第43話 推理劇、開始
ビュシェルツィオ皇城の大会場は静寂に包まれていた。
数時間前には多くの来賓が集い、活気と緊張、そして混乱が満ちていた場所も、今やシャンデリアの火も落とされ、赤い夕陽が高い窓から斜めに差し込むのみである。
まるで騒動を労うかのように、夕陽が柔らかな影を大理石の床に落としていた。穏やかでどこかもの寂しい雰囲気のなかを進み、私たちはステージへと上がる。
壇上には、昼に見たとおりに白いキャンバスが鎮座していた――本当に、あの騒動のままの状態で残しておいてくれたのだ。ヘレーネ皇后陛下、ありがとうございます。
「では、さっそく調査を開始しますか!」
ポレットが張り切った声でいい、黄色いドレスのスカートをふわりと翻してキャンバスに向き直る。
「この探偵助手の私めが! お役に立つ証拠品をパパパッと見つけちゃいますよー!」
だが、私はそんな彼女を止めた。
「待って、ポレット。実はもう……絵の場所は分かってるの」
「え……?」
ポレットはきょとんとした表情を浮かべて私の顔を見返した。
「でも、絵を持って逃げたブラックスピネルは見つかってないんですよ?」
私は静かに首を横に振った。
「……逃げていないわ。最初から、誰も逃げていないの」
ポレットはハッと息を呑む。
「それって、どういう……?」
「お、シルヴィアの推理劇の始まりか」
とアステル殿下が軽く茶化すように口を挟んでくるのを、私はコホンと小さく咳払いして制して続ける。
「言葉の通りよ、ポレット。……ちょっと手伝ってくれる?」
「え? はい、かしこまりました」
半信半疑のポレットと協力し、私は白いキャンバスの入った額を壁から降ろした。そして、額を取り、なかの白いキャンバスを露わにする。
「え、なにこれ、布……?」
ポレットが驚いたように呟いた。
そう……、白いキャンバスと思われていたのは、実は一枚の白い布だったのだ。
その絵を壁に立て、私は頷いた。
「やっぱりね……」
言いながら、私はここにいる人物たちの表情を確認した。
驚きの表情で白い布を見つめるポレット、余裕の微笑みを浮かべて私たちを見守るアステル殿下、そして青ざめた顔で視線を逸らすディアン……。
「そうよ。絵画は最初から盗られてなんかいなかったの」
言いながら、私は白い布を取り去る。
――ああ。
分かってはいたけど、私は思わずため息をこぼした。
下から現れたのは、穏やかな湖の前で寄り添う白と栗の二頭の馬の絵――盗まれたはずの『湖畔の愛』だった。
「っ!」
ポレットが息を呑んで、信じられないというように言葉を口走った。
「白い布が掛かってただけだったんですか!?」
「そう、絵はずっとここに隠してあったの」
「でもどうして? こんなふうに絵を隠すだけだなんて、ブラックスピネルはいったいなにをしたかったんですか?」
私は視線をポレットから『湖畔の愛』に移しながら静かに口を開いた。大会場に差し込む夕陽が反射して、絵の中の風景にも仄かにぬくもりが加わっているように感じる。
「皇宮ではこの絵を盗めなかったのよ。皇宮をあげての厳重な警備から絵を持ち出すなんて、そうそう出来ることじゃないもの。でも、何かを持ち込むことならできた。警備する側が注意していたのは絵を持ち出されることであって、何かを持ち込まれることではありませんでしたからね。証拠に、大きな手荷物を持って宝物殿に入ることもできたわ」
「ちょっと待ってください、大きな包みって、それって……」
ポレットがハッとするなか、私はゆっくりと頷いた。
「ええ。夜間警備と称して白い布を持ち込み、宝物殿で不自然なほど一人きりになりたがりった人物がいたわね」
私は言葉に力を込め、ゆっくりと彼に向き直る。
「……ディアン。あなたがこの細工を施したのね」
「ディアン!?」
ポレットが驚きの表情でディアンを見つめたが、ディアンは真剣な表情で床に視線を落とし、沈黙していた。
「……」
「あなたは夜間警備に大きなお弁当の包みをもっていったわ。でも、あのなかには本当はお弁当なんか入っていなかった……入っていたのは絵画を隠すための白い布よ。夜間警備を申し出たのは機会を作るためだったのね」
ポレットがポンと手を打つ。
「本当は夜食なんか食べてなかったんですね。それで今日の朝、あんなにいっぱいサンドイッチ食べてたんだ。お腹減ってたから……!」
「夜間警備が終わって絵を引き渡すときに、『匂いがぶれないようにあまりベタベタ触るな』とあなたは引き継ぎにいったみたいだけど、それは覆いが取られてはトリックがバレてしまうからだった……そうね?」
私の言葉にディアンが応えるよりも早くポレットが小首を傾げた。
「でも白い布をかけてどうしようっていうんです? それだけじゃ絵は盗めませんよ」
「だからブラックスピネルに盗まれたって式典で大騒ぎしたんだよ」
アステル殿下が夕陽に黄金の瞳をきらめかせて、ポレットの質問に答えた。
「みんなに『絵は盗まれたんだ』と信じ込ませるためにね。絵画の匂いの捜査のためだからといって誰も触らせないようにすれば、このトリックがバレる心配もない。特に、母上は君に協力的だから」
身振りを交えつつ、アステル殿下は説明を続ける。
「そこまでしたらチャンスはいくらでも巡ってくる。匂いを嗅ぐために集中する必要があるから人払いをしてほしいとでもお願いすれば、一人でゆっくり絵を抜き取れる機会も作れるって寸法さ。まさか『もう盗まれている』絵が『今度こそ盗まれる』だなんて誰も思わない」
やっぱり、アステル殿下も真相に気づいていたのね。
「全部お見通しなんですね……」
ディアンは、俯かせていた顔を上げ、夕焼けに照らされた大会場の高い天井を見上げた。そして、はぁ、と小さく息を吐く。頬にはわずかな微笑みが浮かべられていた。
「……やっぱり、無理がありましたよね。僕以外に絵を触らせない理由が、『匂いが移るから』だなんて……。でも、みんな僕を信用してくれた。おかしいくらに」
そこでディアンは淡い水色の瞳で私たちを見て、っくりと首を振った。その目は、微かに潤んでいる。
「所長とアステル殿下のおっしゃるとおりです。僕が、絵を隠しました……」
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