第42話 城に戻って

 気を失ったルース殿下は、慌てた様子の御者により馬車に収容された。


 そんな彼らをあとに、私たちはアステル殿下が乗ってきた馬に載せてもらってビュシェルツィオ皇宮へと戻ることになった。

 すぐそこまで皇宮騎士団の分隊が私たちを助けるためにやって来ていたのだが、アステル殿下は楽しげに「早を飛ばしたら騎士団より早く着いたよ」と笑っていた。


 閉じ込められていた館は帝都から1時間ほど離れた場所にあった。


 馬の背に揺られながら見上げた空はゆっくりと夕暮れ色に染まりつつあり、ビュシェルツィオ皇宮に戻る頃には、石造りの廊下に暖かな赤い光が差し込まれていた。

 何かが終わり、そして始まった――そんな感覚に、胸が浸る。


「シルヴィア所長!」


 皇宮の玄関ホールで私を出迎えてくれたのは、駆け寄ってきたポレットだった。

 黄色のドレス姿に身を包んだ彼女は、形よく結った髪が崩れてしまっている。不甲斐ない自分を後悔し、かきむしったのだろう。


「所長、よくぞご無事で……!」


 彼女の震える声に、私の中に暖かいものが広がった。


「ポレット……心配かけたわね」


 私もそっと、彼女を抱き締め返した。するとポレットは涙ぐみながらぷるぷると首を横に振るのだ。


「とんでもないです、私、なんにも出来なくて……」


「アステル殿下に私のことを報告してくれたのでしょう? お陰で無事に帰ることができたのよ、ありがとう」


 私は微笑んで彼女の背中をぽんぽんと叩いた。


 アステル殿下はそんな私たちを静かに見守っていた。ディアンも優しい目で私たちを見つめ、安心したような表情を浮かべている。彼らを見て、私は改めて感謝の気持ちで満たされる。


 私が無事に帰ってこられたのは、ここにいる全員のお陰だ。


「お帰りなさい、シルヴィアちゃん」


 声に顔を上げると、ヘレーネ皇后が玄関ホールまで来てくれていた。私はカーテシー令嬢の礼をとって挨拶をする。


「ただいま戻りました、ヘレーネ皇后陛下」


「本当にご無事でよかったわ。……ハルツハイムのルース殿下のこと、聞いたわよ」


「はい、ご心配をおかけして申し訳ありません。アステル殿下とディアン、それにポレットが助けてくれました」


「それで、ルース殿下はどうなったの?」


 と、皇后陛下が少し心配そうに眉根を寄せる。それにはアステル殿下が答えた。悪戯っぽくウインクしながら彼は言う。


「ちょっとしたお仕置きをしたら手下が連れて行ったよ。あとは煮るなり焼くなり母上のお好きにどうぞ」


「そう、ご苦労様。私、正式にハルツハイムに文句を言うつもりなの。うちの息子の可愛い婚約者ちゃんになにしてくれるんだって。下手したら戦争モノなんだから」


 そこまで言ってから、皇后陛下はははぁっと溜め息をついた。


「それから、こっちは収穫なしよ。結局ブラックスピネルには逃げられてちゃったわ。ほんと、煙みたいにいなくなっちゃって……」


 皇后陛下は、どうやら逃げた偽ブラックスピネルを捜索していたようである。


 だけど見つからない、と。煙の例えは言い得て妙だ、逃げたブラックスピネルなんて本当は存在しないのだから。


「それからナシーム様までいらっしゃらなくなって。どうなっているのかしらねぇ……」


「皇后陛下、現場はどうなっているのですか? 額は他の場所に移されましたか?」


 私が訪ねると、皇后陛下はキラリと目を輝かせる。


「ブラックスピネルの犯行が発覚してからなにも触らせていないわよ。水晶探偵アメトリンシリーズで何度もいわれていることだもの、『現場を荒らされるのは、探偵にとってクリームたっぷりのケーキを眼の前でパクリと食べられちゃうのと同じこと』ってね。それに、ディアンに嗅いで貰わないといけないもの。余計な匂いは付けさせられないわ」


「お気遣い感謝いたします、皇后陛下」


 私は再びカーテシーをする。


「では早速、これから現場検証をさせていただきたいと思います」


「まあ、大丈夫? 少し休んだ方がいいんじゃない?」


「いえ……、そうもいっていられないので」


 私は視線を、『湖畔の愛』が飾ってあった大階段の踊り場にやった。絵画が飾ってあったあとは残っているものの、今はなにもない広い壁だ。


「『証拠は時間と共にどんどんなくなっていくの、積み上げたマカロンタワーも食べたら低くなっていくようにね』……そんな台詞がアメトリンシリーズにもありますわ」


「そう、さすが名探偵ね。じゃあ、すぐに案内しましょう」


「ありがとうございます、皇后陛下」


 私は頭を下げると、そのまま皇后陛下にお願いをした。


「……それと、皇后陛下、もう一つだけ私の我が儘を聞いていただけませんでしょうか」


「あら、なにかしら?」


「現場検証を、私たちだけでしたいのです。つまり、私たち白鷲探偵事務所の面々と、アステル殿下で」


 皇后陛下は意外そうに、細まったサファイア色の目をパチクリさせる。


「え、せっかくだから私も現場検証したいのだけれど」


「すみません、少し……、私にも考えがあるのです」


 絵画と、私。天秤に掛けたとき、ディアンは私を選んでくれた。

 彼は優しく責任感のある騎士なのだ。


 そんな彼にとって、あの絵画……『湖畔の愛』がどれほどの意味を持つものなのか、知りたかった。


 それに、まだ――正確には、ディアンは絵画を『盗んでいない』。まだ引き返せる。


「……分かったわ」


 ヘレーネ皇后は微笑んでウインクした。


「未来の義娘むすめちゃんのお願いですもの。聞いてあげなきゃね」


「ありがとうございます、ヘレーネ皇后陛下」


 私は深く頭を下げ、緊張の息を吐いた。

 ……さあ、舞台は整った。


 行こう。偽ブラックスピネルの正体を明かし、絵画を取り戻すのだ。




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