いをするだろ?」
ポレットは一瞬黙り込んだが、再びこめかみにあてた指をぐりぐりと回し始める。
「ええと、じゃあ、ナシーム様は雇われた旅芸人ってことにして……。ルミナ様は犯罪組織の一員で、その組織がエーバーハルトの作品を買い占めようとした。でもブラックスピネル騒動で不利を悟ったルミナが逃げ出してしまい、同時にナシーム様も逃亡した……?」
「そして、『湖畔の愛』が残った」
アステル殿下は大仰に手を広げ絵画を見下ろした。
夕陽に照らされた穏やかな絵は、まさに永遠の愛を象徴するかのように輝いている。晴れ渡った空も、澄んだ湖も、寄り添う二頭の馬も、そして――小さく描かれたディアンの両親も。
「僕は、今回のルミナの計画を皇帝陛下に報告しようと思ってるんだ。機転の利いたディアンの作戦も一緒にね」
「え?」
私たちは思わず口をぽかんとあけた。
アステル殿下は面白そうに目を細め、余裕ぶった笑みのままディアンに視線を向ける。
「ディアン、ご苦労だってね。この絵を守ってくれて」
「あっ……」
ポレットがぱちくりと瞬きしながら絵を見つめる。
「ほんとだ。『湖畔の愛』はここにある――つまりディアンが犯罪組織から絵を守ったんですね!」
「そんな、僕は――」
ディアンの声が震えた。だがアステル殿下はその篩える震える声を遮り、優しく微笑んだ。
「ディアン、君はルミナ、いやフローレンスが怪しいと僕に相談されて、一計を案じたんだよね。結果、君の作戦は大成功に終わった。まさに敵を欺くにはまず味方から、だ。……いやぁ、本当に、見事に騙されたなぁ」
確かにそういうことにしたほうが、ディアンにとっていいわね。結局、ディアンは絵画を盗むことはなかったのだし。
なんでもかんでも厳罰を処せばいいってものじゃないわよ。
「……っ」
ディアンは硬直した。瞳から滑り落ちる透明な涙が赤い夕陽に反射してまるで宝石のように輝く。彼は彫像のように動かなくなってしまったので、その代わりに私が微笑んで頷いた。
「……そうですわね。ディアンは犯罪組織から絵を守ったのです。見事なものだわ」
「まっ、待って下さい所長、殿下。僕は、そんなことは……っ」
震える声でディアンが言い募ろうとしたのを、アステル殿下がまたにっこりと遮る。
「おっと。余計なことは言いっこなしだよ。君は英雄的行動をしたんだ、そういうことにしておこう」
それから少し、声を落とした。
「でもねディアン、これですべてが丸く収まったわけじゃないんだ。君の望みは全部叶うわけじゃない――この絵は宝物殿の奥深くに仕舞われる事になると、僕は思うんだ」
「……!」
ディアンが言葉の意味を理解してハッとするのと同時に、殿下が頷く。
「そう、もう誰もこの絵を簡単に見ることはできなくなる。……残念ながら、君は親離れしないといけない。それが、君が受けるべき罰……というところかな」
「……殿下」
ディアンは顔をぐしゃっと歪めた。頬に溢れる涙が、夕陽に輝いていく。
「僕は……」
「君は、不甲斐ない僕に代わってシルヴィアを守ってくれた」
アステル殿下は優しく頷くと、片膝をついてディアンの肩に手を置いた。
「ありがとう、ディアン。ご両親には合わせてあげられなくなるけど、騒動を起こしたことへのこの裁定は、僕からの恩返しだと思ってくれ」
「殿下……」
ディアンの顎からしたたり落ちた涙が、赤い繊毛を敷いた床にポタポタと落ちていく。夕陽が、そんなディアンを包み込んでいた。
その背中をそっと撫でて、私も優しく声をかけた。
「私からもありがとうを言わせて、ディアン。あなたのおかげで私はこうしてここにいられるの」
下手をしたらルース殿下に捕まってハルツハイムに連れ戻されていたかもしれないのだ。それを救ってくれたディアンには感謝しかない。
何より、彼は絵より私を選んでくれた。それが……嬉しかった。
「僕は……そんな……うぅ……」
ディアンはむせび泣いている。
アステル殿下は膝を折り、ディアンと視線を合わせて優しく言葉を紡いだ。
「君は今後もシルヴィアに仕えてくれ。その嗅覚を生かしてシルヴィアの役に立ち、その剣技でシルヴィアを守ってくれ」
「……はい……」
「う、うぅ……」
女性のうめき声が聞こえる、と思ったらポレットだった。
彼女は指先で目頭を押さえて、それでも溢れ出る涙をそのまま流して、えぐえぐと嘔吐いていた。
「ううー、ディアン、頑張ろうね、頑張ろうね……」
詰まらせながらも声を絞り出すポレットに、殿下は苦笑気味に軽く肩をすくめる。
「君も大変だね、ポレット」
「だってぇ……」
泣きじゃくるポレットを見て、私も思わずそっと目頭を押さえた。ついもらい泣きしてしまうわ。
そして、アステル殿下がそんな私に向かって言うのだ。
「……シルヴィア、ディアンのことをよろしく頼んだよ。僕の自慢の専属騎士なんだ」
私は彼に向かってにっこりと、できるだけ極上の笑顔になるように、輝くように笑う。
「もちろんですわ。ディアンは我が白鷲探偵事務所の大事な仲間でもありますから」
「うん」
安堵したように頷くと、彼は目の奥に満足げな光をたたえた。
「さて、それじゃそろそろ移動しようか。夜になる前に母上に報告しておいたほうがいいだろう。名探偵シルヴィアの推理が炸裂して、見事に事件は解決したっててね」
「まあ、殿下ったら」
私は思わず瞬きした。
「今回の推理のすべてを私の功績になさるおつもりですか?」
殿下はやはり余裕の笑みを崩さず、にこにこと続ける。
「僕は表だって目立つ気はないんだ。それは探偵の君の役目ってわけ。というわけでよろしくね、名探偵さん」
といって、彼は茶目っ気たっぷりにウインクした。
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