第48話 事件、その後

『湖畔の愛』の騒動から約1週間が経過したその日、白鷲探偵事務所にアステル殿下が来所された。


 事務所はすっかり静寂が戻り、窓から柔らかく差し込む陽光が『水晶探偵アメトリン』シリーズでぎっしりの本棚をゆったりと照らしている。

 その本棚に囲まれたソファーセットに私と向かい合って座ったアステル殿下は、単眼ルーペモノクルをはめた目で手元の七色の首飾りを熱心にいじっていた。


 その姿は皇子というよりは職人で、細かい手作業が凝り性な彼の一面を引き立たせている。率直にいって、よく似合っていた。


「煙幕玉と細鎖の補填はしたけど、少しガタが来てるな」


「申し訳ありません。なにぶん、あのは騒ぎで……」


「いや、いいんだ。これが大活躍したって聞いたときは嬉しかったな。君に託したかいがあるってもんだ」


 細いドライバーで首飾りのネジを調節しつつ、単眼ルーペをはめていないほうの黄金の瞳が私をちらりと見る。

 その頬が、悪戯っぽく微笑んだ。


「そういえば、今回は君の決め台詞を聞けなかったね」


「え?」


「ほら――『この真実、私が解き明かしてみせますわ。探偵令嬢の名推理、とくとご覧あそばせ!』ってやつ」


「あら、そういえば」


 確かに、今回は言わなかった。

 ルース殿下から婚約破棄を告げられたあの殺人未遂容疑の事件では、そんな大見得をきったのに……。


 衛兵として侵入していたアステル殿下も、当然ながらあれは見ていたってわけね。


「今回はそんな雰囲気じゃなかったからですかしらね……?」


 ディアンも心から反省していたしね。事件自体も、私が見得を切って推理を発表して解決! って感じではなかったし。


 結局事件は、表向き、少年騎士の勇敢な一芝居による作戦勝ち、ということで幕を閉じていた。


 あの絵が犯罪組織に狙われたことは、一般に公表された――そして、それを守るためにディアンが一芝居打ったという報告も皇帝陛下になされていた。


 報告の通りならディアンは、一人で事件を抱え込んだうえ、ブラックスピネルの名前まで騙って騒動を巻き起こして人々に迷惑をかけまくったとんだお騒がせ騎士ということになる。

 が、そこはアステル殿下直属の配下ということで、彼への罰はアステル殿下がとることとなり、そのアステル殿下がなにもしないので、ディアンはお咎めなしということになっていた。


 そこまでして守られた『湖畔の愛』だが――アステル殿下のいっていたとおり、宝物殿の奥深くに厳重に保管されることになった。


 もはや誰であれ、おいそれと見ることはできない。あの絵にとってはそれは幸福なことなのかもしれない。一度は犯罪組織の標的にされたのだから……。


 そんなディアンだが、引き続き城鷲探偵事務所に出向してきているのである。

 出向してきてくれてはいるのだが、ちょっと問題が――。


 ふと、殿下は視線を手元の首飾りからドアの向こう――キッチンのほうへと投げた。


「その後、ディアンはどう?」


「……そうですわねぇ」


 私は少し疲れたように肩をすくめた。


 事件後、ディアンは私がどこに行くにも付き従い、常に私のことを気に掛けるようになっていた。


 例えば私が本屋に行くといえば『所長、僕もお供します』と抜き身の剣を持って着いてこようとするし、何か食べようとすると『毒が入っていないか調べます』と率先して匂いを嗅いでくる。朝には『所長、おはようございます。朝食の用意はできております、枕元に置いたベルを鳴らしていただけましたらお持ちします』とのメモが枕元に置かれていたりした。


「過保護になってしまいましたわね……」


 私の言葉に、殿下は微笑んで応える。


「彼なりの贖罪のつもりなんだろうね、それが」


『君は今後もシルヴィアに仕えてくれ。その嗅覚を生かしてシルヴィアの役に立ち、その剣技でシルヴィアを守ってくれ』


 殿下がディアンにいったその言葉が、私の耳に蘇る。


「殿下に言われたことを忠実に守っているつもりなのでしょうけど、こうも常時見張られていては、さすがに私も疲れますわ」


「君のそば置いておけば、ディアンも学ぶことが大いにあると思ったんだけどなぁ」


 ふぅ、と溜め息をつく私。


「さすがに見かねてたポレットが引き離してくれましたけれどね。今は一緒にキッチンでなにかしておりますわ」


「そうか。ポレットはあれでけっこう気を遣うほうだからね……。二人してなにをしているんだろうね?」


 殿下がキッチンの方を見ながら言う。


「先ほどからいい匂いが漂ってきますわね」


 と、私もキッチンの方に視線をやった。濃い焼きバターの香りが応接室にまで流れ込んできていた。二人してお菓子でも作っているのだろうか。


「美味しいお菓子をご馳走になれるのかな」


「そうですわねぇ。期待しておきましょうか」


 ポレットとディアンが並んで仲良くお菓子を作っている――そんな微笑ましい光景が思い浮かび、私の口元が自然とほころんだ。


「そういえば、ルミナだけど」


 と、アステル殿下は急に話を変えた。


「こっちはなにも進展なし。でも捜査の結果偽ナシームは捕まえたよ」


「まあ、ナシーム様を。ではルミナ様の足取りもおいおい分かってくるのではないですか?」


「それがさぁ」


 残念そうに溜め息をつくと、アステル殿下はまた手元の七色の首飾りに視線を戻し、ドライバーでネジを調節しはじめる。


「やっぱり僕の勘は当たっててね。あいつはルミナ様に雇われた旅芸人で、ナシーム殿を演じる意外のことはなにも知らされていなかった。だからあの偽ナシームからルミナを辿るのは無理っぽいな」


 はぁ、と溜め息をつきつつ、アステル殿下の声にはハッキリとした悔しさが滲んでいた。


「できたらアドリックより先に見つけてやりたいんだけどね」


「アドリック様……ディアンのお義兄様ですわね」


「そう。アドリックの奴、ルミナに裏切られて完全に頭に血が上ってる。ディアンに八つ当たりして『余計なことをしやがって』とか文句ぶつけてたくらい錯乱してるからね……」


「まあ……」


 情景を思い浮かべ、眉をひそめる。

 レンクランツ家に養子に来たディアンをいじめていたというアドリック様については、いい印象がない。


 ルミナ様は、おそらく私から婚約者だったルース殿下をとったのと同じようなやりかたでアドリック様に取り入ったのだろうから――。


 アドリック様のひねくれた根性がルミナ様への怒りで染まっているとなれば、事態は深刻だ。


「アドリックに捕まったら、目も当てられないような悲惨なことになるよ。ルミナのためにも、僕が先に捕まえてやった方がいいんだけどね」


 彼は肩をすくめ、少し冗談めかして言った。


「まあ案外、涼しい顔して僕らの前にまたひょっこり現れるかもしれないな。そのときは別の名前、別の顔になってるだろうけど」


「そのときは」


 私は紅茶を一口飲んで微笑んだ。

 薫り高い紅茶と芳醇なバターの香りが鼻をくすぐるなか、胸には決意が沸き上がってくる。


「今度こそ、私が捕まえてみせますわ。たっぷりお礼もしたいですしね」


「なんだか怖いな。どんなお礼を考えてるんだ?」


「あら、本当にただのお礼ですわよ。私とルース殿下の絆を断ってくれたお礼として、お茶会にご招待したいのですわ」


「はは、お茶会くらい近い距離になったら君もルミナの変装を見破れるかもね」


「そのつもりです、今度こそね」


 コトリとカップをソーサーに戻しながら、私は輝くように微笑む。


 今回の事件で悔しいことがあるとすれば、その一点であった。


 アステル殿下は見破ったのに、私には見破れなかったのだ――それがもう、悔しいの悔しくないのって。


 次こそは必ず見破ってやりますわよ、ルミナ様!



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